岡ヶ市古墳群
岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2019年1月再訪
(2019年)
8号(仮称)
横穴式石室
位置:34°37′31″N 133°34′39″E (日本測地系)
34.62850946 133.57487166(世界測地系)
前年新たに古墳が見つかったと言うので再訪、低い墳丘だけど藪になっているわけでもない

石室前部が露出、遠くに見えているのが神社

天井石左側には後世の割口、石仏でも彫ろうとしたんでしょうか

開口部は狭いが下が落ち葉なので入るのは楽

割石積みの玄室

奥壁も側壁と同様の小型石材

側壁の一部が崩れている、比較的最近のような感じ

奥から外、両袖かな、まぐさ石が一段下がっている

9号(仮称)
石灯籠の下に小型石室、同行者さんが見つけてくれました

開口部正面、やはり石室でしょうね

奥壁はなく内部はトンネル状、側壁の一部がずれ落ちている

背後の天井石、切石に近い

1号
円墳、R12.5,H2.6
横穴式石室、全長4.8m
位置:34°37′35″N 133°34′30″E (日本測地系)
34.62962045 133.57237185(世界測地系)
せっかくなので1号も再訪、これは開口部反対側の墳丘、割と残っている

石室正面、墳丘は大きく抉られている

石室後部しか残っていない

玄室後部、右と左で側壁の積み方が大分違う

上部が半円形の見事な奥壁、加工じゃなくて自然石そのままなんでしょうか

奥から外

奥から左側、こちらはブロック状石材を積んでいる

反対側、こちらは平石を積み重ねている

2号(仮称)
1号北側に大きいが背の低い墳丘

墳頂が盗掘で窪む、僅かに石材が見えている

(1992年)
1号
墳丘、石室正面

玄室、石室が見られるのはこれだけ

この頃はバイクで直ぐ側まで行けたけど今は無理

2号
以下多分仮番号

4号
左奥にも墳丘が見えるような

6号

(見学記)
(2019年)
大元鵜江神社北西辺りに分布している古墳群で「矢掛町史」には7基記述がありますが今年になって神社北東に新たな石室墳が発見されたので行ってみました。行ってみれば低いけど古墳らしい高まりはあるし石室も開口しているしすぐ古墳と分かるのになんで今まで認識されてなかったのかなと思う場所でした。岡ケ市の他の古墳より余程分かりやすいよ。町史に載っている7基の記述とはどれもあわないので新規の石室なのは間違いないようです。石室内部はやや土砂が流入し側壁の一部も崩れていますが中に入れます。この近くでも小型の石室らしきものがありました。序でなので1号にも行ってみました。これまた27年前なので当時の記憶は全く無いけど神社北西から藪の中を通っていく道があるのでそこを入っていきます。途中に低い墳丘が幾つかありますがそれらは無視、とにかく進むと左側に大きな墳丘があります、それが1号で反対側に開口、石室前部は破壊されていますが上部が円形の鏡石らしい奥壁が印象的です。昔の写真と比べると藪が酷くなっていて墳丘の写真は殆ど撮れません。この北側に斜面をカットした低い墳丘が残っていて石室があったようで細長い窪みが見えています。大元鵜江神社に駐車場有り。
(1992年)
正蓮寺谷古墳群の谷を挟んだ南側の丘の上に6基分布。1号丘頂近くにあり墳丘石室とも良好に残存,羨道は埋没もしくは壊失していますが玄室は奥壁が1枚石で壁も平面に整えられています。2,4,6号は墳丘を確認したのみ。
(2019年)
8号(仮称)
横穴式石室
位置:34°37′31″N 133°34′39″E (日本測地系)
34.62850946 133.57487166(世界測地系)
前年新たに古墳が見つかったと言うので再訪、低い墳丘だけど藪になっているわけでもない

石室前部が露出、遠くに見えているのが神社

天井石左側には後世の割口、石仏でも彫ろうとしたんでしょうか

開口部は狭いが下が落ち葉なので入るのは楽

割石積みの玄室

奥壁も側壁と同様の小型石材

側壁の一部が崩れている、比較的最近のような感じ

奥から外、両袖かな、まぐさ石が一段下がっている

9号(仮称)
石灯籠の下に小型石室、同行者さんが見つけてくれました

開口部正面、やはり石室でしょうね

奥壁はなく内部はトンネル状、側壁の一部がずれ落ちている

背後の天井石、切石に近い

1号
円墳、R12.5,H2.6
横穴式石室、全長4.8m
位置:34°37′35″N 133°34′30″E (日本測地系)
34.62962045 133.57237185(世界測地系)
せっかくなので1号も再訪、これは開口部反対側の墳丘、割と残っている

石室正面、墳丘は大きく抉られている

石室後部しか残っていない

玄室後部、右と左で側壁の積み方が大分違う

上部が半円形の見事な奥壁、加工じゃなくて自然石そのままなんでしょうか

奥から外

奥から左側、こちらはブロック状石材を積んでいる

反対側、こちらは平石を積み重ねている

2号(仮称)
1号北側に大きいが背の低い墳丘

墳頂が盗掘で窪む、僅かに石材が見えている

(1992年)
1号
墳丘、石室正面

玄室、石室が見られるのはこれだけ

この頃はバイクで直ぐ側まで行けたけど今は無理

2号
以下多分仮番号

4号
左奥にも墳丘が見えるような

6号

(見学記)
(2019年)
大元鵜江神社北西辺りに分布している古墳群で「矢掛町史」には7基記述がありますが今年になって神社北東に新たな石室墳が発見されたので行ってみました。行ってみれば低いけど古墳らしい高まりはあるし石室も開口しているしすぐ古墳と分かるのになんで今まで認識されてなかったのかなと思う場所でした。岡ケ市の他の古墳より余程分かりやすいよ。町史に載っている7基の記述とはどれもあわないので新規の石室なのは間違いないようです。石室内部はやや土砂が流入し側壁の一部も崩れていますが中に入れます。この近くでも小型の石室らしきものがありました。序でなので1号にも行ってみました。これまた27年前なので当時の記憶は全く無いけど神社北西から藪の中を通っていく道があるのでそこを入っていきます。途中に低い墳丘が幾つかありますがそれらは無視、とにかく進むと左側に大きな墳丘があります、それが1号で反対側に開口、石室前部は破壊されていますが上部が円形の鏡石らしい奥壁が印象的です。昔の写真と比べると藪が酷くなっていて墳丘の写真は殆ど撮れません。この北側に斜面をカットした低い墳丘が残っていて石室があったようで細長い窪みが見えています。大元鵜江神社に駐車場有り。
(1992年)
正蓮寺谷古墳群の谷を挟んだ南側の丘の上に6基分布。1号丘頂近くにあり墳丘石室とも良好に残存,羨道は埋没もしくは壊失していますが玄室は奥壁が1枚石で壁も平面に整えられています。2,4,6号は墳丘を確認したのみ。