杓子ヶ峰古墳群
佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問
14基(番号仮称)
1号
位置:33°24′07″N 130°30′01″E (日本測地系)
33.40525795 130.49794628(世界測地系)
背後から見た墳丘

開口部側から

開口部

内部は藪状態、横長のようにも見える

2号
なだらかな墳丘

開口部側から

石材露出、天井石でしょうか

側壁かな

3-5号
東十郎古墳群から山道を登ってきて最初に目にするのがこの3-5号(右から)

左右の3,5号は墳丘がよく残る、3号に説明板が立つが意味不明

3号
横穴式石室
位置:33°24′10″N 130°30′08″E (日本測地系)
33.40609128 130.49989069(世界測地系)
よく残った墳丘、石室前に木が生える

狭い開口部

割とよく残る羨道

前室、玄室玄門

前室右側、平石を積み重ねる、奥行きはあまりない

反対側も同様の構造

奥壁、鏡石が左に偏っている、上部は平石積み

〃縦位置、背の高いドーム状

ドーム状の割には広い天井

右側壁、これだけ見ると奥壁と間違えそう

奥から外、両袖式、左右の袖石が随分違うしまぐさ石も直接乗っていない

玄室奥から左側

〃反対側、同様の平石積みだが反対側のような巨石はない

前室奥から

4号
複室横穴式石室
両側に3,5号に比べ封土が流失したのか背が低くなり天井石が露出

正面から見ると羨道玄室の天井石露出、高さの違いがよく分かる

石室開口部、羨道は壊失か

玄室玄門

天井の一部が抜けて明るい玄室、鏡石が中央に配置、上部も乱石積みで3号と随分違う

〃縦位置、ここも背が高い

右側壁、こちらの方が石材が大きい

〃反対側、やはり不安定に見える、1段目と2段目、これでよくずれ落ちなかったな

〃正面から

左側壁、右に比べて石材小型

〃正面から

奥壁上部

天井は高いがそれ程狭くはない

奥から外、両袖式、袖は石を積み重ねる

奥から玄門左側、かなり不安定に見える

5号
複室横穴式石室
石室前面が掘り込まれている

狭い開口部

前室に見えないがここが前室

奥壁、一応腰石据えているが左に偏る、右側に小型石材を据えて意識的に左に偏らせているような

〃縦位置、背が高いドーム状

狭い天井、ここは正真正銘狭い

奥から外、両袖式、袖石は2段重ね、まぐさ石が直接乗る

奥から左

奥から右、こちらの方が石材の大きさがバラバラ

前室左奥から、反対側はもはや奥行きはない

前室羨道奥から

6号
位置:33°24′10″N 130°30′04″E (日本測地系)
33.40609125 130.4987796(世界測地系)
掘り込まれた墳丘

開口部

内部は殆ど埋没

背後から見るとまるで別物

7号?
墳丘のようには見えます

上に祠

石室石材?

見学記
東十郎古墳群から登山道をそのまま登っていくと広い草原に出ます。正面に如何にも古墳を思わせる墳丘が並んでいて右から3-5号(全て仮称)、少し右に離れて2号、左上に神社がありそこに6,7号、右後方を振返ると休憩所がありその脇にあるのが1号です。因みにグーグルマップで見るとこの休憩所が宮地嶽神社になっているが間違いだよ。1号は低いがはっきりした墳丘が残っていて南側に小型石室開口、内部に植物が茂って分かりづらいが横長のようです。2号は墳丘が少し削られ石材露出、奥辺りかなほんと極一部のようです。3号は墳丘石室とも良好、複室石室で入り口は狭いですが特に困難ではない、前室は普通だが後室がちょっと変わっている、奥壁鏡石が中央でなく左に偏っている、右側にはミニ鏡石とでも言えそうな石もある。更に上部は平石を重ねたドーム状ですがそれ程高くはない。鏡石上部の平石の積み方に比べてミニ鏡石の方が少し突き出ていてひょっとして後から増設したかなとも思える状況です。隣の4号は3号と墳丘が接している。こちらは封土が少し流れ出したのか石室上部が露出しています。ここも複室石室ですがまぐさ石上部の石が抜かれて内部は明るい、でも入るのは普通に羨道からですけどね。後室はほぼ正方形プランでドーム状背が高い、奥壁は標準的な鏡石が中央に据えられていますが上部は平石でなく乱石積みで持ち上げています。隣の5号は若干離れていてこちらも墳丘石室良好、石室前は墓道になっているんでしょうか。複室ですが羨道は短く前室も右側だけに凹みがある状態で殆ど形式的になっています。後室はドーム状、基部に巨石を据え鏡石も四角い、上部を乱石積みにして持ち送り天井は狭く1枚石です、3基の中ではこれが一番洗練されているように思えました。上の高い所に宮地岳神社がありその側に6号、墳丘脇が削られ石室一部露出内部は殆ど埋まっています。神社本体は石の祠でそれが乗っているのも墳丘でしょうか。7号は別の場所にあるようです。古墳群全体では14基あるようです、3号脇に説明板がありますがあまり詳しくなく内容も一部不明なところがあります。歩いて登ってくるしかないので大変ですが3-5号を見るだけでも価値のある古墳群です。
14基(番号仮称)
1号
位置:33°24′07″N 130°30′01″E (日本測地系)
33.40525795 130.49794628(世界測地系)
背後から見た墳丘

