名村古墳群
兵庫県上郡町 2005年4月訪問)
2基
1号
横穴式石室
墓地の中に2基、左が1号、右の藪が2号、確認後の撮影、初め下を通った時は気が付かず

石室講武残存、かなり改変されている

石仏が鎮座、祠として利用

奥壁は小型鏡石を据え上と左に切り石状角石を配置と変わった構造

2号
横口式石槨
位置:34°52′12″N 134°19′01″E (日本測地系)
34.87321765 134.31424178(世界測地系)
段差部分にあって墳丘ははっきりしない

振り向けば石室開口、崖の上で登りにくい

開口部正面、足場が悪く撮りにくい

羨道は土砂が流入して通過が難しい

板石が突き出た袖石、一段下がったまぐさ石

奥壁、奥行きがないのであまり撮れない

西側側壁、こちらの方が奥壁っぽい

東側側壁、こちらは1枚石、T字型石室と言ってもよさそうだが

羨道奥から

玄門西側、板状の袖石

玄門東側、板状の袖石2段積み

見学記
上郡町八保甲、丘陵麓辺りお寺の東側に墓地がありその東端辺りにあります。探してみたがなかなか見つからず諦めかけてふと振り向くとすぐ上植え込みの中に石室が開口していた。これが名村2号、開口部が2m程上にあって登りづらくしかも羨道に土砂がたまって入りにくい。でも珍しい横口式石槨なので無理をして入ってみました。石槨は奥行き1m幅1mとかなり小さい、こんな場所にどうやって遺体や遺物を収めたんでしょうね。石槨じゃなくT字型石室と言ってもおかしくないな。すぐ東側に1号がありますがこちらは極普通の石室で後部が残っています。こんなに形式が違うのも興味深いところです。前の道路が広いので短時間なら駐車問題なし。
2基
1号
横穴式石室
墓地の中に2基、左が1号、右の藪が2号、確認後の撮影、初め下を通った時は気が付かず

石室講武残存、かなり改変されている

石仏が鎮座、祠として利用

奥壁は小型鏡石を据え上と左に切り石状角石を配置と変わった構造

2号
横口式石槨
位置:34°52′12″N 134°19′01″E (日本測地系)
34.87321765 134.31424178(世界測地系)
段差部分にあって墳丘ははっきりしない

振り向けば石室開口、崖の上で登りにくい

開口部正面、足場が悪く撮りにくい

羨道は土砂が流入して通過が難しい

板石が突き出た袖石、一段下がったまぐさ石

奥壁、奥行きがないのであまり撮れない

西側側壁、こちらの方が奥壁っぽい

東側側壁、こちらは1枚石、T字型石室と言ってもよさそうだが

羨道奥から

玄門西側、板状の袖石

玄門東側、板状の袖石2段積み

見学記
上郡町八保甲、丘陵麓辺りお寺の東側に墓地がありその東端辺りにあります。探してみたがなかなか見つからず諦めかけてふと振り向くとすぐ上植え込みの中に石室が開口していた。これが名村2号、開口部が2m程上にあって登りづらくしかも羨道に土砂がたまって入りにくい。でも珍しい横口式石槨なので無理をして入ってみました。石槨は奥行き1m幅1mとかなり小さい、こんな場所にどうやって遺体や遺物を収めたんでしょうね。石槨じゃなくT字型石室と言ってもおかしくないな。すぐ東側に1号がありますがこちらは極普通の石室で後部が残っています。こんなに形式が違うのも興味深いところです。前の道路が広いので短時間なら駐車問題なし。