大塚古墳群
岡山県瀬戸内市(旧長船町)2001年4月訪問、2006年2011年再訪
総数20基以上(8,9,11号は06年、それ以外は11年撮影)
1号
墳丘はそこそこ残るが

石室部分盗掘

5号
僅かな高まりが残るも天井石露出

天井石が点々と残る

墳頂部辺り

最奥だけが僅かに残る、奥壁は1枚石っぽい

6号
横穴式石室
位置:34°41′53″N 134°08′27″E (日本測地系)
34.70128778 134.1381515(世界測地系)
割と大きな墳丘、天井石露出

露出した天井石

天井部に大きな隙間

石室は殆ど埋没、奥が辛うじて見える

7号
横穴式石室
位置:34°41′46″N 134°08′18″E (日本測地系)
34.69934353 134.13565178(世界測地系)
谷南側墓地の側、北向きに開口

墳丘は石室を辛うじて覆う程度

前面の天井石が上下とも平面に仕上げられている

羨道、側壁の一部がせり出している

巨大な玄室が良好に残る、側壁の持ち送りも殆どない

奥壁は巨石の上に半弧状の石を乗せる

奥から外、片袖式

8号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′46″N 134°08′34″E (日本測地系)
34.6993436 134.14009582(世界測地系)
石室開口部、羨道は壊失している模様

玄室、奥がやや狭まる

奥から外、無袖式

9号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′49″N 134°08′30″E (日本測地系)
34.70017681 134.13898479(世界測地系)
石室開口部

羨道

玄室、側壁が一様に傾く

玄室奥にある箱式石棺

奥から外、無袖式、羨道天井が1段下がる

10号
石室正面、羨道部はかなり崩壊

開口部

羨道から玄室、玄室に堆積した土を掘った跡がある

良好に残る玄室、床面の石は石棺破片か

三角形の鏡石を据えた奥壁、最奥の天井石が一段下がる

奥から外、片袖式

その他1
10号側、大きく盗掘

奥壁のみ残存、何故これだけ残した?

11号
横穴式石室
位置:34°41′43″N 134°08′38″E (日本測地系)
34.69851038 134.14120686(世界測地系)
石室開口部

羨道

玄室、群中最大

奥から外、右片袖式

背後から見た墳丘

12号
よく残る墳丘、石室前部はやはり破壊

開口部

羨道から玄室

持ち送りのない玄室

上下2段積みの奥壁

奥から外、片袖式

その他2
12号側、低い墳丘が残る

上部を壊失した石室露出

玄門辺りでしょうか

17号
横穴式石室
位置:34°41′47″N 134°08′27″E (日本測地系)
34.69962131 134.13815155(世界測地系)
急斜面に立地、石室前部は破壊されているようだ

