橋本古墳群
岡山県矢掛町 1988年4月訪問、91年4月、12年3月、19年1月再訪
15基以上
(2019年)
8号
荒神塚西方の尾根南斜面に3基並ぶ、欠番8-10号を仮番号として割り当てる

僅かな高まり

明確な石材は奥の1個だけ

9号
位置:34°35′56″N 133°35′46″E (日本測地系)
34.60212394 133.59348199(世界測地系)
8号西側に同様の高まり、左後方に山道が見えていますが前年の豪雨で大きな雨裂があった

南向きに開口

開口部、左側に羨道側壁が残存

土砂流入も石室自体は良好

一部凹むなどちょっと変わった形の奥壁鏡石

奥から外、右片袖かな、まぐさ石が一段下がっている

10号
更に西側に同様の高まり

盗掘されたのか墳頂部が凹んでいる

露出した石材、元の状態がわからない程、手前の石は割られた跡がある、多分後世のもの

(2012年)
1号
はっきりした墳丘が残るも石材見られず

2号
崩壊気味の天井石露出

石室も前部は埋まるが後部で隙間開口

前部の崩れ落ちている天井石

石室後部、半ば埋まるも奥まで見える、鏡石が天井まで届いている

奥の隙間から

3号
横穴式石室
位置:34°35′54″N 133°35′44″E (日本測地系)
34.60156844 133.59292652(世界測地系)
斜面に背の高い墳丘が残る

墳頂部に石室開口

天井石露出

15号以外では一番良好に残る玄室、奥壁は下部に大型石材を据える

奥から外、無袖かな、若干左側(斜面下側)に傾いているよう

4号
低い墳丘が残る

上部を失った石室露出

奥壁辺り

5号
石室正面から

後部で天井石残存

内部も殆ど埋まる

6号
低い墳丘に僅かに石材露出

7号
傾いた天井石露出

石室の方向が分かる程度

分厚い板状に加工された天井石

(8-10号は欠番)
11号
横穴式石室、全長6.4m
位置:34°35′54″N 133°35′55″E (日本測地系)
34.60156847 133.59598178(世界測地系)
相変わらず藪に包まれた露出石室

東側から、藪で隙間も伺えなかった

12号(仮)
低い墳丘に直線状に石材露出

石室だろうな

この辺りが奥壁でしょうか

13号
はっきりした墳丘頂部に石室露出

上記反対側から

こちら側が入口側天井

かなり加工された天井石

上記反対側から

内部は大分埋まっているが奥壁上部が見えている、側壁奥壁が黒くなっているが天井はそうでもない

奥から外、前部は完全埋没

14号
状態の良い墳丘

上記反対側、こちらが入口側

石室前部埋没、中程で開口

内部は半ば埋まるも奥壁まで見えている

15号(橋本荒神塚古墳)
円墳、R20,H5
横穴式石室、全長7.1m、玄室長5.85,幅2,高2.35m
位置:34°35′57″N 133°35′48″E (日本測地系)
34.60240169 133.59403748(世界測地系)
20年前と殆ど変わりない状況

