観音堂古墳
山口県下関市 2009年6月訪問
横穴式石室、玄室長2.7,幅2.4m
位置:34°00′38″N 130°56′47″E (日本測地系)
34.01381131 130.94400465(世界測地系)
09年発掘、石室背後から

石室正面、玄門がやや東(右)に偏る

床面には敷石、現説前なので遺物にはカバー

正方形に近い平面形

元位置を保った鉄剣

水晶製切子玉

瑪瑙製勾玉

移築
元の位置よりやや南側に移築

新設道路より下にあるので直接は見えません


床一面に敷石、今思えば随分風変わりな両袖式

この袖石はよく残ったものだ

(見学記)
下関市有富、道路建設に伴い09年発掘現地説明会が行われました。南向きの緩斜面に構築された墳丘は既に流失し石室も基部しか残っていませんでしたが既に中世の頃天井部が崩落していたため却って盗掘の被害を免れ鉄剣や勾玉などの遺物が元位置のまま豊富に出土しました。石室は移築保存が決定していますがまだ保存場所は決まっていないようです。
ここは地元なのに全く知らずoobutaさんに教えて貰って一緒に行って来ました。当日NHKのカメラが取材に来ていたので夕方のニュースを見ていたら二人ともしっかり写っていました。もっともほんの1,2秒でその気になってみないと分からなかったですが。
(追記)
開通した道路脇に石室が移築保存されました(元の位置よりやや南側)。でも道路面より下側になるので車で走りながらでは存在が分かりません。移築は元の場所からなるべく近い所が原則なんでしょうがこんな場所では見学者も殆どいないのでは。西側に考古博物館や綾羅木郷遺跡公園があるからそこに移築した方が余程活用できるかなと思いますけどね。
横穴式石室、玄室長2.7,幅2.4m
位置:34°00′38″N 130°56′47″E (日本測地系)
34.01381131 130.94400465(世界測地系)
09年発掘、石室背後から

石室正面、玄門がやや東(右)に偏る

床面には敷石、現説前なので遺物にはカバー

正方形に近い平面形

元位置を保った鉄剣

水晶製切子玉

瑪瑙製勾玉

移築

元の位置よりやや南側に移築

新設道路より下にあるので直接は見えません


床一面に敷石、今思えば随分風変わりな両袖式

この袖石はよく残ったものだ

(見学記)
下関市有富、道路建設に伴い09年発掘現地説明会が行われました。南向きの緩斜面に構築された墳丘は既に流失し石室も基部しか残っていませんでしたが既に中世の頃天井部が崩落していたため却って盗掘の被害を免れ鉄剣や勾玉などの遺物が元位置のまま豊富に出土しました。石室は移築保存が決定していますがまだ保存場所は決まっていないようです。
ここは地元なのに全く知らずoobutaさんに教えて貰って一緒に行って来ました。当日NHKのカメラが取材に来ていたので夕方のニュースを見ていたら二人ともしっかり写っていました。もっともほんの1,2秒でその気になってみないと分からなかったですが。
(追記)
開通した道路脇に石室が移築保存されました(元の位置よりやや南側)。でも道路面より下側になるので車で走りながらでは存在が分かりません。移築は元の場所からなるべく近い所が原則なんでしょうがこんな場所では見学者も殆どいないのでは。西側に考古博物館や綾羅木郷遺跡公園があるからそこに移築した方が余程活用できるかなと思いますけどね。