林原古墳群
岡山県岡山市北区 2001年4月訪問、14年4月再訪
円墳6-7基
(2014年)
1号
横穴式石室、玄室長5,幅1.8,高2.1m
位置:34°43′25″N 133°57′49″E (日本測地系)
34.72683593 133.96094696(世界測地系)
開口部、全体像撮るのを忘れた
玄室、左側側壁が随分巨石
〃縦位置
奥から外、典型的な左片袖式
2号
横穴式石室、玄室長3,幅1.5,高1.7m(現状)
伐採された枝が捨てられ分かりづらくなっている
ブロック上の石を巧みに組み合わせた奥壁
奥から外、ずり落ちた天井石が塞いでいる
3号
横穴式石室、玄室長4.3,幅1.2-1.5,高2m
位置:34°43′26″N 133°57′53″E (日本測地系)
34.72711371 133.962058(世界測地系)
円錐形の墳丘が良好に残る
開口部、羨道は埋まり天井石がずり落ちている
玄室は良好に残る
やや持ち送りのある側壁、左は緻密に積まれているが右はやや粗い
縦長4段積みの奥壁、石材は上ほど小さく安定感がある
奥から外、全体が右に傾いているようだ
5号
横穴式石室、玄室長4,幅1.3,高1.6m(現状)
山側から見た墳丘、一見良好
反対側はざっくり削られている
石室正面
右側壁は崩壊寸前で天井石も傾く、左側壁もやや孕んでいる
奥壁は四角い鏡石+平石
奥から外
6号
横穴式石室、玄室長5,幅2,高2.4m
県道から見た墳丘、前の民家がなくなって見えるようになった、この状態では知らないと墳丘と気がつかないかも
石室開口部(掃除後)、他と違いこれだけ東向き
開口部から内部、上の石がまぐさ石でしょうか
はっきり歪んだ玄室、床面に平石2枚、棺台でしょうか
奥壁は小型石材を積み上げる
奥から外、両袖式かな、右側突き出た石も13年前と変わりはないような
(2001年)
1号
墳丘、石室正面、道路下にあり一番分かりやすい、背後の民家の裏に3号がある
玄室
奥から外、左片袖式
2号
崩壊した石室、手前に石材が転がっている
奥壁あたりがかろうじて残る
5号
墳丘、南側半分が削られ羨道も破壊
玄室、右側が崩れつつある
6号
墳丘西側、民家裏の崖の上にある
石室開口部、他と違い東向き
玄室、崖際にあるせいか左側の側壁が孕んできている
奥から外、右側の石が突き出ている
(見学記)
(2014年)
岡山市北区牟佐、3号が残っていたので再訪、と言っても前回は1号以外全く分かってない状態で他に3基も見つけたのだから自分で自分を誉めてあげたい(笑)。6号より更に東側の雑木林の中にあります。痕跡道があるのでそれをたどれば到達できます。この古墳群の中では一番良く墳丘が残っている。南側に石室開口、石室前に巨大な天井石が落下していますが玄室完存しています。奥壁は四角い鏡石2段に平石2段積み、ただ石室全体が少し傾いてきているようだ。序に他の石室も訪問しましたが6号の前にあった2階建ての家がそっくりなくなっていて空き地になっていたので県道から6号が見えています。県道脇に駐車スペースあり。
この日はここで終了、この後道の駅に行く為に県道を北上予定だったがカーナビで道の駅を入力すると何故か一端南下して川向うの県道を通って北上するルートを指示している。このカーナビは時々大回りするルートを支持するのでこの時もうそうだろうと思って無視して北上したら途中の集落内の道の狭いこと狭いこと(制限速度20kmだからその狭さが分かるだろ)通過するのに冷汗かいてしまった。幸いその区間は1kmもなく対向車もなかったから良かったけどね。このカーナビは不自然な遠回りをさせるから苦労させられます。
(2001年)
円墳6,7基からなる古墳群で旭川左岸の丘陵麓近くに立地しています。牟佐から県道81号を御津町方向に行くと林原の集落の中に表示板がありその道路直下に古墳があって石室が開口しています。左片袖式で割石を使った整った石室です。奥に三角持ち送りがあります。側の畑にいた人に他には無いかと聞いたところ無いという返事。そんなはずはないがと思って探したら3基も見つかりました。まず道路北集落西側の林の中に1基、墳丘南側が大きく削られ羨道が壊失、玄室は残っているが右側が崩れかかっている。更に東側民家裏の崖の上に1基、他と違い東側に石室が開口、一番大きな石室のようだ。墳丘が下側に崩れかかっているのだろうか石室が歪み一部側壁が飛び出していて危険な状態です。集落東端の家と家の間にもあります。石室が大きく崩壊し奥壁あたりがかろうじて残っている。
