姫御前古墳
佐賀県小城市(旧小城町)2014年3月訪問
円墳、R25
横穴式石室、全長10m
位置:33°16′45″N 130°10′32″E (日本測地系)
33.28248228 130.17325273(世界測地系)
山頂から北に伸びる尾根先端に構築、肉眼だともっとはっきり墳丘が分かるのですが

羨道開口部、東向き

長い羨道が良好に残る、羨道がここまで良好に残るのも珍しい

玄室も明るく見えています

玄室もほぼ完存、石材はそれ程巨石ではない、墳丘上部で石材露出、光が漏れている

〃縦位置、背の高いドーム状、手前の石は割れて落花した天井石

狭い天井部、一部割れて落下

奥から外、両袖式、袖部は石を積み重ねている

羨道奥から

線刻、斜格子文かな、線刻は多数あるが落書きも非常に多く確認困難

墳丘上部で天井露出、左側が奥壁側、正面の石が割れて破片が玄室に落下している、左側の石も動かされているようだ、割りかけた跡の矢穴もある

石室上部の石材、概ね平石で奥行きがあるようだ、左側の木も石材を支えているような(違)

天井隙間から見た玄門部

〃奥壁側壁

見学記
小城市小城町栗原、多久市との境界辺りにある峰山と鏡山との鞍部に大きな石碑(果樹鉱害碑)がありそこから南に山道を200m程登った所です。尾根先端に構築された径25m高10mの大きな墳丘が残っています。それでも天井石が露出しているんだから元はどれ程大きかったのやら。東側に開口、長い羨道が良好に残っています。羨道がここまで完全に残っているのもかなり珍しいかもね。長い羨道を通って玄室に入るとそこは巨大な空間、高さ4mはあろうかという背の高い玄室です。天井石が割れて一部落下しているので内部は明るい。線刻があるはずですが落書き線刻が非常に多いのが玉に瑕、名前等が彫られていると初めからパスできるけど迷うのも多いんだよね。そんなに気楽に来れるような場所ではないのでこんな所に来るのは余程の古墳好きだと思うけどそんな人がなんで落書きなんてするのかな。石碑の場所に駐車場所有り、ただそこまでの道は狭く急傾斜。市史跡。
円墳、R25
横穴式石室、全長10m
位置:33°16′45″N 130°10′32″E (日本測地系)
33.28248228 130.17325273(世界測地系)
山頂から北に伸びる尾根先端に構築、肉眼だともっとはっきり墳丘が分かるのですが

羨道開口部、東向き

長い羨道が良好に残る、羨道がここまで良好に残るのも珍しい

玄室も明るく見えています

玄室もほぼ完存、石材はそれ程巨石ではない、墳丘上部で石材露出、光が漏れている

〃縦位置、背の高いドーム状、手前の石は割れて落花した天井石

狭い天井部、一部割れて落下

奥から外、両袖式、袖部は石を積み重ねている

羨道奥から

線刻、斜格子文かな、線刻は多数あるが落書きも非常に多く確認困難

墳丘上部で天井露出、左側が奥壁側、正面の石が割れて破片が玄室に落下している、左側の石も動かされているようだ、割りかけた跡の矢穴もある

石室上部の石材、概ね平石で奥行きがあるようだ、左側の木も石材を支えているような(違)

天井隙間から見た玄門部

〃奥壁側壁

見学記
小城市小城町栗原、多久市との境界辺りにある峰山と鏡山との鞍部に大きな石碑(果樹鉱害碑)がありそこから南に山道を200m程登った所です。尾根先端に構築された径25m高10mの大きな墳丘が残っています。それでも天井石が露出しているんだから元はどれ程大きかったのやら。東側に開口、長い羨道が良好に残っています。羨道がここまで完全に残っているのもかなり珍しいかもね。長い羨道を通って玄室に入るとそこは巨大な空間、高さ4mはあろうかという背の高い玄室です。天井石が割れて一部落下しているので内部は明るい。線刻があるはずですが落書き線刻が非常に多いのが玉に瑕、名前等が彫られていると初めからパスできるけど迷うのも多いんだよね。そんなに気楽に来れるような場所ではないのでこんな所に来るのは余程の古墳好きだと思うけどそんな人がなんで落書きなんてするのかな。石碑の場所に駐車場所有り、ただそこまでの道は狭く急傾斜。市史跡。