奥之芝古墳群
奈良県宇陀市(旧榛原町)1999年3月訪問
4基中2基が団地内に保存
1号
磚槨墳、石室長6.3,玄室長2.6,幅1.2,高1.5
位置:34°32′02″N 135°57′45″E (日本測地系)
34.53716683 135.95965456(世界測地系)
石室を公園内に移築保存

羨道

玄室、磚積みの壁面が美しい

奥から外

2号
磚槨墳、石室長7,玄室長3,幅2,高1.9
位置:34°31′53″N 135°57′49″E (日本測地系)
34.53466721 135.96076558(世界測地系)
墳丘、石室正面

石室正面

玄室、1号より側壁の傾きが大きい

箱式石棺、薄い板石の組合式

奥から外

(見学記)
榛原小学校から国道を挟んだ東側にある4基からなる古墳群で1号は石室のみ移築保存、2号は現状維持、3,4号はわからず。
1号
ひのき団地北側の公園内に石室を移築、墳丘を復元しています。石室は両袖式の磚槨墳で全長 6.3m 玄室は 2.6,1.2,1.5m の大きさでさほど大きくはありません。奥壁側壁とも榛原石を使った典型的な磚積みで天井は板石を架けています。玄門部にL字型にカットした板石を使って羨道と玄室の側壁に共通させている部分が左右2カ所ずつ対称の位置にあるが何か意味が有るんだろうか。
2号
1号南側 300m の位置にある径 10m 程の円墳です。墳丘は低く南側に石室が開口羨道はかなり破壊されていますが玄室は完存、1号よりやや大きい同構造の磚槨墳ですがこちらの方が持ち送りがやや強い。玄室に榛原石の板石で造られた組合式は古式石棺があります。鎌倉時代にすでにバラバラにされ床面にしかれていたようですが現在は一部欠けていますが元のように組み合わされています。底石には側石をはめ込むためのほぞ穴が掘られ上面にも突起があって蓋石と組み合うよう丁寧な工作が施されています。柵があって中には入れません。県史跡。
4基中2基が団地内に保存
1号
磚槨墳、石室長6.3,玄室長2.6,幅1.2,高1.5
位置:34°32′02″N 135°57′45″E (日本測地系)
34.53716683 135.95965456(世界測地系)
石室を公園内に移築保存

羨道

玄室、磚積みの壁面が美しい

奥から外

2号
磚槨墳、石室長7,玄室長3,幅2,高1.9
位置:34°31′53″N 135°57′49″E (日本測地系)
34.53466721 135.96076558(世界測地系)
墳丘、石室正面

石室正面

玄室、1号より側壁の傾きが大きい

箱式石棺、薄い板石の組合式

奥から外

(見学記)
榛原小学校から国道を挟んだ東側にある4基からなる古墳群で1号は石室のみ移築保存、2号は現状維持、3,4号はわからず。
1号
ひのき団地北側の公園内に石室を移築、墳丘を復元しています。石室は両袖式の磚槨墳で全長 6.3m 玄室は 2.6,1.2,1.5m の大きさでさほど大きくはありません。奥壁側壁とも榛原石を使った典型的な磚積みで天井は板石を架けています。玄門部にL字型にカットした板石を使って羨道と玄室の側壁に共通させている部分が左右2カ所ずつ対称の位置にあるが何か意味が有るんだろうか。
2号
1号南側 300m の位置にある径 10m 程の円墳です。墳丘は低く南側に石室が開口羨道はかなり破壊されていますが玄室は完存、1号よりやや大きい同構造の磚槨墳ですがこちらの方が持ち送りがやや強い。玄室に榛原石の板石で造られた組合式は古式石棺があります。鎌倉時代にすでにバラバラにされ床面にしかれていたようですが現在は一部欠けていますが元のように組み合わされています。底石には側石をはめ込むためのほぞ穴が掘られ上面にも突起があって蓋石と組み合うよう丁寧な工作が施されています。柵があって中には入れません。県史跡。