妻山古墳群
佐賀県白石町 2014年3月訪問
横穴石室を主体とする古墳群、幾つかで線刻壁画
(見学順に並べてます)
その1
道を外れて林に入った途端にぶち当たった石室

割と墳丘が残るが頂部に石室露出

天井を失った石室、斜面下方に開口

奥壁側壁とも石材に違いはなさそう

その2
墳丘残るも荒れ果てている

天井石と側壁片側壊失

右奥が奥壁側かな

その3
南からの眺め、はっきりした墳丘が残る

北側に石材露出、何故か北側に開口

開口部は狭くて入室不可、上がまぐさ石、その上が天井石でしょうか

カメラを突っ込んで撮影、山側側壁が大きく傾き何時崩れてもおかしくない状態

小型石材を積んだ奥壁

頂部に天井石一部露出、隙間開口

隙間から入口側

その4
僅かに高まりが残る

頂部に石材露出、石室でしょうね

6号
位置:33°11′09″N 130°05′49″E (日本測地系)
33.18915824 130.09464896(世界測地系)
東側斜面から見た墳丘、肉眼ではもっと大きく高く見えた

南東方向から見た墳丘、道で少し削られている

開口部正面、樹木で半分隠れているのが残念、右側の石列はなんでしょう、石室や墳丘関連ではなさそうだが

羨道奥、玄門、凄く背が高い

玄室完存、幅の割に背が高い、奥壁は下部だけ巨石を据えている

〃縦位置

幅の狭い天井、石は4枚かな

奥から外、両袖式だが柱状の袖石ではない

〃縦位置

線刻壁画、模様は何でしょう

7号
玄室長1.4,幅3.5,高2.8m
6号西側に隣接、開口部は埋没

頂部に天井石露出、間の石材が外されて開口

東西に長く南北に狭いT字型石室

玄門が西に偏っている、T字型でなくL字型かも

西側側壁、どう見ても奥壁的積み方ですね

東側側壁、西と比べて下部に巨石がない、床面に敷石らしき石材もある

東側側壁下部の線刻壁画、かなり画像処理して何とか分かる

玄門上部の線刻、格子紋と斜格子文の組み合わせかな

その5
緩やかな高まりが残る

頂部に石材露出、かなり破壊されているが石室だと分かる

斜め前から、手前が側壁

その6
こちらも高まりが残る

石材露出、かなり破壊

見学記
白石町馬洗、東から歌垣公園に登っていく県道245号沿いに妻山神社がありそこから200m程行った右手に果樹園、中の曲がりくねった道を登って行くと一番上に6、7号があります。でも6,7号はピンポイントで位置が分かっていなかったので途中で林の中に入っていったらそれが正解芋づる式に4基の古墳を見つけました。3基は石室大きく破壊、1基も石室は残っていますが入室不可、隙間から覗く程度です。石室自体は入り口から奥壁までよく残っていますが山側の側壁が大きく孕みかなり危険な状態です。そこから見る6号墳丘の巨大なこと、南側果樹園に出ると前面が削られていて石室が開口しています。開口部が樹木が覆いかぶさって見えにくくなっているのが残念。羨道上部はかなり失われていますが玄門前はこれが羨道かと思えるような高さです。狭い玄門を抜けると巨大な玄室完存、背が高く上部は持ち送り天井部は細長く4枚からなっています。石材は特に巨石が使われているわけではありませんが奥壁下部の石だけがやや巨石、上部が丸く鏡石らいいですが丸みが左に偏ってやや整びさにかけるのが残念。一部線刻が見られます。すぐ西隣には7号、もう墳丘は6号と一体化していて区別がつきません。開口部は見当たりませんが頂部で天井が露出、天井石中央の石が外され開口、T字型石室ですが極端に幅が(実際は奥行きだけど)狭くなっています。西側側壁は下部に表面が平滑な四角い石を据えこちらの方が余程奥壁らしい雰囲気。玄門が極端に東に偏っていることを考えるとこれはT字型石室というより東側に副室の付いたL字型石室と考えるほうが妥当でしょうか。上部がやや持ち送りされ入ると脱出困難そうなので入らなかったけど内部に線刻があるそうです(後で写真を見て何とか2ヶ所確認)。ここから西の林に入り尾根上に2,3号があります。ともに低い墳丘破壊された石室露出程度です。この手前に尾根先端を加工したような大きな高まりが有りますがあれは古墳ではないのかな、6号の墳丘を見たらあれが墳丘でもおかしくはない。古墳だったら未盗掘の石室がそっくり残っているかも。4号は県道沿いにあるようですが大分離れているようで見つけられず。県道に駐車スペース有り。
横穴石室を主体とする古墳群、幾つかで線刻壁画
(見学順に並べてます)
その1
道を外れて林に入った途端にぶち当たった石室

