和久1号
山口県下関市(旧豊北町)2010年9月訪問
円墳、R10、6C中~後半
横穴式石室、玄室長3.0,幅1.4m
位置:34°18′27″N130°53′25″E (日本測地系)
34.31072226 130.88788923(世界測地系)
10年発掘

斜め前から、天井石は安全の為外す

外された天井石

石室正面、閉塞石が残っている、羨道はあっても短かったようだ

玄室、奥壁は鏡石を据えている

石室背後上から、入り口辺りに敷石

整備復元
元の状態ほぼそのままに整備

天井石は復元せず

斜め後ろ上から

天井石は外したまま並べて展示

玄室、発掘時無かった奥の敷石まで復元している、奥壁最上部の石も微妙に違うような

現説時には入れなかったので奥から外も撮影

(見学記)
下関市豊北町大字神田上、R191号沿い小さな湾を見下ろす小丘陵上から西に伸びた尾根上にある古墳です。ただ小丘陵が道の駅建設で殆ど削平され一見独立丘陵頂部にあるように見えています。2010年道の駅建設に伴い発掘されました。玄室長3m程の両袖式、砂岩と一部火成岩で構成、床面には玉砂利が敷き詰められていたようです。羨道は極短く閉塞石も残っていました。天井石は3枚残っていましたが状態が悪く発掘の際取り外されました。盗掘を受けていましたが既にその前に入り口辺りから土砂が流入して一部埋没おかげで玄門辺りにあった須恵器がほぼ完形のまま出土しました。その他水晶製切子玉や鉄刀馬具の破片などが出土しています。道の駅建設後はここは展望台として利用されるそうだけど確かに見晴らしがいい場所です。古墳をどのように復元するかは今のところ不明。市史跡。
実はここは88年に訪問、偶々国道に案内表示があったので行ってみたけど当時は藪の中でさっぱり分からない状態でした。再会する機会があるとはね。
(追記)
2012年3月、道の駅北浦街道開設に伴い復元公開されました。殆ど発掘当時と変わらず天井石も元に戻さず側に並べられて展示されています。古墳に興味がなくてもこの場所は展望台的な役割で眺めが良く北方には角島や角島大橋が遠望出来ます。
円墳、R10、6C中~後半
横穴式石室、玄室長3.0,幅1.4m
位置:34°18′27″N130°53′25″E (日本測地系)
34.31072226 130.88788923(世界測地系)
10年発掘

斜め前から、天井石は安全の為外す

外された天井石

石室正面、閉塞石が残っている、羨道はあっても短かったようだ

玄室、奥壁は鏡石を据えている

石室背後上から、入り口辺りに敷石

整備復元
元の状態ほぼそのままに整備

天井石は復元せず

斜め後ろ上から

天井石は外したまま並べて展示

玄室、発掘時無かった奥の敷石まで復元している、奥壁最上部の石も微妙に違うような

現説時には入れなかったので奥から外も撮影

(見学記)
下関市豊北町大字神田上、R191号沿い小さな湾を見下ろす小丘陵上から西に伸びた尾根上にある古墳です。ただ小丘陵が道の駅建設で殆ど削平され一見独立丘陵頂部にあるように見えています。2010年道の駅建設に伴い発掘されました。玄室長3m程の両袖式、砂岩と一部火成岩で構成、床面には玉砂利が敷き詰められていたようです。羨道は極短く閉塞石も残っていました。天井石は3枚残っていましたが状態が悪く発掘の際取り外されました。盗掘を受けていましたが既にその前に入り口辺りから土砂が流入して一部埋没おかげで玄門辺りにあった須恵器がほぼ完形のまま出土しました。その他水晶製切子玉や鉄刀馬具の破片などが出土しています。道の駅建設後はここは展望台として利用されるそうだけど確かに見晴らしがいい場所です。古墳をどのように復元するかは今のところ不明。市史跡。
実はここは88年に訪問、偶々国道に案内表示があったので行ってみたけど当時は藪の中でさっぱり分からない状態でした。再会する機会があるとはね。
(追記)
2012年3月、道の駅北浦街道開設に伴い復元公開されました。殆ど発掘当時と変わらず天井石も元に戻さず側に並べられて展示されています。古墳に興味がなくてもこの場所は展望台的な役割で眺めが良く北方には角島や角島大橋が遠望出来ます。