長嶽山古墳群

福岡県糸島市(旧前原市)2018年2月訪問

長嶽山古墳群
前方後円墳1を含む14基

全景、南北に細長い独立丘陵上に分布


丘陵上は宇美八幡宮境内となっている、そこに説明板がある、この上に6号


分布図


1号(奥の院古墳)
前方後円墳、TL38
位置:33°30′10″N 130°11′42″E (日本測地系)
   33.50607334 130.19268846(世界測地系)
南端にある盟主墳


墳丘図(説明板より)


墳丘は良好


葺石でしょうか


墳頂に祠、周りの石組みは古墳とは関係なさそう


墳頂から見た前方部、目立ちません


横から見ると高まりがわかる、帆立貝式と言ってもよさそう


2号
横穴式石室
1号から見た墳丘


ここが本来の開口部だが埋没、右上の石組み辺りに盗掘坑


何故か石囲いされた盗掘坑


初期横穴石室、盗掘坑からでもこの程度は見られる


小口積みの側壁


中に入ってみました、扉石が残る玄門、袖石幅が左右非対称


小口積み奥壁、これだけ見たら竪穴石室


側壁、何故か異質なレンズ状の石がある、どうみても意識的に置いたとしか思えない


同じ場所を奥壁側から


反対側側壁


天井石は2枚


手前2号、奥に1号


3号
墳頂部が盗掘で凹んでいる


4号
山道で削られている


5号
墳丘の上を山道が通る


反対側から


6号
低いがはっきりした墳丘が残る


墳頂に盗掘坑、石室破壊


根っこでガードされた部分が何とか残る、竪穴っぽいかな


墳丘斜面に石材散乱


7号
僅かな高まり、分布図がないと分からない


8号
これははっきりした高まり


9号
斜面に僅かな高まり


石材露出、横穴かな


10号
比較的分かりやすい高まり


11号
横穴式石室
位置:33°30′19″N 130°11′43″E (日本測地系)
   33.50857311 130.19296616(世界測地系)
最北端斜面下に良好な墳丘、墳形から横穴だと直感


東側は大きく抉られている


石材露出、ギリギリ破壊を免れている


頂部に天井石露出


側壁上部に開口


石室内部、どの辺りか見当つかず


内部その2


これは側壁かな


12号
多分これかなと思う程度


13号
殆ど推測、神社で尾根筋が大きく削平されている


14号
これも推測、神社で破壊された古墳はなかったのでしょうか


見学記
糸島市川付、南北に細長い半独立丘陵上にある14基からなる古墳群です。上に尾根を大きく削って神社が建てられています。この側に説明板と分布図があり南側に1-6号、北側に7-14号が密集しています。一番南側にあるのが1号(奥ノ院古墳)、全長38mの前方後円墳ですが南側にある前方部は低平でよく見ないと分かりません。竪穴石室のようですが祠の下になっていて見ることは出来ません。隣りにあるのが2号で割りと大きな墳丘、頂部に石室があり小口積みの竪穴のようですが南側に板石を使った玄門があり古式の横穴式石室です。3,4号は小さな墳丘、5号は山道で真っ二つ、6号は丘陵最高部に位置していますが頂部が大きく盗掘され周辺に石材が散らばりまくっています。北側のは8号等やや大きいのもありますが殆どは分布図でもないと古墳とも分からない状態です。北端斜面下にあるのが11号で背の高い墳丘が残っています。一目見てこれは横穴石室だなと思いましたがやはり墳頂部に石室露出、天井部が露出開口、奥壁は見えていますが玄門部は埋まっています。これはもう普通の横穴石室で群最後発でしょうね。奥の鳥居前に駐車スペースあり。神社は宇美八幡宮ですが宇美町に同名の神社(そちらが本宮でしょう)があるので注意が必要。

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泊 啓介さんへ

ご指摘ありがとうございます。
古い地図を引っ張り出してみると確かに前原市のようですね。
(前原市以前の前原町の頃はもう調べるのが難しいしそこまでする気もありません)
後で訂正しておきます。
旧市町村は調べるのが難しく他にも間違えているのがあるかもしれないので気が付きましたらまたお知らせください。

長嶽山古墳群は 旧二丈町では無く 旧前原町です

私はこの神社で子供の頃遊んでいました。その頃でも珍しかったミヤマクワガタを捕まえたのもこの小山です。
この古墳群は、旧前原町に所在します。
旧二丈町には近くの峠(鰡峠)を越えて1キロメートル以上行った所が旧二丈町との境になります。 
私は、のちに仁徳天皇陵で前方後円墳を知った時ここの神社を含む小山全体が前方後円墳だと思ったことがあります。
1〜4〜5号墳を抱えた部分の小山が円墳、神社を含む北側が方墳と思っていました。

つんつらぽっぽ さんへ

コメントありがとうございます。
専門家ではないので詳しいことは分かりませんが竪穴石室から横穴石室への移行期の石室なんでしょうか。
羨道はあってもかなり短いかなと思います。
多分神社境内だろうし調査はされてないでしょうね。

こんばんは
石室中に入っての写真を拝見しました。
基底石がなく、すべてが板石ではない。
持ち送りもないので、単室の今宿・唐津型石室に
の発展したものではないかな?と思います。
羨道がハッキリしませんね。
築造時期がわかれば良いのですが、、、
調査はされていないのでしょうね。
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