背後から見ると急斜面の割に墳丘が良好に残る

細長い玄室

半ば埋まっていたのを掘り返した跡がある

奥から外

(見学記)
(2001年)
茶臼山北東に大塚の集落があります。谷筋を入っていくと奥に溜池があります。この直前で道を左にそれると北側に墓地がありその背後に崩壊した石室が2,3基見えています。元の道に戻って更に東に行くとやや広い山道と交差する手前右側に古墳があります(仮称1号)。石室が道と反対側に開口していてあやうく見逃すところでした。入り口はかなり狭いですが中に入れます。無袖式で羨道天井が一段低くなっています。玄室奥には殆ど埋まった箱式石棺が2基あります。更に道を東に100m程行くと右手に古墳がありますが(仮称2号)やや離れているので冬場でないと見逃すかもしれません。ここも南側に石室が開口、羨道はかなり崩壊しているようですが残存長7,8m程度でこれが主墳でしょうか。無袖式で奥がやや狭まっています。開口部左側に箱式石棺が半ば埋まっています。他にもあるかもしれない。更に東にも行ってみましたがこれ以上は無さそうです。
(2006年)
前回仮称2号から東はなさそうと書きましたが行き方が少々足りなかった。最大の石室は仮称2号墳から更に7,80m程奥、道路北側(山側)にあり道路から石室が開口しているのが見えています。羨道玄室とも良好に残っていて全長も10mほどありそう。玄室は右片袖式で長6m程、奥壁は鏡石の上と右に1個ずつ石を配している。それにしても最大の石室がこんな奥にあったとはね。(後日この背後にもう一基石室があったと聞きショック)
(更に後日もっともっと石室があると知って再々訪決定)
(2011年)
ここも3回目、一度目はOBITOさんに存在を教えて貰って全く分布が分からない状況で訪問、二度目は最大の石室が他にあるというので訪問、更にかまどねこさんが現れて多くの石室があると分かったのでついに三度目。まずは最大墳の10号背後にある幾つかの石室を訪問。10,12号は墳丘石室ともよく残っている。前回11号を訪問した時墳丘がよく残っているのだから背後から撮っていれば気がついただろうにな、残念。どちらにしろ他にもあるから3度目はあったけどね。更に上の方にある幾つかはパス。ため池北側墓地辺りにあるのは1度目で気がついていたけど何故か写真に撮っていなかった。状態が良くないし銀塩の時代だからフィルム代が勿体なかったのかな。更にため池南側にある7号を訪問、墓地の奥まった場所にあり北向きに石室開口、羨道玄室とも良好に残っています。羨道は立ったまま入れるほどの大きさ、玄室は11号に匹敵する大きさ側壁は持ち送りが殆どなく奥壁は巨石2段積み、袖石を立てた左片袖式です。羨道最前面の天井石が少し滑り落ちかけているような、と言っても大きな地震がない限り数百年は持つだろうけど。これで一応全て終了、と思って帰ってからチェックしてみたら7号近くの17号を訪問するのを忘れていた(汗)、まあいいか。
(翌年行ってきました。さすがに奥のため池まで行くのが面倒で集落入り口辺りの空き地に車を停めたけどここから歩いていったってたいした違いはないじゃないか)
総数20基以上(8,9,11号は06年、それ以外は11年撮影)
1号
墳丘はそこそこ残るが

石室部分盗掘

5号
僅かな高まりが残るも天井石露出

天井石が点々と残る

墳頂部辺り

最奥だけが僅かに残る、奥壁は1枚石っぽい

6号
横穴式石室
位置:34°41′53″N 134°08′27″E (日本測地系)
34.70128778 134.1381515(世界測地系)
割と大きな墳丘、天井石露出

露出した天井石

天井部に大きな隙間

石室は殆ど埋没、奥が辛うじて見える

7号
横穴式石室
位置:34°41′46″N 134°08′18″E (日本測地系)
34.69934353 134.13565178(世界測地系)
谷南側墓地の側、北向きに開口

墳丘は石室を辛うじて覆う程度

前面の天井石が上下とも平面に仕上げられている

羨道、側壁の一部がせり出している

巨大な玄室が良好に残る、側壁の持ち送りも殆どない

奥壁は巨石の上に半弧状の石を乗せる

奥から外、片袖式

8号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′46″N 134°08′34″E (日本測地系)
34.6993436 134.14009582(世界測地系)
石室開口部、羨道は壊失している模様

玄室、奥がやや狭まる

奥から外、無袖式

9号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′49″N 134°08′30″E (日本測地系)
34.70017681 134.13898479(世界測地系)
石室開口部

羨道

玄室、側壁が一様に傾く

玄室奥にある箱式石棺

奥から外、無袖式、羨道天井が1段下がる

10号
石室正面、羨道部はかなり崩壊

開口部

羨道から玄室、玄室に堆積した土を掘った跡がある

良好に残る玄室、床面の石は石棺破片か

三角形の鏡石を据えた奥壁、最奥の天井石が一段下がる

奥から外、片袖式

その他1
10号側、大きく盗掘

奥壁のみ残存、何故これだけ残した?