円墳6-7基
(2014年)
1号
横穴式石室、玄室長5,幅1.8,高2.1m
位置:34°43′25″N 133°57′49″E (日本測地系)
34.72683593 133.96094696(世界測地系)
開口部、全体像撮るのを忘れた
玄室、左側側壁が随分巨石
〃縦位置
奥から外、典型的な左片袖式
2号
横穴式石室、玄室長3,幅1.5,高1.7m(現状)
伐採された枝が捨てられ分かりづらくなっている
ブロック上の石を巧みに組み合わせた奥壁
奥から外、ずり落ちた天井石が塞いでいる
3号
横穴式石室、玄室長4.3,幅1.2-1.5,高2m
位置:34°43′26″N 133°57′53″E (日本測地系)
34.72711371 133.962058(世界測地系)
円錐形の墳丘が良好に残る
開口部、羨道は埋まり天井石がずり落ちている
玄室は良好に残る
やや持ち送りのある側壁、左は緻密に積まれているが右はやや粗い
縦長4段積みの奥壁、石材は上ほど小さく安定感がある
奥から外、全体が右に傾いているようだ
5号
横穴式石室、玄室長4,幅1.3,高1.6m(現状)
山側から見た墳丘、一見良好
反対側はざっくり削られている
石室正面
右側壁は崩壊寸前で天井石も傾く、左側壁もやや孕んでいる
奥壁は四角い鏡石+平石
奥から外
6号
横穴式石室、玄室長5,幅2,高2.4m
県道から見た墳丘、前の民家がなくなって見えるようになった、この状態では知らないと墳丘と気がつかないかも
石室開口部(掃除後)、他と違いこれだけ東向き
開口部から内部、上の石がまぐさ石でしょうか
はっきり歪んだ玄室、床面に平石2枚、棺台でしょうか
奥壁は小型石材を積み上げる
奥から外、両袖式かな、右側突き出た石も13年前と変わりはないような
(2001年)
1号
墳丘、石室正面、道路下にあり一番分かりやすい、背後の民家の裏に3号がある
玄室
奥から外、左片袖式
2号
崩壊した石室、手前に石材が転がっている
奥壁あたりがかろうじて残る
5号
墳丘、南側半分が削られ羨道も破壊
玄室、右側が崩れつつある
6号
墳丘西側、民家裏の崖の上にある
石室開口部、他と違い東向き
玄室、崖際にあるせいか左側の側壁が孕んできている
奥から外、右側の石が突き出ている
(見学記)
(2014年)
岡山市北区牟佐、3号が残っていたので再訪、と言っても前回は1号以外全く分かってない状態で他に3基も見つけたのだから自分で自分を誉めてあげたい(笑)。6号より更に東側の雑木林の中にあります。痕跡道があるのでそれをたどれば到達できます。この古墳群の中では一番良く墳丘が残っている。南側に石室開口、石室前に巨大な天井石が落下していますが玄室完存しています。奥壁は四角い鏡石2段に平石2段積み、ただ石室全体が少し傾いてきているようだ。序に他の石室も訪問しましたが6号の前にあった2階建ての家がそっくりなくなっていて空き地になっていたので県道から6号が見えています。県道脇に駐車スペースあり。
この日はここで終了、この後道の駅に行く為に県道を北上予定だったがカーナビで道の駅を入力すると何故か一端南下して川向うの県道を通って北上するルートを指示している。このカーナビは時々大回りするルートを支持するのでこの時もうそうだろうと思って無視して北上したら途中の集落内の道の狭いこと狭いこと(制限速度20kmだからその狭さが分かるだろ)通過するのに冷汗かいてしまった。幸いその区間は1kmもなく対向車もなかったから良かったけどね。このカーナビは不自然な遠回りをさせるから苦労させられます。
(2001年)
円墳6,7基からなる古墳群で旭川左岸の丘陵麓近くに立地しています。牟佐から県道81号を御津町方向に行くと林原の集落の中に表示板がありその道路直下に古墳があって石室が開口しています。左片袖式で割石を使った整った石室です。奥に三角持ち送りがあります。側の畑にいた人に他には無いかと聞いたところ無いという返事。そんなはずはないがと思って探したら3基も見つかりました。まず道路北集落西側の林の中に1基、墳丘南側が大きく削られ羨道が壊失、玄室は残っているが右側が崩れかかっている。更に東側民家裏の崖の上に1基、他と違い東側に石室が開口、一番大きな石室のようだ。墳丘が下側に崩れかかっているのだろうか石室が歪み一部側壁が飛び出していて危険な状態です。集落東端の家と家の間にもあります。石室が大きく崩壊し奥壁あたりがかろうじて残っている。