深谷古墳群
岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2005年4月訪問、17年1月再訪
6基、4,5号消滅
(2017年)
1号
横穴式石室、残存長4,幅1.6,高1.7m
位置:34°36′02″N 134°07′54″E (日本測地系)
34.60379517 134.12898725(世界測地系)
藪のような林の中にあった墳丘はすっかり露出、ただの残土の山にしか見えません、背後は宴の跡のテニスコート

石室が心配でしたが無事でした

内部も変化なし

2号
横穴式石室、残存長3.5,幅2,高1.8m
墳丘がかなり削られているようだ

こちらも石室無事

前は接近困難だったが来やすくなったとは言える

3号
横穴式石室
前は藪状態だったが多少ましになっていた

1枚だけ残っている天井石、片側が円形、かなり加工されているんでしょうか

6号
横穴石室、全長5.8、玄室長3,幅1.5,高1.7m
位置:34°36′04″N 134°07′44″E (日本測地系)
34.60435065 134.12620965(世界測地系)
尾根上に良好に残る墳丘、背後山側から

南側に開口、羨道前部は天井を失う

石室正面楽々入室、来るのは大変ですが

羨道後部

やや背の高い石室、側壁は一様に内側に傾く

〃ストロボ

奥壁は2段積み、上下の境目のカーブが見事に合っている

奥から外、左片袖式だが袖石はなし

羨道奥から

(2014年)
遠望、右側斜面に3基、左側尾根筋に6号

1号
後部が残存した石室

側壁、石材は中型

奥壁は三角形の鏡石、左に偏る

背後から見た墳丘

2号
こちらも天井石が残っているのは後部だけ

側壁は1号と変わらず

奥壁は大きく違い平石4段積み、最奥天井石も1段下がる

3号
上部を失った石室、藪で覆われよく分からず、中央に見えているのは天井石でしょうか

奥壁はどちらかと言うと1号似かな

見学記
(2017年)
牛窓町鹿忍、前回6号を探しそこねたのでリベンジすべく再訪してみました。谷西側の尾根筋にあるので取り敢えず尾根に登り尾根筋を登っていきます。ほぼ上りかと思いましたが僅かながら下りや上りになっています。その内やや急な上りになり登り尽きた辺りに尾根筋を目一杯に使った大きな墳丘に当たります。その先はまた平坦になっているので地形を利用した墳丘のようです。南側に開口羨道前部天井を失っていますが他は完存、玄室はやや持ち送りがあり左片袖式、奥壁は下が埋まっていますが2段積みでしょうか。こんな場所からは想像できない墳丘と石室でした。でも立地や墳丘石室構造等からすると深谷古墳群より槌ヶ谷古墳群に含めた方がいいような気もしますけどね。帰りは尾根筋を下っていく、つもりでしたが先端辺りで降りる方向を間違えたようで現在位置が分からなくなる状態(汗)、溜池が見えたのでそちらの方に降りましたが西側の谷筋に降りてしまい元の場所に戻るのに随分遠回りをしてしまった。この谷奥にも矢寄北古墳があるはずですが藪が酷いようなので敢えて近寄らず。
深谷1-3号はすぐ側でメガソーラーが出来ていて地形が大きく改変されていました。古墳自体が心配でしたが2号の墳丘が少し削られているようですが3基とも何とか残っています。まだ稼働前で以前より接近しやすくなっていましたが稼働し始めると入るのは難しくなるかもしれません。
(2014年)
瀬戸内市牛窓町鹿忍、谷筋斜面にある古墳群で6基からなりますが4,5号消滅。テニスクラブがありますが廃業しているので入るのは容易でもすっかり藪になっています。前と奥のコート中間辺り北側斜面に1-3号があリます。コート脇を入っていって3,4mの崖を無理やり登ると1号があります。墳丘は割と残っていて南に開口前部は壊失しています。三角形の鏡石を左に置き後は小型石材を積み重ねとデザインいまいち。すぐ西側に2号こちらも前部壊失、奥壁は下がやや埋まっていますが平石4段重ねと1号と比べてスッキリ。更に西に3号がありますが上部大きく損壊天井石が落下全体に藪に包まれるなど状況はよくありません。南側尾根筋に6号があるそうですが携帯に落とした地形図を読み違えて見つけられず、残念。北側の槌ヶ谷古墳群は相当難しそうなのでパス。廃業しているので門の前に駐車可。でも時間をおけばおくほどコート周辺でも通過が難しくなりそう。
6基、4,5号消滅
(2017年)
1号
横穴式石室、残存長4,幅1.6,高1.7m
位置:34°36′02″N 134°07′54″E (日本測地系)
34.60379517 134.12898725(世界測地系)
藪のような林の中にあった墳丘はすっかり露出、ただの残土の山にしか見えません、背後は宴の跡のテニスコート