開口部正面

他と比べて隔絶した規模の石室

県内では一番見やすい石棚かな

割と低い位置にある石棚

石棚上部奥壁

石棚下部、下部が曲面で左側が抜け落ちそうなので支えを置いたかなと想像

奥から外、両袖式

墳丘横から、斜面をカットした跡がよく残っている

16号(仮)
緩斜面に僅かな盛り上がり

この石組みはどうみても石室

背後から

(1988、91年)
11号(88年)
露出した天井石

石室内部、奥壁辺り

15号(橋本荒神塚古墳)
お堂背後に開口

石棚のある玄室、下の支柱は当時のものかどうかは不明

奥から外

墳丘

(見学記)
(2019年)
矢掛町里山田、更に3基の古墳が追加されたので再訪しました。東に伸びる尾根筋の南斜面に3基の古墳がならんでいます。東から8-19号(欠番を当てた仮番号)、どれも古墳を思わせる高まりがありますが8,10号は石室が大きく破壊され9号だけ無袖式の石室が残り中に入れます。しかし7年前も追加があって訪問した時は殆が藪の中、今回のは藪でもなく荒神塚からすぐ歩いて1分程、今までで一番楽だった。前回通った道からも墳丘が見えているけど存在を知らなければ気が付かないな。昨年の豪雨の跡がこんな所にも残っていた、前の道が大きく抉られて2m近い深さの溝が出来ていました。荒神塚までの道が狭いので今までは下の県道に車を止めて歩いていっていましたが今回初めて荒神塚まで車で行きました、駐車場有り。
(2012年)
矢掛町里山田、以前は石棚のある15号と石室の露出した11号しか見てなかったのですが(これが普通)かまどねこさんが更に多く見つけてくれたので再訪していました。20年ぶりの訪問だけど辺りの様子は殆ど変わらず。まず1号を訪問ここを起点に南側の1-7号、13,14号を探してみました(8-10号は欠番)。15号南西杉林の中低い尾根先端に1号があります。明瞭な墳丘が残っているが石室は見られず。ただ矢掛町史(旧版)では開口した石室が載っているけどね、ただ本文は奥壁が残るとなっていてよく分かりません。ここから更に南西斜面裾辺りに2-6号が集中、石室が良好なのは3号くらいで他は大分破壊されています。更に藪の中を進むと7号かな、低い墳丘に石材散乱状態です。更に南に進むとやや開けた場所に13,14号があります。上側は14号で墳丘が良好に残っています。南向きの石室は現墳丘のほぼ中央辺りに開口しているので奥はそれ程残ってないかなと思ったが意外に奥まで残っていました。ただ土砂がかなり流入し中に入ると方向転換が出来そうにないのでカメラを突っ込んで撮影。すぐ下の13号も墳丘がよく残っているが天井石露出内部もかなり埋まっています。石材の一部が黒くなっているが中で何か燃やしたんだろうか。14号上にも破壊された石室らしきものがある。15号側に駐車場有り。
(1991年)
池尻古墳群北方緩斜面の広い範囲に15基分布していますが確認できたのは2基だけ。最も北側にあるのが15号(荒神塚古墳)で荒神社背後に墳丘があり南側に石室が開口,羨道は殆ど無くなっていますが両袖式の玄室が完存,この石室の最大の特徴は奥壁に石棚があることです。奥行き1.5m程で人一人が横たわるには十分の面積があります(と言っても遺体が置かれていたという証拠があるわけではありませんが。かなり分厚くそのせいでしょうか下に石の支柱があります。入室容易。ここから南東墓地の側に11号墳の石室が露出,最初はただの岩塊かと思いましたが近寄ってみると内部に何とか石室構造が残っていました。入室困難。
15基以上
(2019年)
8号
荒神塚西方の尾根南斜面に3基並ぶ、欠番8-10号を仮番号として割り当てる

僅かな高まり

明確な石材は奥の1個だけ

9号
位置:34°35′56″N 133°35′46″E (日本測地系)
34.60212394 133.59348199(世界測地系)
8号西側に同様の高まり、左後方に山道が見えていますが前年の豪雨で大きな雨裂があった

南向きに開口

開口部、左側に羨道側壁が残存

土砂流入も石室自体は良好

一部凹むなどちょっと変わった形の奥壁鏡石

奥から外、右片袖かな、まぐさ石が一段下がっている

10号
更に西側に同様の高まり

盗掘されたのか墳頂部が凹んでいる

露出した石材、元の状態がわからない程、手前の石は割られた跡がある、多分後世のもの

(2012年)
1号
はっきりした墳丘が残るも石材見られず

2号
崩壊気味の天井石露出

石室も前部は埋まるが後部で隙間開口

前部の崩れ落ちている天井石

石室後部、半ば埋まるも奥まで見える、鏡石が天井まで届いている

奥の隙間から

3号
横穴式石室
位置:34°35′54″N 133°35′44″E (日本測地系)
34.60156844 133.59292652(世界測地系)
斜面に背の高い墳丘が残る

墳頂部に石室開口

天井石露出

15号以外では一番良好に残る玄室、奥壁は下部に大型石材を据える

奥から外、無袖かな、若干左側(斜面下側)に傾いているよう

4号
低い墳丘が残る

上部を失った石室露出

奥壁辺り

5号
石室正面から

後部で天井石残存

内部も殆ど埋まる

6号
低い墳丘に僅かに石材露出

7号
傾いた天井石露出

石室の方向が分かる程度

分厚い板状に加工された天井石

(8-10号は欠番)
11号
横穴式石室、全長6.4m
位置:34°35′54″N 133°35′55″E (日本測地系)
34.60156847 133.59598178(世界測地系)
相変わらず藪に包まれた露出石室