11号
横穴式石室
位置:34°41′43″N 134°08′38″E (日本測地系)
34.69851038 134.14120686(世界測地系)
石室開口部

羨道

玄室、群中最大

奥から外、右片袖式

背後から見た墳丘

12号
よく残る墳丘、石室前部はやはり破壊

開口部

羨道から玄室

持ち送りのない玄室

上下2段積みの奥壁

奥から外、片袖式

その他2
12号側、低い墳丘が残る

上部を壊失した石室露出

玄門辺りでしょうか

17号
横穴式石室
位置:34°41′47″N 134°08′27″E (日本測地系)
34.69962131 134.13815155(世界測地系)
急斜面に立地、石室前部は破壊されているようだ

背後から見ると急斜面の割に墳丘が良好に残る

細長い玄室

半ば埋まっていたのを掘り返した跡がある

奥から外

(見学記)
(2001年)
茶臼山北東に大塚の集落があります。谷筋を入っていくと奥に溜池があります。この直前で道を左にそれると北側に墓地がありその背後に崩壊した石室が2,3基見えています。元の道に戻って更に東に行くとやや広い山道と交差する手前右側に古墳があります(仮称1号)。石室が道と反対側に開口していてあやうく見逃すところでした。入り口はかなり狭いですが中に入れます。無袖式で羨道天井が一段低くなっています。玄室奥には殆ど埋まった箱式石棺が2基あります。更に道を東に100m程行くと右手に古墳がありますが(仮称2号)やや離れているので冬場でないと見逃すかもしれません。ここも南側に石室が開口、羨道はかなり崩壊しているようですが残存長7,8m程度でこれが主墳でしょうか。無袖式で奥がやや狭まっています。開口部左側に箱式石棺が半ば埋まっています。他にもあるかもしれない。更に東にも行ってみましたがこれ以上は無さそうです。
(2006年)
前回仮称2号から東はなさそうと書きましたが行き方が少々足りなかった。最大の石室は仮称2号墳から更に7,80m程奥、道路北側(山側)にあり道路から石室が開口しているのが見えています。羨道玄室とも良好に残っていて全長も10mほどありそう。玄室は右片袖式で長6m程、奥壁は鏡石の上と右に1個ずつ石を配している。それにしても最大の石室がこんな奥にあったとはね。(後日この背後にもう一基石室があったと聞きショック)
(更に後日もっともっと石室があると知って再々訪決定)
(2011年)
ここも3回目、一度目はOBITOさんに存在を教えて貰って全く分布が分からない状況で訪問、二度目は最大の石室が他にあるというので訪問、更にかまどねこさんが現れて多くの石室があると分かったのでついに三度目。まずは最大墳の10号背後にある幾つかの石室を訪問。10,12号は墳丘石室ともよく残っている。前回11号を訪問した時墳丘がよく残っているのだから背後から撮っていれば気がついただろうにな、残念。どちらにしろ他にもあるから3度目はあったけどね。更に上の方にある幾つかはパス。ため池北側墓地辺りにあるのは1度目で気がついていたけど何故か写真に撮っていなかった。状態が良くないし銀塩の時代だからフィルム代が勿体なかったのかな。更にため池南側にある7号を訪問、墓地の奥まった場所にあり北向きに石室開口、羨道玄室とも良好に残っています。羨道は立ったまま入れるほどの大きさ、玄室は11号に匹敵する大きさ側壁は持ち送りが殆どなく奥壁は巨石2段積み、袖石を立てた左片袖式です。羨道最前面の天井石が少し滑り落ちかけているような、と言っても大きな地震がない限り数百年は持つだろうけど。これで一応全て終了、と思って帰ってからチェックしてみたら7号近くの17号を訪問するのを忘れていた(汗)、まあいいか。
(翌年行ってきました。さすがに奥のため池まで行くのが面倒で集落入り口辺りの空き地に車を停めたけどここから歩いていったってたいした違いはないじゃないか)