浦越古墳群
岡山県総社市 2010年2月訪問、11年10月、19年1月再訪
仮称西群はこちらから
(2019年)
その1
位置:34°40′50″N 133°41′39″E (日本測地系)
34.68378038 133.69152397(世界測地系)
新しく見つかった1列に並ぶ墳丘の最東端、以前訪問時通った山道から見えているが気が付かなかった

南側に大きく開口

それでも石室前部は破壊されているようだ

玄室は良好

ストロボ撮影、奥壁2段積み

奥から外、無袖かな

その2
1号すぐ西側に墳丘が見えている

石室全部埋没、奥に天井石が見えている

墳頂が盗掘で広く窪む

残存天井石は1枚だけ

その3
更に西側に大きな墳丘

石室前部破壊、狭い開口部

入るのは難しくはない

玄門、下がったまぐさ石

玄室も良好、石材の面が揃う

台形の鏡石を据えた奥壁

奥から外、左片袖式

奥から右

〃反対側、こちらの方が石材がやや大きい

その4
同程度の墳丘、ここのは大きさが割と揃う

極狭開口、流石に入るのは無理

カメラを突っ込んで撮影、石室良好、入れないのが残念なくらい良好

その3と同じような奥壁

その5
これまた整った墳丘

墳頂は盗掘で大きく窪む

反対側から見ても窪んでいるのが分かる、背後明るくなっている辺りに1号があるが消滅の模様

その6
_1:整った墳丘だが石室見られず

その7
大きさはあるが低い墳丘

激狭開口

細長い石室が良好に残る

ならばと無理矢理突入

奥壁は2段積み

奥から外、入り口が埋まるが無袖っぽい

その8
その7の側に低いがはっきりした墳丘

石材が一部露出、石室の様子はよくわからず

麓からの遠望、太陽パネル設置

パネルの間に隙間

位置からしてこれは多分4号(追記:4号ではないそうです)

これも隙間があるから古墳か、でもこれを残すくらいなら1号を残してほしかった

(2010,11年)古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う
1号
方墳?
横穴式石室、玄室長5.5,幅1.4,高1.4m
位置:34°40′45″N 133°41′36″E (日本測地系)
34.68239163 133.69069077(世界測地系)
丘陵中腹緩斜面に立地

墳丘背後から

南側に石室開口

開口部、羨道前部は壊失

良好に残る玄室、右側壁の積み方が丁寧

ほぼ1枚石の奥壁

奥から外、片袖式

2号
横穴式石室
位置:34°40′49″N 133°41′34″E (日本測地系)
34.68350262 133.69013522(世界測地系)
天井石が何枚か露出

3号
横穴式石室、石室全長9m、玄室長5.5,幅2.3,高2.3m
位置:34°40′52″N 133°41′44″E (日本測地系)
34.68433589 133.69291272(世界測地系)
石室正面、羨道前部壊失

羨道奥、巨石まぐさ石が一段下がる

巨石を積んだ玄室、長い間水が貯まっていたようで下部が黒ずんでいる

巨石鏡石の奥壁、左側側壁もかなりの巨石

奥から外、片袖式

〃(縦位置)

4号
横穴式石室、玄室長3.5,幅1.2,高1.4m(現状)
位置:34°40′55″N 133°41′42″E (日本測地系)
34.68516913 133.69235717(世界測地系)
石室正面

玄室後部が良好に残る

ほぼ1枚石の奥壁

奥から外

5号
横穴式石室
位置:34°40′36″N 133°41′32″E (日本測地系)
34.67989189 133.68957987(世界測地系)
尾根先端に大きな墳丘が残るが前(右側)が大きく削られている

