庄地古墳群
山口県周防大島町(旧久賀町))2021年1月訪問
横穴石室、7基中4基残存
道路脇に説明板と分府図、その脇から登っていく山道があります

分布図、保全道路と1-3号に至る道以外はいらない、却って迷います

1号
横穴式石室、全長4.45m、玄室幅1.80、高1.65m
位置:33°56′53″N 132°14′55″E (日本測地系)
33.95134593 132.24612074(世界測地系)
説明板すぐ上に1号の標柱が見えている

開口部正面、柵があったがすっかり壊れている

持ち送りのある玄室、天井石が割れている

奥壁、最下部だけやや大きな石材、面が整えられているがそのような石材か

奥から外、無袖でしょうか

奥から左側

〃右側、下部の石材の方が小さい

2号
横穴式石室、全長4.95m、玄室幅1.75、高1.70m
すぐ上に2,3号の案内板、どちらに行っても同じくらいの距離です

天井部を失った石室が露出

ここにも大きな標柱が立っている

正面から、最奥の天井石だけ残存

ここも側壁に持ち送りがある

側壁奥壁とも小型石材

手前の石材は棺床か落下した石材か

奥から左、風化しやすそうな花崗岩

〃右、花崗岩でない石材もある

3号
横穴式石室、全長5.90m、玄室幅2.00、高1.60m
少し上に3号、ここにも標柱

ここにも柵があったがやはり壊れてる

正面から、右側の側壁がずいぶん大きい

持ち送りの強い玄室、特に最上部が張り出している

〃ストロボ撮影、天井が随分狭い

〃縦位置

乱石積みの奥壁

奥から外、無袖かな

〃ストロボ無し

おまけ、入り口に生えていたコクラン

7号
横穴式石室、全長4.50m、玄室幅1.80、高1.50m
説明板手前、保全道路脇に案内板

急斜面に立地、標柱バラバラ、1本の木かと思ったがベニヤだった

石室正面、前が急斜面で下がれない

玄室は良好、4基の中で一番背が高い、4基とも高さのデータはあてにならないような

持ち送りは少ない

〃縦位置、奥壁も小型石材

奥から外、ここも無袖かな、入り口辺りで特に持ち送りが強い

床面に仕切り石、ここが玄門になるんでしょうか

背後から見た墳丘

(見学記)
周防大島町玖珂、海を望む標高80m付近に立地する古墳群、7基中1-3,7号が現存しています。事前に4基保存は分かっていましたが石室の写真が出てこず心配でしたが3基の石室完存、もう1基も上部が天井が失われている程度で嬉しい誤算でした。中腹を走る農道に説明板がありそのすぐ上に1-3号、大きな標柱が建っているので見逃すことはありません。因みに説明板に分布図がありますが古墳の位置をマークした黒丸がよく見ると押しピンだった(笑)。1号は乱石積み無袖式、奥壁下部の腰石が鏡面のように仕上げられています。2号は天井前部を失っていますが長い石室が残っています。ここは右片袖式のようです、奥壁前に石材がありますが石障と言うには形が変、落下した天井石にしては幅が足らないような。3号は全長7m近く最大規模、ここも乱石積み、1号はやや持ち送りがありましたがここはより持ち送りが強い、ここも右片袖のようです。3基とも高さが1.6,7mあるそうですがとてもそうは思えない、多少床が埋まっているかもしれませんが少なくとも石室内では立てません。石室前にコクランが多かったのが印象的でした。7号はやや離れていますが農道に案内板があるので見逃すことはありません。山道を降りていくと右下斜面に墳丘が見えています。石室前は崖のような急斜面で多分現存石室よりは伸びていないでしょう。ここもやや持ち送りがあり1-3号を見た後でしょうか背が高く感じました、1.5m程、立って頭が使える程度です。ここは無袖式ですが入口辺りに仕切り石があり玄室を区画しているようです。説明板や標柱も充実、見学しやすい古墳群でした。でも農道はそこそこ広く古墳群前後に駐車スペースがありますが下の国道から農道へ至る道が急坂で曲がりくねった細い道、通るだけなら問題ないですが対向車が来たらと思うと考えるだに恐ろしい(笑)。ストリートビューで見てなかったら下から歩いて行ったかもです。町史跡。
横穴石室、7基中4基残存
道路脇に説明板と分府図、その脇から登っていく山道があります

