塚山古墳群第Ⅰ支群

兵庫県赤穂市2000年4月訪問、2012年3月再訪

第Ⅰ支群28基、第Ⅱ支群16基、第Ⅲ支群以下まだ増えそう

【第Ⅰ支群】
小支群ⅠaⅠbⅠcⅠdⅠeⅠf(仮称)
2000年(クリックでジャンプ)

Ⅰa小支群
1号
R14
石室全長8.6m(推定)、玄室幅1.5,高1.95m
位置:34°50′11″N 134°24′18″E (日本測地系)
    34.83961179 134.40229146(世界測地系)
下草が刈られて見やすくなった墳丘


石室正面


開口部、前部は少し失われているもよう


良好に残る石室


側壁はやや内側に傾く


奥壁は巧みに積むもややバランスが悪い


奥から外、無袖かな



2号
R11
石室全長6m以上

墳丘は良好に残る


開口部、前部壊失天井も傾く


内部は土圧で大きく歪む、よく崩壊しなかったなと思うレベル


3号
R12
石室全長6.9m(推定)

盗掘で大きく窪んだ墳丘


石材も殆ど抜かれている


奥壁は元位置に残っているようだ


4号
R10
石室全長6.9m、玄室長3.2,幅1.4,高1.9m

良好に残る墳丘,、右手前は羨道石材のようだ


開口部正面、天井石がずり落ちかけている


開口部から見た石室内部


良好に残る玄室、側壁は上部がやや持ち送り


巨石2段積みの奥壁、ここが余分な石材がなく一番すっきり


奥から外、片袖式、右に僅かな幅の袖石を立てる


羨道奥から、偶然でしょうが傾いた側壁と天井石のカーブが微妙に一致している


中央4号、左奥3号、右奥6号


5号
_1:低い墳丘が残る、偶々古墳見学会の人々と遭遇


6号
円墳、R17
複室石室、石室全長11.4m、玄室長6.7,幅2.5,高2.4m

群中最大の墳丘、石室、かっては方墳と思われていたが前面だけ直線状になった円墳と判明


石室正面、天井石が傾く


羨道は上部を失う


前室、左側だけ柱状の袖石がある


後室玄門


後室、巨石を使った奥壁、上段の石が右にはみ出てバランスが悪い


〃(縦位置)


手前の天井石がすこぶる巨石


奥から外


前室奥から


背後から見た墳丘


9号
5号に隣接、周溝を共有


Ⅰb小支群
7号
横穴式石室、推定全長6.6m

墳丘前面が大きく盗掘


石室最後部しか残っていない


奥壁は平面に整えられている


背後から見た墳丘、斜面カットした様子や外護列石が見られる


8号
横穴式石室、全長5.5m、玄室幅1.3m

割とよく残る墳丘、石室前面は破壊、左背後に11号


羨道天井部が開口


良好に残る石室


奥壁は腰石を据えその上に丸い鏡石


奥から外、片袖か無袖か


墳丘背後から、左奥に見えているのが6号


11号
横穴式石室、推定全長4.5m

急斜面に立地


開口部、入るのは困難


露出した天井石、1枚が折れている


かなり歪んだ玄室


墳丘横から


12号
横穴式石室、推定全長4.1m、玄室長3.4m

墳丘ハッキリせず石材露出


天井石は動かされているもよう


これが奥壁辺りでしょうか


13号
右手前の石材が13号、奥に14号以下幾つか古墳が見えている


14号
横穴式石室、全長3m

比較的残る墳丘に天井石露出


天井石は動いているようだ


奥後方から、石室埋没


斜面上から見た墳丘


15号
僅かに石材が露出するのみ


16号
石材露出


側壁と天井石の一部でしょうか


18号
斜面高い場所にある墳丘


天井石露出


細長い石室と言う程度しか分からない


不明1
僅かな高まりと中央部に石材露出


不明2
墳丘ははっきりせず奥壁辺り残存


7号に比べると奥壁の積み方は粗い


不明1,2は撮影順からして7,11号付近だと思うが分布図(大和國古墳墓取調室参照)には載ってない、と言うより初めは知らずに分布図に合わせたので番号は違っているのがあるかも

