大日古墳
山口県防府市 2002年4月訪問、2016年1月再訪
前方後円墳、TL42,RH5.5
横穴式石室、全長9.4m,玄室長3.6,幅2.1,高2.3m
家形石棺
位置:34°04′09″N 131°33′01″E (日本測地系)
34.07242651 131.54784314(世界測地系)
(2016年)
後円部南側に開口、墳丘も良好

羨道前部は天井壊失、初めから無かった可能性もあるかも

巨石を使った羨道後部、奥の2枚は重ねがない1枚石

県内で唯一家形石棺が残る玄室

奥壁は3段積み、隙間の詰石は殆ど無い

左側壁は巨石、奥壁より巨大

右側壁も巨石、基本3段積み

天井は1枚石

奥から外、両袖式だが単独の袖石でなく側壁がそのまま袖として使われている

羨道奥から

見事な家形石棺、上部が幅広い、縄掛突起は角型で6個

蓋石は多少ずれているような、突起は入口側より奥の方がやや大きいようだ

自然光で撮ってみました、蓋石の直線具合がよくわかります

右斜め前から

前方部から後円部

後円部から前方部、前方部はほぼ墓地となっている

前方部山側、周溝になっていたようです、現在は水が溜まっているが当時はどうだったでしょう

(2002年)
石室正面、一部改変を受けているかもしれない

羨道も巨石を積んでかなり立派

玄室、石棺、天井石は1枚石の巨石

奥から外、両袖式

県内で唯一残る家形石棺

縄掛け突起の幅が広い

(見学記)
(2016年)
防府市高井、防府病院西側100m墓地の中にある古墳です。東西に主軸を伸ばす全長40mの前方後円墳、後円部は樹木に覆われ前方部は墓地になっていますが墳形は割と残っています。前方部山側に細長い池がありますが周溝跡でしょうか、ただ後円部側にはそれらしいのは見えません。後円部南側に石室開口、全長13m県内最長の横穴石室で羨道玄室とも良好に残っています。羨道玄室とも巨石が使われていますが羨道は規模の割に背が低く真直ぐ立つと頭がつかえる状態です。玄室は両袖式ですが袖石はなく側壁の厚みがそのまま袖になっています。まぐさ石は分厚く量感のある巨石、奥壁は3段積み、側壁も2,3段で上部がやや内傾し奈良の岩屋式石室だそうです。天井も1枚でこれもすこぶるの巨石。玄室中央に鎮座しているのが県内唯一の石室内に残る刳抜式家形石棺で凝灰岩製、蓋石が若干ずれているようですが破壊の様子は全く無く屋根の稜線部分はまるで造ったばかりのような鋭さがあり6個ある縄掛突起は四角く重厚です。しかし羨道の断面を考えるとこれを入れるのは大変だったろうな。説明板西側に小さな駐車スペースあり。国史跡。
(2002年)
防府病院の北側にあるというので簡単に見つかると思ったが病棟を間違えたおかげで以外と手間取った(後でわかったのだがこの時前方部に上がっていたのだが気づかなかった)。古墳は墓地の中にあるが後円部は藪に覆われ前方部も墓地があり前方後円墳とはわかりにくい。後円部南側に石室が開口、玄室内にある凝灰岩制家形石棺は県内で唯一残存している石棺です。国史跡。
前方後円墳、TL42,RH5.5
横穴式石室、全長9.4m,玄室長3.6,幅2.1,高2.3m
家形石棺
位置:34°04′09″N 131°33′01″E (日本測地系)
34.07242651 131.54784314(世界測地系)
(2016年)
後円部南側に開口、墳丘も良好

羨道前部は天井壊失、初めから無かった可能性もあるかも

巨石を使った羨道後部、奥の2枚は重ねがない1枚石

県内で唯一家形石棺が残る玄室

奥壁は3段積み、隙間の詰石は殆ど無い

左側壁は巨石、奥壁より巨大

右側壁も巨石、基本3段積み

天井は1枚石

奥から外、両袖式だが単独の袖石でなく側壁がそのまま袖として使われている

羨道奥から

見事な家形石棺、上部が幅広い、縄掛突起は角型で6個

蓋石は多少ずれているような、突起は入口側より奥の方がやや大きいようだ

自然光で撮ってみました、蓋石の直線具合がよくわかります

右斜め前から

前方部から後円部

後円部から前方部、前方部はほぼ墓地となっている

前方部山側、周溝になっていたようです、現在は水が溜まっているが当時はどうだったでしょう

(2002年)
石室正面、一部改変を受けているかもしれない

羨道も巨石を積んでかなり立派

玄室、石棺、天井石は1枚石の巨石

奥から外、両袖式

県内で唯一残る家形石棺

縄掛け突起の幅が広い

(見学記)
(2016年)
防府市高井、防府病院西側100m墓地の中にある古墳です。東西に主軸を伸ばす全長40mの前方後円墳、後円部は樹木に覆われ前方部は墓地になっていますが墳形は割と残っています。前方部山側に細長い池がありますが周溝跡でしょうか、ただ後円部側にはそれらしいのは見えません。後円部南側に石室開口、全長13m県内最長の横穴石室で羨道玄室とも良好に残っています。羨道玄室とも巨石が使われていますが羨道は規模の割に背が低く真直ぐ立つと頭がつかえる状態です。玄室は両袖式ですが袖石はなく側壁の厚みがそのまま袖になっています。まぐさ石は分厚く量感のある巨石、奥壁は3段積み、側壁も2,3段で上部がやや内傾し奈良の岩屋式石室だそうです。天井も1枚でこれもすこぶるの巨石。玄室中央に鎮座しているのが県内唯一の石室内に残る刳抜式家形石棺で凝灰岩製、蓋石が若干ずれているようですが破壊の様子は全く無く屋根の稜線部分はまるで造ったばかりのような鋭さがあり6個ある縄掛突起は四角く重厚です。しかし羨道の断面を考えるとこれを入れるのは大変だったろうな。説明板西側に小さな駐車スペースあり。国史跡。
(2002年)
防府病院の北側にあるというので簡単に見つかると思ったが病棟を間違えたおかげで以外と手間取った(後でわかったのだがこの時前方部に上がっていたのだが気づかなかった)。古墳は墓地の中にあるが後円部は藪に覆われ前方部も墓地があり前方後円墳とはわかりにくい。後円部南側に石室が開口、玄室内にある凝灰岩制家形石棺は県内で唯一残存している石棺です。国史跡。