割と墳丘が残るが頂部に石室露出

天井を失った石室、斜面下方に開口

奥壁側壁とも石材に違いはなさそう

その2
墳丘残るも荒れ果てている

天井石と側壁片側壊失

右奥が奥壁側かな

その3
南からの眺め、はっきりした墳丘が残る

北側に石材露出、何故か北側に開口

開口部は狭くて入室不可、上がまぐさ石、その上が天井石でしょうか

カメラを突っ込んで撮影、山側側壁が大きく傾き何時崩れてもおかしくない状態

小型石材を積んだ奥壁

頂部に天井石一部露出、隙間開口

隙間から入口側

その4
僅かに高まりが残る

頂部に石材露出、石室でしょうね

6号
位置:33°11′09″N 130°05′49″E (日本測地系)
33.18915824 130.09464896(世界測地系)
東側斜面から見た墳丘、肉眼ではもっと大きく高く見えた

南東方向から見た墳丘、道で少し削られている

開口部正面、樹木で半分隠れているのが残念、右側の石列はなんでしょう、石室や墳丘関連ではなさそうだが

羨道奥、玄門、凄く背が高い

玄室完存、幅の割に背が高い、奥壁は下部だけ巨石を据えている

〃縦位置

幅の狭い天井、石は4枚かな

奥から外、両袖式だが柱状の袖石ではない

〃縦位置

線刻壁画、模様は何でしょう

7号
玄室長1.4,幅3.5,高2.8m
6号西側に隣接、開口部は埋没

頂部に天井石露出、間の石材が外されて開口

東西に長く南北に狭いT字型石室

玄門が西に偏っている、T字型でなくL字型かも

西側側壁、どう見ても奥壁的積み方ですね

東側側壁、西と比べて下部に巨石がない、床面に敷石らしき石材もある

東側側壁下部の線刻壁画、かなり画像処理して何とか分かる

玄門上部の線刻、格子紋と斜格子文の組み合わせかな

その5
緩やかな高まりが残る

頂部に石材露出、かなり破壊されているが石室だと分かる

斜め前から、手前が側壁

その6
こちらも高まりが残る

石材露出、かなり破壊

見学記
白石町馬洗、東から歌垣公園に登っていく県道245号沿いに妻山神社がありそこから200m程行った右手に果樹園、中の曲がりくねった道を登って行くと一番上に6、7号があります。でも6,7号はピンポイントで位置が分かっていなかったので途中で林の中に入っていったらそれが正解芋づる式に4基の古墳を見つけました。3基は石室大きく破壊、1基も石室は残っていますが入室不可、隙間から覗く程度です。石室自体は入り口から奥壁までよく残っていますが山側の側壁が大きく孕みかなり危険な状態です。そこから見る6号墳丘の巨大なこと、南側果樹園に出ると前面が削られていて石室が開口しています。開口部が樹木が覆いかぶさって見えにくくなっているのが残念。羨道上部はかなり失われていますが玄門前はこれが羨道かと思えるような高さです。狭い玄門を抜けると巨大な玄室完存、背が高く上部は持ち送り天井部は細長く4枚からなっています。石材は特に巨石が使われているわけではありませんが奥壁下部の石だけがやや巨石、上部が丸く鏡石らいいですが丸みが左に偏ってやや整びさにかけるのが残念。一部線刻が見られます。すぐ西隣には7号、もう墳丘は6号と一体化していて区別がつきません。開口部は見当たりませんが頂部で天井が露出、天井石中央の石が外され開口、T字型石室ですが極端に幅が(実際は奥行きだけど)狭くなっています。西側側壁は下部に表面が平滑な四角い石を据えこちらの方が余程奥壁らしい雰囲気。玄門が極端に東に偏っていることを考えるとこれはT字型石室というより東側に副室の付いたL字型石室と考えるほうが妥当でしょうか。上部がやや持ち送りされ入ると脱出困難そうなので入らなかったけど内部に線刻があるそうです(後で写真を見て何とか2ヶ所確認)。ここから西の林に入り尾根上に2,3号があります。ともに低い墳丘破壊された石室露出程度です。この手前に尾根先端を加工したような大きな高まりが有りますがあれは古墳ではないのかな、6号の墳丘を見たらあれが墳丘でもおかしくはない。古墳だったら未盗掘の石室がそっくり残っているかも。4号は県道沿いにあるようですが大分離れているようで見つけられず。県道に駐車スペース有り。