石室が心配でしたが無事でした

内部も変化なし

2号
横穴式石室、残存長3.5,幅2,高1.8m
墳丘がかなり削られているようだ

こちらも石室無事

前は接近困難だったが来やすくなったとは言える

3号
横穴式石室
前は藪状態だったが多少ましになっていた

1枚だけ残っている天井石、片側が円形、かなり加工されているんでしょうか

6号
横穴石室、全長5.8、玄室長3,幅1.5,高1.7m
位置:34°36′04″N 134°07′44″E (日本測地系)
34.60435065 134.12620965(世界測地系)
尾根上に良好に残る墳丘、背後山側から

南側に開口、羨道前部は天井を失う

石室正面楽々入室、来るのは大変ですが

羨道後部

やや背の高い石室、側壁は一様に内側に傾く

〃ストロボ

奥壁は2段積み、上下の境目のカーブが見事に合っている

奥から外、左片袖式だが袖石はなし

羨道奥から

(2014年)
遠望、右側斜面に3基、左側尾根筋に6号

1号
後部が残存した石室

側壁、石材は中型

奥壁は三角形の鏡石、左に偏る

背後から見た墳丘

2号
こちらも天井石が残っているのは後部だけ

側壁は1号と変わらず

奥壁は大きく違い平石4段積み、最奥天井石も1段下がる

3号
上部を失った石室、藪で覆われよく分からず、中央に見えているのは天井石でしょうか

奥壁はどちらかと言うと1号似かな

見学記
(2017年)
牛窓町鹿忍、前回6号を探しそこねたのでリベンジすべく再訪してみました。谷西側の尾根筋にあるので取り敢えず尾根に登り尾根筋を登っていきます。ほぼ上りかと思いましたが僅かながら下りや上りになっています。その内やや急な上りになり登り尽きた辺りに尾根筋を目一杯に使った大きな墳丘に当たります。その先はまた平坦になっているので地形を利用した墳丘のようです。南側に開口羨道前部天井を失っていますが他は完存、玄室はやや持ち送りがあり左片袖式、奥壁は下が埋まっていますが2段積みでしょうか。こんな場所からは想像できない墳丘と石室でした。でも立地や墳丘石室構造等からすると深谷古墳群より槌ヶ谷古墳群に含めた方がいいような気もしますけどね。帰りは尾根筋を下っていく、つもりでしたが先端辺りで降りる方向を間違えたようで現在位置が分からなくなる状態(汗)、溜池が見えたのでそちらの方に降りましたが西側の谷筋に降りてしまい元の場所に戻るのに随分遠回りをしてしまった。この谷奥にも矢寄北古墳があるはずですが藪が酷いようなので敢えて近寄らず。
深谷1-3号はすぐ側でメガソーラーが出来ていて地形が大きく改変されていました。古墳自体が心配でしたが2号の墳丘が少し削られているようですが3基とも何とか残っています。まだ稼働前で以前より接近しやすくなっていましたが稼働し始めると入るのは難しくなるかもしれません。
(2014年)
瀬戸内市牛窓町鹿忍、谷筋斜面にある古墳群で6基からなりますが4,5号消滅。テニスクラブがありますが廃業しているので入るのは容易でもすっかり藪になっています。前と奥のコート中間辺り北側斜面に1-3号があリます。コート脇を入っていって3,4mの崖を無理やり登ると1号があります。墳丘は割と残っていて南に開口前部は壊失しています。三角形の鏡石を左に置き後は小型石材を積み重ねとデザインいまいち。すぐ西側に2号こちらも前部壊失、奥壁は下がやや埋まっていますが平石4段重ねと1号と比べてスッキリ。更に西に3号がありますが上部大きく損壊天井石が落下全体に藪に包まれるなど状況はよくありません。南側尾根筋に6号があるそうですが携帯に落とした地形図を読み違えて見つけられず、残念。北側の槌ヶ谷古墳群は相当難しそうなのでパス。廃業しているので門の前に駐車可。でも時間をおけばおくほどコート周辺でも通過が難しくなりそう。