大きく抉られ石室露出

奥辺りしか残っていない

巨大な天井石

石仏が祀られ奥壁はよく見えない

(見学記)
(2019年)
古墳が新たに7基発見されたので行ってみました。行ってみるとこの側の道は何度か通っていてそこから墳丘が見えているじゃないか、ここも知らなければ見えないの法則(汗)。それはともかく7基集中、内3基で入室可能な石室、1基隙間開口しています。南側に4基、北側に3基並んでいてその間にもう水が流れていない水路があります。ここを通れば移動も容易。西側前1、後ろ2基で大きく盗掘されています。後列東側の1基はシダの藪の中で分かりにくい、開口部も狭く無理やり入ってきました。直ぐ側に低い高まりがあるけど古墳なのかな、それにしては小さすぎるし塚にしては低すぎる。この南側以前は林だったけどすっかり切り払われ太陽光パネルの設置工事が進んでいました。その南側にあった1号は破壊消滅したようです(怒)。この古墳群の中では良好に残っていたのにね。北東側はもう一面パネルが設置されています、所々に隙間があり古墳が残されています。石室があるのも見えていますが4号かな。こちらの方は残されているだけに1号が何故破壊されたか疑問、遺跡があるのは分かっているのだから少なくとも発掘をしないと工事できないと思うんだけどね。南側溜池東側に駐車スペースあり。
(2010,11年)
総社市浦越、ここもかまどねこさんに案内して貰ったときカメラの故障で写真がおかしくなっていたので再訪。かなり広い範囲に分布しているので再訪時でも多少手間取った。東側の住宅団地最奥に駐車ポイントがありそこから小さなため池南側を通っていくと道の脇にぽっかり石室が開口しています。これが仮3号、墳丘は藪に包まれ羨道前部も壊失しているようですが巨石を使った玄室完存、玄室長5.5m程、殆ど持ち送りのない側壁、奥壁は巨石の鏡石を据えその上に一段重ねています。玄門は左片袖式、まぐさ石もすこぶるつきの巨石です。以前は水が貯まっていたようで石室下部が黒くなっています。更に西に進むと開けた場所に畑が広がりその西側に丸い墳丘が見えています。これが仮1号で方墳だそうだ。南側に開口羨道は多少壊失していますがこちらも玄室完存、玄室長は5.5mと3号と変わりませんが幅高さとも小さくやや小ぶりな印象を感じさせます(こちらを先に見てから3号に行ったほうがいいかも)。それでも奥壁は1枚石からなりこちらも側壁はほぼ垂直に立ち上がっています。左に比べて右側壁の方が石が割と整っていて丁寧に積み重ねられている印象を受けます。ここから北西側ため池北側にあるのが仮2号、天井石が露出している程度で内部は埋没しています。3号から山道を北に向かい大きく西にカーブした辺りの少し先にあるのが仮3号、ここは一応自力で発見、と言っても現地を見たら両側は細竹の藪で全く見通しがきかず道そのものも消えかかっている状態でこれは無理だなと思ったけどせっかく来たのだからと入りやすそうな場所から突入してみると(道南側)ピッタシだったようで両側に墳丘が見えていました。となると石室のあるのは西側、細竹が茂って移動が大変だけどなんとかたどり着けました。石室自体は小形で前部は壊失しているけど後部は良好に残っています。
仮称西群はこちらから
(2019年)
その1
位置:34°40′50″N 133°41′39″E (日本測地系)
34.68378038 133.69152397(世界測地系)
新しく見つかった1列に並ぶ墳丘の最東端、以前訪問時通った山道から見えているが気が付かなかった

南側に大きく開口

それでも石室前部は破壊されているようだ

玄室は良好

ストロボ撮影、奥壁2段積み

奥から外、無袖かな

その2
1号すぐ西側に墳丘が見えている

石室全部埋没、奥に天井石が見えている

墳頂が盗掘で広く窪む

残存天井石は1枚だけ

その3
更に西側に大きな墳丘

石室前部破壊、狭い開口部

入るのは難しくはない

玄門、下がったまぐさ石

玄室も良好、石材の面が揃う

台形の鏡石を据えた奥壁

奥から外、左片袖式

奥から右

〃反対側、こちらの方が石材がやや大きい

その4
同程度の墳丘、ここのは大きさが割と揃う

極狭開口、流石に入るのは無理

カメラを突っ込んで撮影、石室良好、入れないのが残念なくらい良好

その3と同じような奥壁

その5
これまた整った墳丘

墳頂は盗掘で大きく窪む

反対側から見ても窪んでいるのが分かる、背後明るくなっている辺りに1号があるが消滅の模様

その6
_1:整った墳丘だが石室見られず

その7
大きさはあるが低い墳丘

激狭開口

細長い石室が良好に残る

ならばと無理矢理突入

奥壁は2段積み

奥から外、入り口が埋まるが無袖っぽい

その8
その7の側に低いがはっきりした墳丘

石材が一部露出、石室の様子はよくわからず

麓からの遠望、太陽パネル設置

パネルの間に隙間

位置からしてこれは

これも隙間があるから古墳か、でもこれを残すくらいなら1号を残してほしかった

(2010,11年)古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う
1号
方墳?
横穴式石室、玄室長5.5,幅1.4,高1.4m
位置:34°40′45″N 133°41′36″E (日本測地系)
34.68239163 133.69069077(世界測地系)
丘陵中腹緩斜面に立地

