大村横穴群
熊本県人吉市 2014年3月訪問
27基(1-3号欠番)、一部装飾横穴
位置:32°12′49″N 130°45′22″E (日本測地系)
32.21703917 130.75379351(世界測地系)
全景
JR人吉駅背後にある横穴群、これは壮観

駅跨線橋からの眺め

阿蘇溶結凝灰岩崖面に構築、中央上部では柱状節理になりかけている

4号
右4号、左5号

開口部は石で塞がれているが当時の物なのかな、右側に靫等の浮き彫りがあるがはっきりしない、左の石垣は修復なんでしょうか

5号
開口部、周辺に線彫りがあるのは石垣のように見せているんでしょうか

上部に靫の装飾、右は線刻だが左は浮き彫り、崖面を平に整形して浮き彫りしているようだ

右側にも靫の線刻、上部に矢の表現もある、間にもう一つの靫と剣の線刻がある、曇り空だったので線刻がはっきりしないな

横穴内部、左右に屍床

上部は屋根型、線刻の縁取りがある

6a号
少し高い位置に開口、右は後世のもの

額縁型の開口部、左に靫、左上に剣のような浮き彫りがある

6b号
右から6a、6b、7、8、9号

閉塞石で塞がれている、当時の物なんだろうな

7号
右6a、中7、左8号

複雑な装飾(説明板より)

開口部の割に額縁部分が広い、上部に多彩な浮き彫り装飾

左に馬3頭、その下に馬と馬鐸、開口部上部に連続三角文と上に屋根?、その右に靫と弓

8号
開口部、周りを石垣状に見せているんでしょうか

9号
他とは変わった形の開口部

10号
右10号、左11号

2重3重の額縁状入り口、壁面が斜めになっている、左11号右上に靫の浮き彫り

11号
多彩な浮き彫り装飾(説明板より)

左側多数の浮き彫り、右側にも靫がある

12号
崩壊で奥しか残っていない

(13、14号見逃し)
15b号
節理面を巧く利用、右に見えているのが15a号、左や上部に開けた丸い穴は閉塞石を嵌め込んだのでしょうか、右にも閂を嵌め込んだような窪みがある

上部に多数の円文、線刻部分が幅広いので浮き彫りのように見える、壁面を削った跡もよく残る

右閂穴上下や左にも円文

玄室内部にも円文(矢印)、内部に線刻があるのも珍しいかも

16,17号
崩壊で奥しか残っていない

18号
右から18,19,20,21,22号(右端は後世)

開口部、僅かに額縁型

屋根型の内部、左に19号に通じる穴がある

19号
前面崩壊、内部はかなり大きい

18号に通じる穴、人が通るには小さすぎ

20号
右から20,21,22号、近接しているのに開口部の形がみな違う

左右に屍床、奥にはなくよく見かけるコの字型ではない

21号
こちらは屍床は片側だけ

23,24号
中23号、左24号、右は分布図に載っていないそうだ

(25,26号は崩壊で目立たないようです)
(おまけ)
5号から上って行く途中にありました、物置、防空壕?、でも左右の2基は入り口が額縁状になっている

右端の内部、入口辺りは機械で削られたような跡

左端開口部、額縁状になっている、物置などでこんな手間を掛けるかな

内部は奥で左右に分かれ更に奥がある、横穴墓を更に掘り進めたと言うことはないかな

見学記
人吉市城本町、人吉駅北側にある横穴墓でホームからも見えてます。広い範囲に分布するようですがとくにホームから見えるこの範囲が素晴らしく靫や円文など浮き彫りや線刻装飾が多く見られ阿蘇溶結凝灰岩の崖面も見事でここが特別な区画だったんでしょうか。近寄れないので双眼鏡を持っていったほうがよさそうです。一番東側(5号かな)の横穴が側まで近寄れ内部を覗けます。表には浮き彫りや線刻の靫が4つあります。内部にはコの字型屍床がありこの付近の横穴によく見られる壁面の段差もあります。階段を登った上にも横穴があるけど古墳時代か後世のものか不明、構造からして多分後世のかな。これで終わり次に出発と思ってナビを見ると西側に大村横穴西群の表示があるじゃないですか。慌てて行ってみたらそちらにもありました。多分その間も連綿として続いているのかな。こちらは保存状況はやや悪いですがそれでも内部の様子をよく観察できます。1基だけ円文の浮き彫りが多数あるのがあり貫抜穴かと思われるのもついてます。ここでも隣り合った横穴がトンネルで繋がっているのもありましたがこちらは人は通れそうもありません。どんな役割があったんでしょうね。見学しやすく横穴や装飾をたっぷり堪能できる横穴群でした。曇の日に行ったので線刻の見え具合がいまいち、晴れた日に時間帯を選んで行ったほうが良さそうです。駐車場あり。国史跡。
27基(1-3号欠番)、一部装飾横穴
位置:32°12′49″N 130°45′22″E (日本測地系)
32.21703917 130.75379351(世界測地系)
全景
JR人吉駅背後にある横穴群、これは壮観