分布図、保全道路と1-3号に至る道以外はいらない、却って迷います

1号
横穴式石室、全長4.45m、玄室幅1.80、高1.65m
位置:33°56′53″N 132°14′55″E (日本測地系)
33.95134593 132.24612074(世界測地系)
説明板すぐ上に1号の標柱が見えている

開口部正面、柵があったがすっかり壊れている

持ち送りのある玄室、天井石が割れている

奥壁、最下部だけやや大きな石材、面が整えられているがそのような石材か

奥から外、無袖でしょうか

奥から左側

〃右側、下部の石材の方が小さい

2号
横穴式石室、全長4.95m、玄室幅1.75、高1.70m
すぐ上に2,3号の案内板、どちらに行っても同じくらいの距離です

天井部を失った石室が露出

ここにも大きな標柱が立っている

正面から、最奥の天井石だけ残存

ここも側壁に持ち送りがある

側壁奥壁とも小型石材

手前の石材は棺床か落下した石材か

奥から左、風化しやすそうな花崗岩

〃右、花崗岩でない石材もある

3号
横穴式石室、全長5.90m、玄室幅2.00、高1.60m
少し上に3号、ここにも標柱

ここにも柵があったがやはり壊れてる

正面から、右側の側壁がずいぶん大きい

持ち送りの強い玄室、特に最上部が張り出している

〃ストロボ撮影、天井が随分狭い

〃縦位置

乱石積みの奥壁

奥から外、無袖かな

〃ストロボ無し

おまけ、入り口に生えていたコクラン

7号
横穴式石室、全長4.50m、玄室幅1.80、高1.50m
説明板手前、保全道路脇に案内板

急斜面に立地、標柱バラバラ、1本の木かと思ったがベニヤだった

石室正面、前が急斜面で下がれない

玄室は良好、4基の中で一番背が高い、4基とも高さのデータはあてにならないような

持ち送りは少ない

〃縦位置、奥壁も小型石材

奥から外、ここも無袖かな、入り口辺りで特に持ち送りが強い

床面に仕切り石、ここが玄門になるんでしょうか

背後から見た墳丘

(見学記)
周防大島町玖珂、海を望む標高80m付近に立地する古墳群、7基中1-3,7号が現存しています。事前に4基保存は分かっていましたが石室の写真が出てこず心配でしたが3基の石室完存、もう1基も上部が天井が失われている程度で嬉しい誤算でした。中腹を走る農道に説明板がありそのすぐ上に1-3号、大きな標柱が建っているので見逃すことはありません。因みに説明板に分布図がありますが古墳の位置をマークした黒丸がよく見ると押しピンだった(笑)。1号は乱石積み無袖式、奥壁下部の腰石が鏡面のように仕上げられています。2号は天井前部を失っていますが長い石室が残っています。ここは右片袖式のようです、奥壁前に石材がありますが石障と言うには形が変、落下した天井石にしては幅が足らないような。3号は全長7m近く最大規模、ここも乱石積み、1号はやや持ち送りがありましたがここはより持ち送りが強い、ここも右片袖のようです。3基とも高さが1.6,7mあるそうですがとてもそうは思えない、多少床が埋まっているかもしれませんが少なくとも石室内では立てません。石室前にコクランが多かったのが印象的でした。7号はやや離れていますが農道に案内板があるので見逃すことはありません。山道を降りていくと右下斜面に墳丘が見えています。石室前は崖のような急斜面で多分現存石室よりは伸びていないでしょう。ここもやや持ち送りがあり1-3号を見た後でしょうか背が高く感じました、1.5m程、立って頭が使える程度です。ここは無袖式ですが入口辺りに仕切り石があり玄室を区画しているようです。説明板や標柱も充実、見学しやすい古墳群でした。でも農道はそこそこ広く古墳群前後に駐車スペースがありますが下の国道から農道へ至る道が急坂で曲がりくねった細い道、通るだけなら問題ないですが対向車が来たらと思うと考えるだに恐ろしい(笑)。ストリートビューで見てなかったら下から歩いて行ったかもです。町史跡。