開口部側から

開口部

内部は藪状態、横長のようにも見える

2号
なだらかな墳丘

開口部側から

石材露出、天井石でしょうか

側壁かな

3-5号
東十郎古墳群から山道を登ってきて最初に目にするのがこの3-5号(右から)

左右の3,5号は墳丘がよく残る、3号に説明板が立つが意味不明

3号
横穴式石室
位置:33°24′10″N 130°30′08″E (日本測地系)
33.40609128 130.49989069(世界測地系)
よく残った墳丘、石室前に木が生える

狭い開口部

割とよく残る羨道

前室、玄室玄門

前室右側、平石を積み重ねる、奥行きはあまりない

反対側も同様の構造

奥壁、鏡石が左に偏っている、上部は平石積み

〃縦位置、背の高いドーム状

ドーム状の割には広い天井

右側壁、これだけ見ると奥壁と間違えそう

奥から外、両袖式、左右の袖石が随分違うしまぐさ石も直接乗っていない

玄室奥から左側

〃反対側、同様の平石積みだが反対側のような巨石はない

前室奥から

4号
複室横穴式石室
両側に3,5号に比べ封土が流失したのか背が低くなり天井石が露出

正面から見ると羨道玄室の天井石露出、高さの違いがよく分かる

石室開口部、羨道は壊失か

玄室玄門

天井の一部が抜けて明るい玄室、鏡石が中央に配置、上部も乱石積みで3号と随分違う

〃縦位置、ここも背が高い

右側壁、こちらの方が石材が大きい

〃反対側、やはり不安定に見える、1段目と2段目、これでよくずれ落ちなかったな

〃正面から

左側壁、右に比べて石材小型

〃正面から

奥壁上部

天井は高いがそれ程狭くはない

奥から外、両袖式、袖は石を積み重ねる

奥から玄門左側、かなり不安定に見える

5号
複室横穴式石室
石室前面が掘り込まれている

狭い開口部

前室に見えないがここが前室

奥壁、一応腰石据えているが左に偏る、右側に小型石材を据えて意識的に左に偏らせているような

〃縦位置、背が高いドーム状

狭い天井、ここは正真正銘狭い

奥から外、両袖式、袖石は2段重ね、まぐさ石が直接乗る

奥から左

奥から右、こちらの方が石材の大きさがバラバラ

前室左奥から、反対側はもはや奥行きはない

前室羨道奥から

6号
位置:33°24′10″N 130°30′04″E (日本測地系)
33.40609125 130.4987796(世界測地系)
掘り込まれた墳丘

開口部

内部は殆ど埋没

背後から見るとまるで別物

7号?
墳丘のようには見えます

上に祠

石室石材?

見学記
東十郎古墳群から登山道をそのまま登っていくと広い草原に出ます。正面に如何にも古墳を思わせる墳丘が並んでいて右から3-5号(全て仮称)、少し右に離れて2号、左上に神社がありそこに6,7号、右後方を振返ると休憩所がありその脇にあるのが1号です。因みにグーグルマップで見るとこの休憩所が宮地嶽神社になっているが間違いだよ。1号は低いがはっきりした墳丘が残っていて南側に小型石室開口、内部に植物が茂って分かりづらいが横長のようです。2号は墳丘が少し削られ石材露出、奥辺りかなほんと極一部のようです。3号は墳丘石室とも良好、複室石室で入り口は狭いですが特に困難ではない、前室は普通だが後室がちょっと変わっている、奥壁鏡石が中央でなく左に偏っている、右側にはミニ鏡石とでも言えそうな石もある。更に上部は平石を重ねたドーム状ですがそれ程高くはない。鏡石上部の平石の積み方に比べてミニ鏡石の方が少し突き出ていてひょっとして後から増設したかなとも思える状況です。隣の4号は3号と墳丘が接している。こちらは封土が少し流れ出したのか石室上部が露出しています。ここも複室石室ですがまぐさ石上部の石が抜かれて内部は明るい、でも入るのは普通に羨道からですけどね。後室はほぼ正方形プランでドーム状背が高い、奥壁は標準的な鏡石が中央に据えられていますが上部は平石でなく乱石積みで持ち上げています。隣の5号は若干離れていてこちらも墳丘石室良好、石室前は墓道になっているんでしょうか。複室ですが羨道は短く前室も右側だけに凹みがある状態で殆ど形式的になっています。後室はドーム状、基部に巨石を据え鏡石も四角い、上部を乱石積みにして持ち送り天井は狭く1枚石です、3基の中ではこれが一番洗練されているように思えました。上の高い所に宮地岳神社がありその側に6号、墳丘脇が削られ石室一部露出内部は殆ど埋まっています。神社本体は石の祠でそれが乗っているのも墳丘でしょうか。7号は別の場所にあるようです。古墳群全体では14基あるようです、3号脇に説明板がありますがあまり詳しくなく内容も一部不明なところがあります。歩いて登ってくるしかないので大変ですが3-5号を見るだけでも価値のある古墳群です。