大門古墳
山口県下関市(旧豊浦町)1993年4月訪問、2017年1月再訪
前方後円墳、TL33,R17,RH3.5,FW16
横穴式石室、玄室長2.9,幅2.8,高2m
位置:34°07′23″N 130°55′27″E (日本測地系)
34.12629625 130.92178069(世界測地系)
(2017年)
南からの遠望、矢印が古墳、北西に伸びる舌状丘陵先端近くに立地、右下の作業小屋辺りから入っていける

四半世紀ぶり、見通しが良くなっていたが大きな説明板が倒れている

反対側から、前方後円墳なのがよく分かる

前方部から後円部

後円部から前方部、前回は所有者の方がベンチに座っていたのが思い出されます

全国的に稀有な土管羨道(笑)、左右の石はオリジナル?

ドーム状玄室、奥壁下部は隙間なく丁寧に据えている

合成して迫力を増してみました

右側壁は上部がかなり持ち送り

左側壁はそれ程でもない

狭く細長い天井、右が奥側

奥から外、両袖式、しきみ石が大きく入り口が狭い、床面には河原石の敷石がある

〃縦位置

(1993年)
後円部側面、羨道保護のため入り口に土管を埋設

持ち送りのある玄室、下部にやや大型の石を据えている

天井、かなり狭い

両袖式、写真では分からないが玄室床面が1段下がる

(見学記)
(2017年)
下関市豊浦町大字黒井、山地から長く伸びた舌状丘陵先端辺に構築された前方後円墳です。ここも四半世紀ぶりの訪問、場所は分かっているけどどうやって丘の上に上がったがすっかり忘れているので衛星写真で見てみたら北側からの方が接近しやすそうだったので行ってみたら藪状態で無理、麓を廻っていたら地元の方に会って案内してもらえました。墳丘廻りは果樹園ですが既に所有者が止めていて放置状態、開口部前の説明板も倒れています。その割には見学しやすく小さいながらも背の高い墳丘が残っています。羨道は土管状態だけど余程羨道の状態が悪かったんでしょうか、こんな例は他に見たことがないですね。羨道はガッカリ感が強いですが玄室は完存、これは見学の価値あり。背が高く天井が狭いドーム状、ただ天井は円形でなく長方形です。南西側から入っていく道があります、墳丘の上に桜があるのでそれが目印、高い木なので冬でも目印になります。市史跡。
地元の方に聞いた話によると所有者の方が入院され果樹園はされていないそうです。この日はまだそれ程ではなかったですが今後は荒れ果てることが予想されます。
(1993年)
山陰本線黒井村駅途方1kmにある全長32mの前方後円墳です。西に伸びる尾根の先端に立地主軸は尾根と直交していて後円部西側に横穴石室が開口,土管のような物(これはどうにかならなかったんですかね、羨道はどうなったんだろう)が突き出ていてここから入っていくと玄室にたどり着きます。両袖式で小型の割石を使った持ち送りの強い玄室で平面規模の割に背の高い石室です。墳丘は周辺がかなり削られていますが何とか前方後円墳と分かる程度,ミカン畑の中にあって近くまで行かないと存在が分かりません。町史跡。
前方後円墳、TL33,R17,RH3.5,FW16
横穴式石室、玄室長2.9,幅2.8,高2m
位置:34°07′23″N 130°55′27″E (日本測地系)
34.12629625 130.92178069(世界測地系)
(2017年)
南からの遠望、矢印が古墳、北西に伸びる舌状丘陵先端近くに立地、右下の作業小屋辺りから入っていける

四半世紀ぶり、見通しが良くなっていたが大きな説明板が倒れている

反対側から、前方後円墳なのがよく分かる

前方部から後円部

後円部から前方部、前回は所有者の方がベンチに座っていたのが思い出されます

全国的に稀有な土管羨道(笑)、左右の石はオリジナル?

ドーム状玄室、奥壁下部は隙間なく丁寧に据えている

合成して迫力を増してみました

右側壁は上部がかなり持ち送り

左側壁はそれ程でもない

狭く細長い天井、右が奥側

奥から外、両袖式、しきみ石が大きく入り口が狭い、床面には河原石の敷石がある

〃縦位置

(1993年)
後円部側面、羨道保護のため入り口に土管を埋設

持ち送りのある玄室、下部にやや大型の石を据えている

天井、かなり狭い

両袖式、写真では分からないが玄室床面が1段下がる

(見学記)
(2017年)
下関市豊浦町大字黒井、山地から長く伸びた舌状丘陵先端辺に構築された前方後円墳です。ここも四半世紀ぶりの訪問、場所は分かっているけどどうやって丘の上に上がったがすっかり忘れているので衛星写真で見てみたら北側からの方が接近しやすそうだったので行ってみたら藪状態で無理、麓を廻っていたら地元の方に会って案内してもらえました。墳丘廻りは果樹園ですが既に所有者が止めていて放置状態、開口部前の説明板も倒れています。その割には見学しやすく小さいながらも背の高い墳丘が残っています。羨道は土管状態だけど余程羨道の状態が悪かったんでしょうか、こんな例は他に見たことがないですね。羨道はガッカリ感が強いですが玄室は完存、これは見学の価値あり。背が高く天井が狭いドーム状、ただ天井は円形でなく長方形です。南西側から入っていく道があります、墳丘の上に桜があるのでそれが目印、高い木なので冬でも目印になります。市史跡。
地元の方に聞いた話によると所有者の方が入院され果樹園はされていないそうです。この日はまだそれ程ではなかったですが今後は荒れ果てることが予想されます。
(1993年)
山陰本線黒井村駅途方1kmにある全長32mの前方後円墳です。西に伸びる尾根の先端に立地主軸は尾根と直交していて後円部西側に横穴石室が開口,土管のような物(これはどうにかならなかったんですかね、羨道はどうなったんだろう)が突き出ていてここから入っていくと玄室にたどり着きます。両袖式で小型の割石を使った持ち送りの強い玄室で平面規模の割に背の高い石室です。墳丘は周辺がかなり削られていますが何とか前方後円墳と分かる程度,ミカン畑の中にあって近くまで行かないと存在が分かりません。町史跡。