御清水北古墳
福岡県行橋市 2020年2月訪問
複室横穴式石室
位置:33°43′12″N 130°55′28″E (日本測地系)
33.7232859 130.92206931(世界測地系)
丘陵から東に伸びる尾根上に立地

耕地整理で下側はすっかり埋没

東向きに開口、墳丘はよく残っている

開口部も半ば埋もれている、何か祀られているのか、内部に御神体はなかった

複室石室のようで羨道は壊失

後室玄門

奥壁はほぼ1枚の丸っぽい鏡石

〃縦位置、天井はそれ程高くない

天井もほぼ1枚石

玄室側壁右側、巨石を据えている

〃左側、少し様相が異なる、上部に平石を重ねている

奥から外、まぐさ石がだいぶずれているような

前室奥から

前室、奥から左

〃右、積み方がだいぶ違う

(見学記)
行橋市入覚、溜池御清水ヶ池の北側にある古墳です。当時は尾根上だったんでしょうが周りはすっかり畑や水田になっていて当時の面影はありません。畑の中に墳丘が残されていて東側に開口、周りは地面が嵩上げされているようで開口部は半ば地面下になっています。羨道はほぼ壊失ですが複室石室で前室後室は完存しています。後室はそれ程大きくはありませんが奥壁は円形に近い1枚石、側壁も基部に腰石を据え上に平石を重ねたなかなか立派な石室です。北側から接近可能。因みに読みは”おしょうずきた”です。
複室横穴式石室
位置:33°43′12″N 130°55′28″E (日本測地系)
33.7232859 130.92206931(世界測地系)
丘陵から東に伸びる尾根上に立地

耕地整理で下側はすっかり埋没

東向きに開口、墳丘はよく残っている

開口部も半ば埋もれている、何か祀られているのか、内部に御神体はなかった

複室石室のようで羨道は壊失

後室玄門

奥壁はほぼ1枚の丸っぽい鏡石

〃縦位置、天井はそれ程高くない

天井もほぼ1枚石

玄室側壁右側、巨石を据えている

〃左側、少し様相が異なる、上部に平石を重ねている

奥から外、まぐさ石がだいぶずれているような

前室奥から

前室、奥から左

〃右、積み方がだいぶ違う

(見学記)
行橋市入覚、溜池御清水ヶ池の北側にある古墳です。当時は尾根上だったんでしょうが周りはすっかり畑や水田になっていて当時の面影はありません。畑の中に墳丘が残されていて東側に開口、周りは地面が嵩上げされているようで開口部は半ば地面下になっています。羨道はほぼ壊失ですが複室石室で前室後室は完存しています。後室はそれ程大きくはありませんが奥壁は円形に近い1枚石、側壁も基部に腰石を据え上に平石を重ねたなかなか立派な石室です。北側から接近可能。因みに読みは”おしょうずきた”です。