Ⅰc小支群
19号
丘陵裾辺りに立地、はっきりした墳丘が残る


20号
斜面上から見た墳丘、頂がやや窪む


左19,右20号


21号
僅かな高まりが残るのみ


22号
緩斜面に僅かな高まり


Ⅰd小支群
25号
横穴式石室、全長3.7m

丘陵中腹の斜面に気づかれた墳丘、側にあるはずの23,24号は分からず


石室正面、前部破壊


玄室後部は良好に残存


26号
比較的墳丘が残る


手前の石が石室最前部でしょうか


小型ながら石室良好


Ⅰe小支群
27号
尾根直下の斜面に構築、背後に斜面をカットした跡が残る


斜面上から見た墳丘


僅かに石材露出


内部は殆ど埋まる、一段下がっている石がまぐさ石か


28号
横穴式石室、全長6.1m、玄室幅1.2,高1.2m

尾根上に構築、石材が露出


天井石壊失も石室は先端まで残っているもよう


天井石を大半失うも玄室残存


斜め後方から、天井石が落下している


石室後方から


玄室、天井石が落ちかかっている


奥壁は四角い鏡石を据え上に平石2段


奥から外、天井石と側壁が微妙に支え合っている、よく崩れなかったなと思うレベル


Ⅰf小支群(仮称、数字も仮称)
29号
僅かな高まり、石材散乱


30号
正面から、はっきり石室と分かるレベル


横から、左側の天井石のようだ


背後から、石室部分が窪む


31号
炭焼き窯かなとも思ったがやはり石室かな


小型の玄室


下部の石が大きく石室らしい石組み


石室背後から


32号
尾根筋直下に立地


墳丘良好、前は急斜面


天井石1枚露出


内部は殆ど埋没


(2000年)
1号
林の中に藪に覆われた墳丘


大きな玄室


奥から外、大きな開口部


2号
かなり歪んだ玄室


4号
藪に包まれた墳丘


2段積み奥壁、それ程大きくない


奥から外、右片袖式


6号
大きな墳丘が残る、開口部で天井石が傾いている


羨道からして大きい、袖石が突き出ている玄門


2段積み奥壁


奥から外、両袖式


羨道奥から、手前は前室


7号
玄室


奥から外、右片袖式


11号
小型玄室奥が残る


(見学記)
(2012年)
赤穂市有年牟礼、以前は5,6基が見られるだけだったけど支群が増え藪も刈られて見学しやすくなっていたので再訪してみました。以前の写真を見てみると6号背後は藪だけどすっかり刈り払われ幾つも墳丘や石室が見えていました。こんな近くにあったのね。ただ最初訪問時もこの藪の中を探しているようで11号墳は見ているようだけど全く記憶にないな。もっともっとあったのようだけど当時は藪の中だったしな。この辺りは数はあるがまだそれ程でもないけど更に奥の第Ⅱ支群の方には墳丘石室とも良好なのが幾つもあります。一番奥には多角形墳かと思われるのも残っています。見学しやすくなったとはいえまだ遊歩道とかは整備されていないし水が流れていて足下が悪い場所もあったりして全部見学するにはやはり半日くらいかかるでしょうか。入り口近くのT字路辺りに車1台分の駐車スペースあり。

(2000年)
有年原・田中遺跡東方、南北に伸びる谷の中程にある8基からなる古墳群です。谷の西側にある道路を北上すると説明板があり、イノシシ除けの柵があるがちょっと失礼して林の中に入ると古墳が集中しています。その北側にあるのが盟主墳の6号墳、一見して他の比べて大きな方墳で石室も立派です。南側に開口する石室の前に立つと羨道天井石が大きく傾いていますが中に入るのは楽々、板石を使った桐谷2号墳と同様の構造が目に付き一見ここが玄門のようですが石室すぐ左手に柱状の袖石があり、板石は玄室を前後に分ける仕切です。後室の方がやや小さいですが側壁を見ると前室に比べて後室の方が大きくはっきり区別されているようです。奥壁は上下2段積みの巨石です。石室全長11.44m、前室長3.45,後室長3.12m。県史跡。他に中に入れるほどの石室が3基、玄室が土圧で崩壊しかかっているものや盗掘で石室がすっかり破壊されているのもあります。

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