操山古墳群(西ゾーン)
岡山県岡山市中区 1988年4月訪問、1993年2006年再訪
操山全体にわたって分布する横穴石室を主体とする群集墳
西側麓近くには数基の中規模前方後円墳も分布
(便宜上東、中央、西ゾーンと二股支群に分類)
奥ノ塚古墳、萩ノ塚古墳、護国神社裏山古墳、旗振台古墳、沢田裏山古墳、八畳岩古墳(固有名でジャンプ)
奥ノ塚古墳
横穴式石室、現存長4,5m
位置:34°39′35″N 133°57′51″E (日本測地系)
34.66295457 133.9615022(世界測地系)
石室正面、羨道は殆ど壊失

玄室、天井が平面で揃っている

ほぼ一枚石の奥壁、小石も隙間なく緻密に詰めている

奥から外、見えているのが里山センター建物

操山37号
横穴式石室
位置:34°39′40″N 133°58′03″E (日本測地系)
34.66434325 133.96483523(世界測地系)
玄室後ろが残る

奥壁はかなりの巨石

操山7号
位置:34°39′29″N 133°57′30″E (日本測地系)
34.66128792 133.95566956(世界測地系)
操山山頂に位置する墳丘

操山8号
横穴式石室
位置:34°39′28″N 133°57′32″E (日本測地系)
34.6610102 133.95622505(世界測地系)
天井石が露出

天井石、背後から

石室内部、殆ど埋没

操山9号(萩の塚古墳)
円墳、R10,H2.5、6C後半
横穴式石室、全長8.2m、玄室幅1.9,高1.9m
位置:34°39′29″N 133°57′36″E (日本測地系)
34.66128801 133.95733601(世界測地系)
羨道は殆ど壊失

石室正面

玄室、たき火で煤けている

操山13号(護国神社裏山古墳)
位置:34°39′21″N 133°57′43″E (日本測地系)
34.65906611 133.95928029(世界測地系)
露出した箱式石棺

丘陵頂部に位置している

操山14号(旗振台古墳)
方墳、L27,H4
位置:34°39′14″N 133°57′41″E (日本測地系)
34.65712182 133.95872488(世界測地系)
群中では珍しい方墳(88年)

操山15号
位置:34°39′22″N 133°57′47″E (日本測地系)
34.65934389 133.96039127(世界測地系)
山道に露出した箱式石棺

操山17号(沢田裏山古墳)
横穴式石室
位置:34°39′22″N 133°57′49″E (日本測地系)
34.65934389 133.96094678(世界測地系)
山道脇に開口

石室正面

かなり埋まった羨道

玄室も半分以上埋没

奥から外、片袖式

操山19号(八畳岩古墳)
円墳、R15,H3、6C後半
横穴式石室、全長9m、玄室長5.5,幅1.6,高1.6m
位置:34°39′27″N 133°57′57″E (日本測地系)
133.96094678 133.96316875(世界測地系)
すっかり露出した石室、なだらかな尾根が急な下りになる辺りに位置する

石室正面、羨道は天井を失い埋没

石室斜め後ろから

奥壁後ろから

玄室

奥から外、片袖式

(見学記)
操山にはまだ沢田大塚に匹敵する大型石室があるとの情報を得て再訪してみました(13年ぶりだ)。今回は北側に里山センターが出来ていて車で行くのが楽になりました(北側国道に案内表示が出ているけど知らない人には行きにくいかも)。まず里山センターでパンフレットを貰います(これに主な山道と幾つかの古墳が載っています)。序でにセンター背後にある奥ノ塚古墳を見学、羨道は失われていますが玄室完存、2枚の天井石は平面に整えられ高さも揃えられています。奥壁はほぼ一枚石、不足部分も小石を緻密に詰めていて全体に高度な石室造りが感じられます。石室の前からは東側の果樹園の中に露出した石室が見えていました(K101、後から見学すると玄室奥の方が残っている状態でした)。せっかく久しぶりに来たのだから目的の大型石室には直行せずまず操山山頂まで登って尾根筋を東に歩いていきました。途中の萩の塚古墳は以前のまま、相変わらず中が煤けています。操山山頂手前で天井石が露出した石室発見(K102)、内部は殆ど埋まっていますがかなり大型の石室でした。その後は護国神社裏山古墳や尾根筋山道にある箱式石棺(こういうのが何の説明板もなく露出しているのがすごい)を経て沢田裏山古墳を見学、13年前は何の説明板もなかったですが今回は表示板が立っていました。前回はどうも石室の中に入ってないようなので今回は突入、ただ羨道玄室もかなり埋まっているので汚れ覚悟で入る必要があります。更に東に行くと緩い尾根筋が急な下り道になる辺りに八畳岩古墳があり石室がすっかり露出しています。ここにも簡単な説明板が立っていました。やはりここは目立つようで立ち止まって見学する人もいるようです。石室の上からは南の平野が一望できて絶好の昼食場所になっている(笑)。
操山全体にわたって分布する横穴石室を主体とする群集墳
西側麓近くには数基の中規模前方後円墳も分布
(便宜上東、中央、西ゾーンと二股支群に分類)
奥ノ塚古墳、萩ノ塚古墳、護国神社裏山古墳、旗振台古墳、沢田裏山古墳、八畳岩古墳(固有名でジャンプ)
奥ノ塚古墳
横穴式石室、現存長4,5m
位置:34°39′35″N 133°57′51″E (日本測地系)
34.66295457 133.9615022(世界測地系)
石室正面、羨道は殆ど壊失