駅跨線橋からの眺め

阿蘇溶結凝灰岩崖面に構築、中央上部では柱状節理になりかけている

4号
右4号、左5号

開口部は石で塞がれているが当時の物なのかな、右側に靫等の浮き彫りがあるがはっきりしない、左の石垣は修復なんでしょうか

5号
開口部、周辺に線彫りがあるのは石垣のように見せているんでしょうか

上部に靫の装飾、右は線刻だが左は浮き彫り、崖面を平に整形して浮き彫りしているようだ

右側にも靫の線刻、上部に矢の表現もある、間にもう一つの靫と剣の線刻がある、曇り空だったので線刻がはっきりしないな

横穴内部、左右に屍床

上部は屋根型、線刻の縁取りがある

6a号
少し高い位置に開口、右は後世のもの

額縁型の開口部、左に靫、左上に剣のような浮き彫りがある

6b号
右から6a、6b、7、8、9号

閉塞石で塞がれている、当時の物なんだろうな

7号
右6a、中7、左8号

複雑な装飾(説明板より)

開口部の割に額縁部分が広い、上部に多彩な浮き彫り装飾

左に馬3頭、その下に馬と馬鐸、開口部上部に連続三角文と上に屋根?、その右に靫と弓

8号
開口部、周りを石垣状に見せているんでしょうか

9号
他とは変わった形の開口部

10号
右10号、左11号

2重3重の額縁状入り口、壁面が斜めになっている、左11号右上に靫の浮き彫り

11号
多彩な浮き彫り装飾(説明板より)

左側多数の浮き彫り、右側にも靫がある

12号
崩壊で奥しか残っていない

(13、14号見逃し)
15b号
節理面を巧く利用、右に見えているのが15a号、左や上部に開けた丸い穴は閉塞石を嵌め込んだのでしょうか、右にも閂を嵌め込んだような窪みがある

上部に多数の円文、線刻部分が幅広いので浮き彫りのように見える、壁面を削った跡もよく残る

右閂穴上下や左にも円文

玄室内部にも円文(矢印)、内部に線刻があるのも珍しいかも

16,17号
崩壊で奥しか残っていない

18号
右から18,19,20,21,22号(右端は後世)

開口部、僅かに額縁型

屋根型の内部、左に19号に通じる穴がある

19号
前面崩壊、内部はかなり大きい

18号に通じる穴、人が通るには小さすぎ

20号
右から20,21,22号、近接しているのに開口部の形がみな違う

左右に屍床、奥にはなくよく見かけるコの字型ではない

21号
こちらは屍床は片側だけ

23,24号
中23号、左24号、右は分布図に載っていないそうだ

(25,26号は崩壊で目立たないようです)
(おまけ)
5号から上って行く途中にありました、物置、防空壕?、でも左右の2基は入り口が額縁状になっている

右端の内部、入口辺りは機械で削られたような跡

左端開口部、額縁状になっている、物置などでこんな手間を掛けるかな

内部は奥で左右に分かれ更に奥がある、横穴墓を更に掘り進めたと言うことはないかな

見学記
人吉市城本町、人吉駅北側にある横穴墓でホームからも見えてます。広い範囲に分布するようですがとくにホームから見えるこの範囲が素晴らしく靫や円文など浮き彫りや線刻装飾が多く見られ阿蘇溶結凝灰岩の崖面も見事でここが特別な区画だったんでしょうか。近寄れないので双眼鏡を持っていったほうがよさそうです。一番東側(5号かな)の横穴が側まで近寄れ内部を覗けます。表には浮き彫りや線刻の靫が4つあります。内部にはコの字型屍床がありこの付近の横穴によく見られる壁面の段差もあります。階段を登った上にも横穴があるけど古墳時代か後世のものか不明、構造からして多分後世のかな。これで終わり次に出発と思ってナビを見ると西側に大村横穴西群の表示があるじゃないですか。慌てて行ってみたらそちらにもありました。多分その間も連綿として続いているのかな。こちらは保存状況はやや悪いですがそれでも内部の様子をよく観察できます。1基だけ円文の浮き彫りが多数あるのがあり貫抜穴かと思われるのもついてます。ここでも隣り合った横穴がトンネルで繋がっているのもありましたがこちらは人は通れそうもありません。どんな役割があったんでしょうね。見学しやすく横穴や装飾をたっぷり堪能できる横穴群でした。曇の日に行ったので線刻の見え具合がいまいち、晴れた日に時間帯を選んで行ったほうが良さそうです。駐車場あり。国史跡。