池尻古墳群
岡山県矢掛町 1990年3月訪問、12年3月再訪
円墳6基
(1990年)
1号
円墳、R11,H3.5
横穴式石室、全長6.5m
位置:34°35′43″N 133°35′56″E (日本測地系)
34.59851328 133.59625969(世界測地系)
墳丘、石室正面、良好なのはこれくらい

玄室

4号
横穴式石室、全長4.8m
開口部

奥壁

5号
横穴式石室、全長3.7m
奥壁辺り、天井部壊失

6号
横穴式石室
露出した天井石、内部は殆ど埋没

(2012年)
1号
墳丘横から

石室正面、大きな開口部

良好に残る玄室、他と比べて圧倒的に大きい

〃(縦位置)

奥壁は2段積み+平石、1段目上部が尖るから2段目との間に調整の詰石

奥から外、無袖かな

〃(縦位置)

2号
山道下に開口、意外と見逃されていた

小型の石室残存

奥から外、多分前部は壊失

3号
こちらも山道下に開口、石室は手前まであるが上部壊失

玄室後部残存

奥壁?、それにしては緩すぎるな

4号
山道上斜面に低い墳丘が残る

開口部正面、前部は壊失しているようだ

玄室後部残存

三段積み奥壁、幅が足らず左側にも詰石

(見学記)
(1990年)
山の東側麓の緩斜面,雷師宮神社南方に円墳6基が密集して分布しているがまともなのは1号墳のみ。1号は墳丘,石室(無袖式)とも良好,玄室両側の壁がやや内側に傾斜しています。奥壁2枚,入室容易。2号墳は天井石が露出,入室困難。4号墳は玄室のみ残存,入室可。5号墳は天井石が無くなり玄室露出、6号墳は天井石露出内部埋没、他は不明。
(追記)4,5,6号の番号名は当時分からず遥か後年判明。
(2012年)
こちらも序でに再訪、こちらも22年ぶりなので場所がよく分からず。南側の雷師神社の更に南側の神社辺り、行ってみると1号はすぐ分かりました。以前の印象はもっと大きくとんがった墳丘だったけど実際に見てみるとそれ程でもなかった。記憶の中でだんだん美化されているみたいです。それはともかくこれ程の石室なのに当時はフィルムのせいかあまり撮ってないな。反動でバチバチ撮影。林道を少し上ると下側に2,3号が並んでいます。共に石室露出前部が破壊されています。それでも2号は2,3m残りほぼ1枚石の奥壁が残存していますが3号は奥壁が崩れ欠けています。更に少し上ると砂防ダムの手前山側に藪の奥に墳丘のようなのが見えたので突入してみましたがそれは間違いだったけど側に4号がありました。墳丘は割と残っていて南東に開口、やはり前部は天井部を失っていますが奥が3m程残存奥壁は2段積みです。3号と4号の間に5,6号があるはずだが藪が深くて分からず。初心者の頃は今は楽勝の2,3号は見逃しているのに4,5号は見つけている。当時は藪があまり深くなかったんだろうな。
円墳6基
(1990年)
1号
円墳、R11,H3.5
横穴式石室、全長6.5m
位置:34°35′43″N 133°35′56″E (日本測地系)
34.59851328 133.59625969(世界測地系)
墳丘、石室正面、良好なのはこれくらい

玄室

4号
横穴式石室、全長4.8m
開口部

奥壁

5号
横穴式石室、全長3.7m
奥壁辺り、天井部壊失

6号
横穴式石室
露出した天井石、内部は殆ど埋没

(2012年)
1号
墳丘横から

石室正面、大きな開口部

良好に残る玄室、他と比べて圧倒的に大きい

〃(縦位置)

奥壁は2段積み+平石、1段目上部が尖るから2段目との間に調整の詰石

奥から外、無袖かな

〃(縦位置)

2号
山道下に開口、意外と見逃されていた

小型の石室残存

奥から外、多分前部は壊失

3号
こちらも山道下に開口、石室は手前まであるが上部壊失

玄室後部残存

奥壁?、それにしては緩すぎるな

4号
山道上斜面に低い墳丘が残る

開口部正面、前部は壊失しているようだ

玄室後部残存

三段積み奥壁、幅が足らず左側にも詰石

(見学記)
(1990年)
山の東側麓の緩斜面,雷師宮神社南方に円墳6基が密集して分布しているがまともなのは1号墳のみ。1号は墳丘,石室(無袖式)とも良好,玄室両側の壁がやや内側に傾斜しています。奥壁2枚,入室容易。2号墳は天井石が露出,入室困難。4号墳は玄室のみ残存,入室可。5号墳は天井石が無くなり玄室露出、6号墳は天井石露出内部埋没、他は不明。
(追記)4,5,6号の番号名は当時分からず遥か後年判明。
(2012年)
こちらも序でに再訪、こちらも22年ぶりなので場所がよく分からず。南側の雷師神社の更に南側の神社辺り、行ってみると1号はすぐ分かりました。以前の印象はもっと大きくとんがった墳丘だったけど実際に見てみるとそれ程でもなかった。記憶の中でだんだん美化されているみたいです。それはともかくこれ程の石室なのに当時はフィルムのせいかあまり撮ってないな。反動でバチバチ撮影。林道を少し上ると下側に2,3号が並んでいます。共に石室露出前部が破壊されています。それでも2号は2,3m残りほぼ1枚石の奥壁が残存していますが3号は奥壁が崩れ欠けています。更に少し上ると砂防ダムの手前山側に藪の奥に墳丘のようなのが見えたので突入してみましたがそれは間違いだったけど側に4号がありました。墳丘は割と残っていて南東に開口、やはり前部は天井部を失っていますが奥が3m程残存奥壁は2段積みです。3号と4号の間に5,6号があるはずだが藪が深くて分からず。初心者の頃は今は楽勝の2,3号は見逃しているのに4,5号は見つけている。当時は藪があまり深くなかったんだろうな。