明神古墳群
鹿児島県長島町 2015年3月訪問
砂礫帯上に約30基、積石塚
1号:竪穴、2-5号:横穴系竪穴、6号横穴式石室
位置:32°10′27″N 130°06′04″E (日本測地系)
32.17758449 130.09884793(世界測地系)
古墳群入り口、標柱と説明板

1号
石室正面、手前の石は天井石でしょうか、積石塚ですが周りの様子から天井は初めから露出していたような

天井石2枚残存

斜め後方から

石室一端に小さな仕切り石、幅も少し広くなる

石室内部

反対側、特に変わりなし

2号
手前2号、奥に3号

中央部にくびれがあり2室あるようだ

反対側から

主室、奥がやや広くなる

副室側、間にあるのは敷石でなく倒れた閉塞石でしょうか

石室真上から

3号
手前3号、奥に4号

石室内部にはっきりした仕切り石

斜め前から

天井石は2枚残存

石室真上から、くびれは無くほぼ長方形

4号
細長い石室、天井石1枚残存

中間に仕切り石と言うより閉塞石になっている

石室上横から

副室側から

小さな副室、閉塞石が2重になっているような

閉塞石の前に敷石

手前の側壁は通路状になっている

5号
細長い石室、右側壁はほぼ真っすぐだが左は曲がっている

斜め前から、天井石2枚残存

上と反対側から

斜め後方から

天井石の間に閉塞石、天井より高くここの天井石はどう架けていたんだろ

閉塞石の手前にも小さな仕切り石

仕切り石、左側にも他とは違う石がある

仕切り部分から主室側

6号
これは横穴石室だそうですが入り口はあったんだろうか

奥に玄門と閉塞石

ここが玄室なんでしょうけど手前側より狭い

斜め後方から

板石を使った玄門、左右の幅が異なる

?号
標柱がなく番号不明

露出した側壁、元々ここに積石はあったのかな

指江古墳群でよく見られた井戸状の石室

1-6号とは全く違う

見学記
白金古墳と小浜崎古墳の中間辺りから海岸に降りていく道があり案内板も立っています。指江古墳群と同様砂礫帯に立地する積石塚群で規模は大分小さく30基程ですが竪穴系や横穴系などここも興味深い石室が多く見られます。良好に見られるのは1-6号ですが微妙に構造が変遷していく様子も見られます。側に駐車スペースあり。県史跡。
砂礫帯上に約30基、積石塚
1号:竪穴、2-5号:横穴系竪穴、6号横穴式石室
位置:32°10′27″N 130°06′04″E (日本測地系)
32.17758449 130.09884793(世界測地系)
古墳群入り口、標柱と説明板

1号
石室正面、手前の石は天井石でしょうか、積石塚ですが周りの様子から天井は初めから露出していたような

天井石2枚残存

斜め後方から

石室一端に小さな仕切り石、幅も少し広くなる

石室内部

反対側、特に変わりなし

2号
手前2号、奥に3号

中央部にくびれがあり2室あるようだ

反対側から

主室、奥がやや広くなる

副室側、間にあるのは敷石でなく倒れた閉塞石でしょうか

石室真上から

3号
手前3号、奥に4号

石室内部にはっきりした仕切り石

斜め前から

天井石は2枚残存

石室真上から、くびれは無くほぼ長方形

4号
細長い石室、天井石1枚残存

中間に仕切り石と言うより閉塞石になっている

石室上横から

副室側から

小さな副室、閉塞石が2重になっているような

閉塞石の前に敷石

手前の側壁は通路状になっている

5号
細長い石室、右側壁はほぼ真っすぐだが左は曲がっている

斜め前から、天井石2枚残存

上と反対側から

斜め後方から

天井石の間に閉塞石、天井より高くここの天井石はどう架けていたんだろ

閉塞石の手前にも小さな仕切り石

仕切り石、左側にも他とは違う石がある

仕切り部分から主室側

6号
これは横穴石室だそうですが入り口はあったんだろうか

奥に玄門と閉塞石

ここが玄室なんでしょうけど手前側より狭い

斜め後方から

板石を使った玄門、左右の幅が異なる

?号
標柱がなく番号不明

露出した側壁、元々ここに積石はあったのかな

指江古墳群でよく見られた井戸状の石室

1-6号とは全く違う

見学記
白金古墳と小浜崎古墳の中間辺りから海岸に降りていく道があり案内板も立っています。指江古墳群と同様砂礫帯に立地する積石塚群で規模は大分小さく30基程ですが竪穴系や横穴系などここも興味深い石室が多く見られます。良好に見られるのは1-6号ですが微妙に構造が変遷していく様子も見られます。側に駐車スペースあり。県史跡。