東側から、藪で隙間も伺えなかった

12号(仮)
低い墳丘に直線状に石材露出

石室だろうな

この辺りが奥壁でしょうか

13号
はっきりした墳丘頂部に石室露出

上記反対側から

こちら側が入口側天井

かなり加工された天井石

上記反対側から

内部は大分埋まっているが奥壁上部が見えている、側壁奥壁が黒くなっているが天井はそうでもない

奥から外、前部は完全埋没

14号
状態の良い墳丘

上記反対側、こちらが入口側

石室前部埋没、中程で開口

内部は半ば埋まるも奥壁まで見えている

15号(橋本荒神塚古墳)
円墳、R20,H5
横穴式石室、全長7.1m、玄室長5.85,幅2,高2.35m
位置:34°35′57″N 133°35′48″E (日本測地系)
34.60240169 133.59403748(世界測地系)
20年前と殆ど変わりない状況

開口部正面

他と比べて隔絶した規模の石室

県内では一番見やすい石棚かな

割と低い位置にある石棚

石棚上部奥壁

石棚下部、下部が曲面で左側が抜け落ちそうなので支えを置いたかなと想像

奥から外、両袖式

墳丘横から、斜面をカットした跡がよく残っている

16号(仮)
緩斜面に僅かな盛り上がり

この石組みはどうみても石室

背後から

(1988、91年)
11号(88年)
露出した天井石

石室内部、奥壁辺り

15号(橋本荒神塚古墳)
お堂背後に開口

石棚のある玄室、下の支柱は当時のものかどうかは不明

奥から外

墳丘

(見学記)
(2019年)
矢掛町里山田、更に3基の古墳が追加されたので再訪しました。東に伸びる尾根筋の南斜面に3基の古墳がならんでいます。東から8-19号(欠番を当てた仮番号)、どれも古墳を思わせる高まりがありますが8,10号は石室が大きく破壊され9号だけ無袖式の石室が残り中に入れます。しかし7年前も追加があって訪問した時は殆が藪の中、今回のは藪でもなく荒神塚からすぐ歩いて1分程、今までで一番楽だった。前回通った道からも墳丘が見えているけど存在を知らなければ気が付かないな。昨年の豪雨の跡がこんな所にも残っていた、前の道が大きく抉られて2m近い深さの溝が出来ていました。荒神塚までの道が狭いので今までは下の県道に車を止めて歩いていっていましたが今回初めて荒神塚まで車で行きました、駐車場有り。
(2012年)
矢掛町里山田、以前は石棚のある15号と石室の露出した11号しか見てなかったのですが(これが普通)かまどねこさんが更に多く見つけてくれたので再訪していました。20年ぶりの訪問だけど辺りの様子は殆ど変わらず。まず1号を訪問ここを起点に南側の1-7号、13,14号を探してみました(8-10号は欠番)。15号南西杉林の中低い尾根先端に1号があります。明瞭な墳丘が残っているが石室は見られず。ただ矢掛町史(旧版)では開口した石室が載っているけどね、ただ本文は奥壁が残るとなっていてよく分かりません。ここから更に南西斜面裾辺りに2-6号が集中、石室が良好なのは3号くらいで他は大分破壊されています。更に藪の中を進むと7号かな、低い墳丘に石材散乱状態です。更に南に進むとやや開けた場所に13,14号があります。上側は14号で墳丘が良好に残っています。南向きの石室は現墳丘のほぼ中央辺りに開口しているので奥はそれ程残ってないかなと思ったが意外に奥まで残っていました。ただ土砂がかなり流入し中に入ると方向転換が出来そうにないのでカメラを突っ込んで撮影。すぐ下の13号も墳丘がよく残っているが天井石露出内部もかなり埋まっています。石材の一部が黒くなっているが中で何か燃やしたんだろうか。14号上にも破壊された石室らしきものがある。15号側に駐車場有り。
(1991年)
池尻古墳群北方緩斜面の広い範囲に15基分布していますが確認できたのは2基だけ。最も北側にあるのが15号(荒神塚古墳)で荒神社背後に墳丘があり南側に石室が開口,羨道は殆ど無くなっていますが両袖式の玄室が完存,この石室の最大の特徴は奥壁に石棚があることです。奥行き1.5m程で人一人が横たわるには十分の面積があります(と言っても遺体が置かれていたという証拠があるわけではありませんが。かなり分厚くそのせいでしょうか下に石の支柱があります。入室容易。ここから南東墓地の側に11号墳の石室が露出,最初はただの岩塊かと思いましたが近寄ってみると内部に何とか石室構造が残っていました。入室困難。