亀塚古墳(持田61号)
宮崎県高鍋町 2001年5月訪問、17年2月再訪
帆立貝式、TL50,R39,RH7,FW29,FH3
位置:32°08′21″N 131°31′58″E (日本測地系)
32.14262199 131.5303986(世界測地系)
(2017年)
持田48号からの眺め、平野部に立地、後方丘陵上にも数基の円墳がある

姿の良い帆立貝式

南西側から、小屋がなくなっている

南東側から、後方丘陵上に持田48号

東側から

前方部隅から後円部

前方部から後円部、唯一墳丘の上に上がらさせてもらいました

(2001年)

台地直下の平地に立地

(見学記)
(2017年)
平野の田圃の中に単独で存在する前方後円墳です。一応持田61号の名前がついていますが宮崎県の古墳は旧市町村+古墳何号と名がついていることも多く実際の古墳群とはかけ離れた状態になっていることも多い。ここも多分そうでさすがにこれを台地上にある持田古墳群と一緒にするには無理があるでしょうね。ここから西側に持田古墳群のある丘陵が望め48号が見えています。亀塚を先に訪問していたら気が付かなかっただろうな。東側の丘陵上にも古墳群がありこれも持田古墳群と名がついていますが別の古墳群にした方が良さそう、こちらはパスしました。墳丘脇に駐車可。国史跡。
帆立貝式、TL50,R39,RH7,FW29,FH3
位置:32°08′21″N 131°31′58″E (日本測地系)
32.14262199 131.5303986(世界測地系)
(2017年)
持田48号からの眺め、平野部に立地、後方丘陵上にも数基の円墳がある

姿の良い帆立貝式

南西側から、小屋がなくなっている

南東側から、後方丘陵上に持田48号

東側から

前方部隅から後円部

前方部から後円部、唯一墳丘の上に上がらさせてもらいました

(2001年)

台地直下の平地に立地

(見学記)
(2017年)
平野の田圃の中に単独で存在する前方後円墳です。一応持田61号の名前がついていますが宮崎県の古墳は旧市町村+古墳何号と名がついていることも多く実際の古墳群とはかけ離れた状態になっていることも多い。ここも多分そうでさすがにこれを台地上にある持田古墳群と一緒にするには無理があるでしょうね。ここから西側に持田古墳群のある丘陵が望め48号が見えています。亀塚を先に訪問していたら気が付かなかっただろうな。東側の丘陵上にも古墳群がありこれも持田古墳群と名がついていますが別の古墳群にした方が良さそう、こちらはパスしました。墳丘脇に駐車可。国史跡。