墳丘背後から

南側に石室開口

開口部、羨道前部は壊失

良好に残る玄室、右側壁の積み方が丁寧

ほぼ1枚石の奥壁

奥から外、片袖式

2号
横穴式石室
位置:34°40′49″N 133°41′34″E (日本測地系)
34.68350262 133.69013522(世界測地系)
天井石が何枚か露出

3号
横穴式石室、石室全長9m、玄室長5.5,幅2.3,高2.3m
位置:34°40′52″N 133°41′44″E (日本測地系)
34.68433589 133.69291272(世界測地系)
石室正面、羨道前部壊失

羨道奥、巨石まぐさ石が一段下がる

巨石を積んだ玄室、長い間水が貯まっていたようで下部が黒ずんでいる

巨石鏡石の奥壁、左側側壁もかなりの巨石

奥から外、片袖式

〃(縦位置)

4号
横穴式石室、玄室長3.5,幅1.2,高1.4m(現状)
位置:34°40′55″N 133°41′42″E (日本測地系)
34.68516913 133.69235717(世界測地系)
石室正面

玄室後部が良好に残る

ほぼ1枚石の奥壁

奥から外

5号
横穴式石室
位置:34°40′36″N 133°41′32″E (日本測地系)
34.67989189 133.68957987(世界測地系)
尾根先端に大きな墳丘が残るが前(右側)が大きく削られている

大きく抉られ石室露出

奥辺りしか残っていない

巨大な天井石

石仏が祀られ奥壁はよく見えない

(見学記)
(2019年)
古墳が新たに7基発見されたので行ってみました。行ってみるとこの側の道は何度か通っていてそこから墳丘が見えているじゃないか、ここも知らなければ見えないの法則(汗)。それはともかく7基集中、内3基で入室可能な石室、1基隙間開口しています。南側に4基、北側に3基並んでいてその間にもう水が流れていない水路があります。ここを通れば移動も容易。西側前1、後ろ2基で大きく盗掘されています。後列東側の1基はシダの藪の中で分かりにくい、開口部も狭く無理やり入ってきました。直ぐ側に低い高まりがあるけど古墳なのかな、それにしては小さすぎるし塚にしては低すぎる。この南側以前は林だったけどすっかり切り払われ太陽光パネルの設置工事が進んでいました。その南側にあった1号は破壊消滅したようです(怒)。この古墳群の中では良好に残っていたのにね。北東側はもう一面パネルが設置されています、所々に隙間があり古墳が残されています。石室があるのも見えていますが4号かな。こちらの方は残されているだけに1号が何故破壊されたか疑問、遺跡があるのは分かっているのだから少なくとも発掘をしないと工事できないと思うんだけどね。南側溜池東側に駐車スペースあり。
(2010,11年)
総社市浦越、ここもかまどねこさんに案内して貰ったときカメラの故障で写真がおかしくなっていたので再訪。かなり広い範囲に分布しているので再訪時でも多少手間取った。東側の住宅団地最奥に駐車ポイントがありそこから小さなため池南側を通っていくと道の脇にぽっかり石室が開口しています。これが仮3号、墳丘は藪に包まれ羨道前部も壊失しているようですが巨石を使った玄室完存、玄室長5.5m程、殆ど持ち送りのない側壁、奥壁は巨石の鏡石を据えその上に一段重ねています。玄門は左片袖式、まぐさ石もすこぶるつきの巨石です。以前は水が貯まっていたようで石室下部が黒くなっています。更に西に進むと開けた場所に畑が広がりその西側に丸い墳丘が見えています。これが仮1号で方墳だそうだ。南側に開口羨道は多少壊失していますがこちらも玄室完存、玄室長は5.5mと3号と変わりませんが幅高さとも小さくやや小ぶりな印象を感じさせます(こちらを先に見てから3号に行ったほうがいいかも)。それでも奥壁は1枚石からなりこちらも側壁はほぼ垂直に立ち上がっています。左に比べて右側壁の方が石が割と整っていて丁寧に積み重ねられている印象を受けます。ここから北西側ため池北側にあるのが仮2号、天井石が露出している程度で内部は埋没しています。3号から山道を北に向かい大きく西にカーブした辺りの少し先にあるのが仮3号、ここは一応自力で発見、と言っても現地を見たら両側は細竹の藪で全く見通しがきかず道そのものも消えかかっている状態でこれは無理だなと思ったけどせっかく来たのだからと入りやすそうな場所から突入してみると(道南側)ピッタシだったようで両側に墳丘が見えていました。となると石室のあるのは西側、細竹が茂って移動が大変だけどなんとかたどり着けました。石室自体は小形で前部は壊失しているけど後部は良好に残っています。