龍王山古墳群

奈良県天理市 2001年4月訪問、2002年再訪

横穴墓を含む600基以上(記号は奈良県遺跡地図による)

11D313
石室開口部


奥から外、両袖式が多い


11D314
玄室


11D320
墳丘


11D332
墳丘


11D333
墳丘


11D334
墳丘


玄室


(この付近は登山道脇で密集していて見学しやすい)

12C046
玄室


12C048
前方後円墳、TL45,R23,FW21
横穴式石室、全長10.6m,玄室長5.2,幅2.5,高2.6m
位置:34°33′03″N 135°52′08″E (日本測地系)
   34.55410747 135.86604951(世界測地系)
北側尾根下から杉林越しに見た墳丘、群中唯一の前方後円墳、細い尾根上に1基だけ孤立して存在


前方部から後円部


石室開口部、石室前は崖になっている


羨道、玄門の天上石が一段下がっている


群中最大級の玄室


奥から外


12C059
玄室、奥壁が手前に崩壊している、割と最近のようだ


奥から外


12C062
背の高い玄室、玄室奥辺りしか残っていない


12C063
玄門、奥から、玄室はかなり破壊


12C082
玄室


奥から外


12C083
玄室


12C084
玄室


奥から外


12C089
石室正面、後世の改変があるかも


玄室


奥から外


12C090
背の高い玄室


奥から外


12C096
背の高い玄室、群中でも最大クラスの石室、やや孤立して存在


奥から外


12C126
墳丘


玄室


12C137
墳丘、手前が奥壁側


玄門、奥から、羨道は埋没


12C150
登山道脇に露出した石室


玄室、外見の割に状態はよい


(見学記)
2000年
奈良の古墳仲間と龍王山古墳群に行ってきました。目的は群中唯一の前方後円墳(48号)と横口式石槨墳(89号)。89号と思われる 12C089 には割とすんなり行けたが残念ながら横口式石槨墳ではなかった。みんなでわいわいいいながら付近を捜索、状態のよい石室がいくつもありそれなりに満足できたが、結局石槨墳は分らず。48号は道が全く分らず断念。

2001年
前年のリベンジをすべく再訪問。登山道を登っていくと前年横にそれた道が分らず序でに上まで登ったらなんと尾根に自動車の通れる道があった。もっとも私にとっては元に戻らなくてはいけないからあまり意味はないけど。一度下まで降りて前年下ってきた道を逆に登って 12C089 付近にたどり着く。ここで写真を撮り、元の道を下るのは大変なので藪や谷川を強行突破してメインの登山道に出て長岳寺奥の院近くの 12C096 を見学、これが意外に大きな石室で満足。奥の院では水が湧出ていたが上に自動車道やトイレがあったのを知ってちょっと飲むのには躊躇してしまった。ある程度収穫があったので48号は諦めて下に降りようとしたが途中向いの斜面が上れそうだったので登ってみると尾根上に道がある。これは48号に至る道に間違いないと勇んで登って行く。30分ほどかかって登ると尾根が平坦になる辺りに古墳が見えてきた。一瞬喜んだがどうも見たような記憶が。なんと 12C089 辺りじゃないですか。いっぺんに力が抜けてしまった。結局登山道を2,3往復した感じでくたびれもうけでした。

2002年
前年の無駄足で奈良県遺跡地図と実際の地形の関係がかなり把握できたので今年はかなりの自信を持って再々挑戦。今回は今まで通らなかった谷川沿いの道を登っていく。右手の尾根上に48号があるはずだがかなり深い谷川なので降りられそうな場所を探しながら登っていくと谷川が二筋に分れた辺りに下草の生えてない斜面があったのでここを降りてさらに先の小川を渡る。向いの斜面は下草が生えていたが距離が短そうなので強行突破、12C046 がある辺りの平坦面にたどり着くと杉林越しに尾根の上に前方後円墳の姿が見えている。杉林は下草が生えてないので道はなくとも登るのは楽、尾根に上がると前方部はあまりはっきりしないけど丸い後円部がしっかり残っていて南側に石室が開口している。3年越しの成果におもわずガッツポーズ。入口に大きな茨が生えていたのでこれは玄室にお供え、玄室は他と変らない構造ながら群中では最大級の規模でした。帰り道はなんと尾根にしっかり道がある(と言っても人一人が通れる程度の山道ですが)。ここを下っていくとなんと龍王山登山道の入口辺りに降りられるじゃないですか。後日もう一度登ってみたらなんと15分ほどで到着、古墳群の主要な石室の中でも一番楽に来れる場所かもしれない。

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No title

2003年までは仙台に住んでいまして宮城県は古墳が少なく毎年のように関東遠征、奈良も毎年1回は行ってましたね。
今は故郷在住(ハンドル名はそれに因んでいます)、年のこともあってもう遠くへの遠征は難しくなっています。

このサイトは、近畿圏にお住まいの方が開設されているものと思っておりました。遠方にお住まいだったんですね。

No title

ありがとうございます。
地元かせめて隣県に住んでいるなら資料調べに行ってもいいんですが遠征では時間がありません。
資料調べする時間があるのなら少しでも古墳巡りしますね。

橿原考古学研究所の資料室に行かれたら龍王山古墳群報告書、奈良県遺跡地図、古代学研究62、63、75号など参考図書が閲覧できますよ。なお、報告書は博物館の図書スペースにもあります。遺跡地図も置いてあったかも知れません。ご活用下さい。

No title

詳しく教えてもらえるのはありがたいのですが各種調査報告書や遺跡地図を見られない状態ではもうわけがわかりません。
聖林寺裏山古墳は全く知りませんでした。

1982年災害、1984年橿考研砂防ダム絡みで発掘調査。報告書p11火燈地区89号墳(遺跡地図12c89)、p48一覧表70号墳(軍ケ滝地区、遺跡地図12c58)は横口式石槨ではなく、1971年刊行の奈良県遺跡地図第2分冊12c70(ツツジケ原地区)が古代学研究62号記載の89号墳で報告書付図の56~63の尾根の58、59の南方、谷川の北岸を通る山道のすぐ北に南向きに開口してました。私が見学した1975年過ぎ頃は、この尾根の南斜面が皆伐後、植林されてあまり年数が経ってない状態でした。(崩壊し易かったかも)今この尾根は南側がえぐれ56~63は細尾根となっています。元はもっとぷっくりした斜面でした。なお、報告書p12の分布図は、1971年の遺跡地図です。
追伸 関連する聖林寺裏山古墳(横口式石槨)は完全に埋め立てられて正確な位置不明であり見学不能です。

No title

昭和57年ということは1985年ですか。
最初の訪問時には既に崩壊していたんですね。
コフ友さん達と一緒にワイワイ言いながら探したんですが無駄足でしたか。
それだけが目的じゃないから十分楽しめましたが。

龍王山89号墳は昭和57年の災害による斜面崩壊により流失したと思われます。報告書記載の場所や古墳は間違っています。古代学研究記載の位置が本来の所在地です。

No title

斜面崩壊で消失ですか、残念です。
それにしてもよりによって89号とはね。
いつ頃のことなんでしょうか。

89号墳は災害で山の斜面が崩壊し跡形もなく流失しました。
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