玄室、天井が平面で揃っている

ほぼ一枚石の奥壁、小石も隙間なく緻密に詰めている

奥から外、見えているのが里山センター建物

操山37号
横穴式石室
位置:34°39′40″N 133°58′03″E (日本測地系)
34.66434325 133.96483523(世界測地系)
玄室後ろが残る

奥壁はかなりの巨石

操山7号
位置:34°39′29″N 133°57′30″E (日本測地系)
34.66128792 133.95566956(世界測地系)
操山山頂に位置する墳丘

操山8号
横穴式石室
位置:34°39′28″N 133°57′32″E (日本測地系)
34.6610102 133.95622505(世界測地系)
天井石が露出

天井石、背後から

石室内部、殆ど埋没

操山9号(萩の塚古墳)
円墳、R10,H2.5、6C後半
横穴式石室、全長8.2m、玄室幅1.9,高1.9m
位置:34°39′29″N 133°57′36″E (日本測地系)
34.66128801 133.95733601(世界測地系)
羨道は殆ど壊失

石室正面

玄室、たき火で煤けている

操山13号(護国神社裏山古墳)
位置:34°39′21″N 133°57′43″E (日本測地系)
34.65906611 133.95928029(世界測地系)
露出した箱式石棺

丘陵頂部に位置している

操山14号(旗振台古墳)
方墳、L27,H4
位置:34°39′14″N 133°57′41″E (日本測地系)
34.65712182 133.95872488(世界測地系)
群中では珍しい方墳(88年)

操山15号
位置:34°39′22″N 133°57′47″E (日本測地系)
34.65934389 133.96039127(世界測地系)
山道に露出した箱式石棺

操山17号(沢田裏山古墳)
横穴式石室
位置:34°39′22″N 133°57′49″E (日本測地系)
34.65934389 133.96094678(世界測地系)
山道脇に開口

石室正面

かなり埋まった羨道

玄室も半分以上埋没

奥から外、片袖式

操山19号(八畳岩古墳)
円墳、R15,H3、6C後半
横穴式石室、全長9m、玄室長5.5,幅1.6,高1.6m
位置:34°39′27″N 133°57′57″E (日本測地系)
133.96094678 133.96316875(世界測地系)
すっかり露出した石室、なだらかな尾根が急な下りになる辺りに位置する

石室正面、羨道は天井を失い埋没

石室斜め後ろから

奥壁後ろから

玄室

奥から外、片袖式

(見学記)
操山にはまだ沢田大塚に匹敵する大型石室があるとの情報を得て再訪してみました(13年ぶりだ)。今回は北側に里山センターが出来ていて車で行くのが楽になりました(北側国道に案内表示が出ているけど知らない人には行きにくいかも)。まず里山センターでパンフレットを貰います(これに主な山道と幾つかの古墳が載っています)。序でにセンター背後にある奥ノ塚古墳を見学、羨道は失われていますが玄室完存、2枚の天井石は平面に整えられ高さも揃えられています。奥壁はほぼ一枚石、不足部分も小石を緻密に詰めていて全体に高度な石室造りが感じられます。石室の前からは東側の果樹園の中に露出した石室が見えていました(K101、後から見学すると玄室奥の方が残っている状態でした)。せっかく久しぶりに来たのだから目的の大型石室には直行せずまず操山山頂まで登って尾根筋を東に歩いていきました。途中の萩の塚古墳は以前のまま、相変わらず中が煤けています。操山山頂手前で天井石が露出した石室発見(K102)、内部は殆ど埋まっていますがかなり大型の石室でした。その後は護国神社裏山古墳や尾根筋山道にある箱式石棺(こういうのが何の説明板もなく露出しているのがすごい)を経て沢田裏山古墳を見学、13年前は何の説明板もなかったですが今回は表示板が立っていました。前回はどうも石室の中に入ってないようなので今回は突入、ただ羨道玄室もかなり埋まっているので汚れ覚悟で入る必要があります。更に東に行くと緩い尾根筋が急な下り道になる辺りに八畳岩古墳があり石室がすっかり露出しています。ここにも簡単な説明板が立っていました。やはりここは目立つようで立ち止まって見学する人もいるようです。石室の上からは南の平野が一望できて絶好の昼食場所になっている(笑)。