千畳田古墳群
岡山県和気町2001年4月訪問、2011年再訪
円墳6基
4号
横穴式石室、残存長7m程度
中高式天井
位置:34°49′36″N 134°10′06″E (日本測地系)
34.82988411 134.1656457(世界測地系)
01年当時、僅かに石室が見えている

11年、開口部がよく見えるようになった

石室正面、前部が少し壊失しているもよう

石室は良好に残る、側壁は持ち送りがなく面が整えられている

天井部に隙間がポッカリ、中高式だそうだが

奥壁は左右に縦長の石材を並べる

奥から見た天井、石材の面が極めて平

中高式の部分、隙間が狭く山陰の中高式とは大分違うような、天井石の分厚さもよくわかる

奥から外

6号
横穴式石室、全長9.5m
位置:34°49′46″N 134°09′53″E (日本測地系)
34.83266165 134.16203466(世界測地系)
01年当時、羨道壊失

11年石室正面、藪が茂り後ろに下がれず、カメラの方が傾いている

内部は良好、持ち送りも殆どない

数学的法則がありそうな奥壁配置

奥から外、前部の天井石が傾いている

(見学記)
(2001年)
日笠川沿いの県道46号を北上すると橋の脇に小さな石の標識があります。相変わらずその後のフォローがありませんが橋を渡って正面右側斜面上に4号墳があります。南側に石室が開口、無袖式ですが天井が入り口側に向かって少しずつ低くなっています。奥壁は縦長の石を2枚並べています。天井ほぼ中央に大きな隙間がありその上に石をかける中高式の天井、岡山では唯一の例で因幡東部によく見かけるそうですがあちらに比べてかなり隙間が狭いです。この周囲に4基の古墳があるそうだが全く見つけることは出来なかった。
4号西側に墓地がありその西側斜面に6号墳があります。下の道からやや離れているのでよく目を凝らさないとわかりません。南側に石室が開口、羨道はかなりか遺失しているようですが全長9.5mと群中最大、閉塞石も残っています。奥壁も4号と同じ縦長の石2枚を並べています。町史跡。
(2011年)
以前見つけた4,6号以外にも石室があると判明して10年ぶりに再訪してみたけど結果的には以前と同じ2基しか見られなかった。民家背後にある5号は家の人がおらず古墳犬が吠えまくって断念。上の方にある1,7号は痕跡のような道もなくとてもじゃないが無理です。せめて6号だけでもと思って行ってみたけれど墓地の前に新しい建物が出来ていて随分雰囲気が違っていました。以前は道路からかろうじて見えていた開口部もまず見えない。幸い東屋から少し下った辺りから痕跡道が藪の中に通っていて墳丘背後にたどり着けました。石室自体は変わらず、当たり前か。せっかくだから4号の中高式天井もじっくり見てみましたが山陰の中高式とは随分違いますね。施工ミスか単なる大きな隙間か。
円墳6基
4号
横穴式石室、残存長7m程度
中高式天井
位置:34°49′36″N 134°10′06″E (日本測地系)
34.82988411 134.1656457(世界測地系)
01年当時、僅かに石室が見えている

11年、開口部がよく見えるようになった

石室正面、前部が少し壊失しているもよう

石室は良好に残る、側壁は持ち送りがなく面が整えられている

天井部に隙間がポッカリ、中高式だそうだが

奥壁は左右に縦長の石材を並べる

奥から見た天井、石材の面が極めて平

中高式の部分、隙間が狭く山陰の中高式とは大分違うような、天井石の分厚さもよくわかる

奥から外

6号
横穴式石室、全長9.5m
位置:34°49′46″N 134°09′53″E (日本測地系)
34.83266165 134.16203466(世界測地系)
01年当時、羨道壊失

11年石室正面、藪が茂り後ろに下がれず、カメラの方が傾いている

内部は良好、持ち送りも殆どない

数学的法則がありそうな奥壁配置

奥から外、前部の天井石が傾いている

(見学記)
(2001年)
日笠川沿いの県道46号を北上すると橋の脇に小さな石の標識があります。相変わらずその後のフォローがありませんが橋を渡って正面右側斜面上に4号墳があります。南側に石室が開口、無袖式ですが天井が入り口側に向かって少しずつ低くなっています。奥壁は縦長の石を2枚並べています。天井ほぼ中央に大きな隙間がありその上に石をかける中高式の天井、岡山では唯一の例で因幡東部によく見かけるそうですがあちらに比べてかなり隙間が狭いです。この周囲に4基の古墳があるそうだが全く見つけることは出来なかった。
4号西側に墓地がありその西側斜面に6号墳があります。下の道からやや離れているのでよく目を凝らさないとわかりません。南側に石室が開口、羨道はかなりか遺失しているようですが全長9.5mと群中最大、閉塞石も残っています。奥壁も4号と同じ縦長の石2枚を並べています。町史跡。
(2011年)
以前見つけた4,6号以外にも石室があると判明して10年ぶりに再訪してみたけど結果的には以前と同じ2基しか見られなかった。民家背後にある5号は家の人がおらず古墳犬が吠えまくって断念。上の方にある1,7号は痕跡のような道もなくとてもじゃないが無理です。せめて6号だけでもと思って行ってみたけれど墓地の前に新しい建物が出来ていて随分雰囲気が違っていました。以前は道路からかろうじて見えていた開口部もまず見えない。幸い東屋から少し下った辺りから痕跡道が藪の中に通っていて墳丘背後にたどり着けました。石室自体は変わらず、当たり前か。せっかくだから4号の中高式天井もじっくり見てみましたが山陰の中高式とは随分違いますね。施工ミスか単なる大きな隙間か。