正蓮寺谷古墳群

岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2013年4月、19年1月再訪

(2019年)
3号
天井部が露出開口、ちょっと掃除しました


石室内部、奥壁は一応小型鏡石を据える


奥から外、まぐさ石が見えていて羨道埋没


4号
特徴的な三角屋根型の天井石露出


内部はトンネル状と言うか、残存天井辺りしか残っていない


石室後部側から


ブロックを積んだ側壁、一部表面を割っているようだ


反対側は大型石材


5号
大きな墳丘が残る


南側に開口、群中最大の石室、最初訪問時なんで見逃したか


開口部は狭いが横幅があるので入るのは難しくない


良好に残る石室


やや持ち送りのある側壁、狸のせいか靴などが散乱


おむすび型のほぼ1枚石の奥壁


奥から外、まぐさ石が一段下がっている、右片袖でしょうか


奥から左側


反対側、基本割石を積み重ねている


6号
これも大きな墳丘が残る


ただし隙間開口、流石に入るのは無理


内部はそれ程埋まってないようです


7号
こちらも隙間開口、でも入れます


側壁奥壁とも小型石材、奥壁下部は若干左右対称を意識しているかな


奥から外、これも側壁に持ち送りがある、まぐさ石が一段下がる


8号
天井部が露出開口


斜め前から


開口部から奥壁が見えているので期待できず


割石を積んだ奥壁、隙間石が割と残っている


9号
これだけ南側緩斜面に立地


墳丘が良好に残る、期待大だけど


南側に開口、やや狭いがなんとか入れる


石室内部、だいぶ土砂が流入


奥壁は土砂に埋もれて最上部しか見えず


奥から外、大分埋まっているが無袖かな


10号
群東端、斜面際にある、左側のは側壁石材か


絶望的な隙間開口


内部は土砂が流入するも石室自体は良好のようだ


初回訪問時見ていた最東端石室はどうもどれにも当てはまらないようだ


(2013年)
1号
横穴式石室、全長5.7m
位置:34°37′40″N133°34′31″E (日本測地系)
    34.63100916 133.57264956(世界測地系)
外見は以前と特に変わりない石室


立ったまま中に入れる背の高い玄室、ここでこのタイプはこれだけ


側の民家が無人になったせいか中の荷物が少ない


〃縦位置、左側壁が少し押されているようだ


ブロック状の石を2列に積み上げる、石の加工度が悪いのか少しずつ右に傾いている


奥から外


2号
横穴式石室、全長4.6m
石室はかなり藪に包まれてきている、中間の天井石はなくなっている


石室正面、天井石がずれているかな


内部は殆ど埋没


(1992年)(一部画像追加)
1号
丘陵麓にある墳丘、1,2号は麓、他は尾根上に位置する


墳丘上方から


石室正面、背が高い


内部は物置状態


玄室奥から


右1号、左2号


2号
石室正面、右墳丘は山道で削られる


露出した石室


3号
開口部、手前の羨道は埋没


玄室


4号
露出した天井石


入り口から右側壁


6号
上部が凹んだ墳丘、左下に開口


石室内部


7号
開口部


玄室、思いがけず状態がよい


8号
開口部


奥壁辺り


?号
半ば埋まった開口部、群東端、丘陵斜面最上部に位置


右側壁


左側壁、何故か奥壁は撮っていない、改めて見ると9号とも10号とも違う


(見学記)
(2019年)
矢掛町小林、10基程の古墳群ですが最大の5号は見逃しているし初心者の頃の訪問で石室内に入ってないのも多く27年ぶりに再再訪してみました。この日は同行者と3人連れ、その方は行ったばかりなので見つかるのは確実、楽しく見学できました。場所は尾根上の林の中、少々歩きにくいけど6年前の藪のような場所ではなかった。個々の古墳は省略しますが5号は大きな墳丘と石室が残っていました、これをなんで当時見つけられなかったんだ。それはともかく石室に入るのも楽で内部も良好、でも石室内に靴が多く散乱、それも片方ばかりで狸の仕業でしょうか、石室前にも散乱していました。9号だけが南側斜面に立地、これも墳丘石室ともよく残っています。南東側斜面に10号、初めての時はこの下から登ってきました、その時は山道があったけどもう痕跡もなかった。ただ石室入口の様子や墳丘など違うような気がしないでもない。南側に大元鵜江神社があり駐車場有り。

(2013年)
最大の5号を見逃していたので再訪してみました。まずは1,2号から訪問、1号石室自体は変わりませんが倉庫として利用されていた内部は道具類が少なくなっていました、側の民家も引っ越したようで無人になっていました、ポツンと一軒家程ではないですがやはり住みにくかったんでしょうか。背後の2号もヤブに覆われて見づらくなっていました。ここまでは準備段階、本命の3号以下を見るために藪に突入、ここで磁石を利用することもなく直感で飛び込む性格が災い、藪の中を東西に2往復くらいしたが1基も見つからず。ちゃんと東端の急斜面も確認したし場所は間違いなさそう、4月末だし藪が酷くなっていたので見つからなかったかなと自分に言い聞かせて退却。後から地図を確認してみるとどうも1,2号の北側一帯を捜索していたようです。実際のは東方向でした(汗)

(1992年)
美山川,星田川の間の丘に10基分布。1,2号以外は尾根上。すべて横穴石室で玄室がやや持ち送りのある構造,奥壁も多数の石で構成されているのが特徴です。1号は丘の麓墓の側に墳丘が残っていて南に石室が開口,羨道壊失。玄室は奥壁,壁とも中型の石を組み合わせて構成されている。入室可中は物置状態。2号は1号のすぐ西側に石室露出,かろうじて構造がわかる程度に残存。3号は天井石が1枚露出,奥壁も失われている,入室可。4号は封土がかろうじて残っている,羨道は埋没もしくは壊失,玄室残存,入室可。5号は「矢掛町史」に載っている写真を見る限り一番立派な石室のようだが発見できず。6号は開口部分は狭いが玄室はあまり埋まっておらず以外と広い。,入室可。7号は開口部分に見えている天井石はかなり大きいが玄室の石材は小型,半ば埋まっていて入室困難。8,9号はともに天井石が露出,小型の石材からなる玄室は半ば埋まっていて入室困難。10号は不明。

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