伊勢塚古墳
佐賀県神埼市(旧神埼町)2002年4月訪問、14年3月再訪
前方後円墳、TL78,R36,RH7,FW28、6C中
装飾横穴石室、全長16.7m,玄室長3.8,幅3.2,高4m
位置:33°20′36″N 130°23′00″E (日本測地系)
33.34664784 130.38101095(世界測地系)
(14年)
一見二段築成の円墳に見えるが後円部

長い羨道、左右の側壁は巨石、多分薄いのだろう左側壁が少しせり出している

背の高い玄室、奥壁は基部に鏡石を据える

狭い天井、天井石は1枚

奥から外、袖石を立てた両袖式、まぐさ石はそのまま羨道天井石になっている

袖部左側、袖石は薄い板石のようだ、側壁基部の石がすこぶる巨石、奥壁鏡石よりずっと大きい

反対側、こちらの袖石も板状だが大分厚い、こちらの側壁基部も巨石

羨道奥から

(02年)
後円部西側、かなり削られている

石室正面、羨道途中に柵がある

羨道、玄門

背の高い玄室、赤い円文があるそうだが全く分からない

奥から外

墳丘図(説明板より)、くびれ部が県道で切断されている

(見学記)
県道31号を西に行って東背振村から神埼町に入ってすぐ右側に大きな墳丘が見えてきます。これだこれだと思い墳丘を越えていったら何のことはない西側に入り口があった。円墳が良好に残っているなと思ったけど説明板によれば全長78mの前方後円墳でくびれ部が県道で切断されているとのこと、二度びっくり。西向きに石室が開口、墳丘が削られているので羨道も少しは短くなっているかもしれないがそれでも割と良好に残っています。羨道も立って歩けるほどの大きさ、途中に柵がありますが玄室には内部照明がついています。奥壁に赤い円文があるそうだが全く確認できなかった。帰り際に県道の反対側に行ってみると前方部の端が確かに残っていました。説明がないとここが古墳だとは全く分からなかったでしょうが。県史跡。
前方後円墳、TL78,R36,RH7,FW28、6C中
装飾横穴石室、全長16.7m,玄室長3.8,幅3.2,高4m
位置:33°20′36″N 130°23′00″E (日本測地系)
33.34664784 130.38101095(世界測地系)
(14年)
一見二段築成の円墳に見えるが後円部

長い羨道、左右の側壁は巨石、多分薄いのだろう左側壁が少しせり出している

背の高い玄室、奥壁は基部に鏡石を据える

狭い天井、天井石は1枚

奥から外、袖石を立てた両袖式、まぐさ石はそのまま羨道天井石になっている

袖部左側、袖石は薄い板石のようだ、側壁基部の石がすこぶる巨石、奥壁鏡石よりずっと大きい

反対側、こちらの袖石も板状だが大分厚い、こちらの側壁基部も巨石

羨道奥から

(02年)
後円部西側、かなり削られている

石室正面、羨道途中に柵がある

羨道、玄門

背の高い玄室、赤い円文があるそうだが全く分からない

奥から外

墳丘図(説明板より)、くびれ部が県道で切断されている

(見学記)
県道31号を西に行って東背振村から神埼町に入ってすぐ右側に大きな墳丘が見えてきます。これだこれだと思い墳丘を越えていったら何のことはない西側に入り口があった。円墳が良好に残っているなと思ったけど説明板によれば全長78mの前方後円墳でくびれ部が県道で切断されているとのこと、二度びっくり。西向きに石室が開口、墳丘が削られているので羨道も少しは短くなっているかもしれないがそれでも割と良好に残っています。羨道も立って歩けるほどの大きさ、途中に柵がありますが玄室には内部照明がついています。奥壁に赤い円文があるそうだが全く確認できなかった。帰り際に県道の反対側に行ってみると前方部の端が確かに残っていました。説明がないとここが古墳だとは全く分からなかったでしょうが。県史跡。