新池西南古墳群

福岡県みやこ町(旧勝山町)2023年1月訪問

(仮称西支群)
その5
33°42′24″N 130°55′05″E(日本測地系)
33.70995379 130.91568154(世界測地系)
その3から尾根筋を登っていく途中にある、この辺りの古墳群でこのようにポツンと立地しているのが少数派


下方の石組み、外護列石風?


南側に開口


カメラを突っ込んで撮影、意外と良好


単室か、石組みはよく残っている、右上は赤色顔料?、全体に残ってないのが不思議


奥から外、左と右で袖石が随分違う


まぐさ石や天井石も赤く染まる


まぐさ石の隙間から内部撮影


その6
33°42′25″N 130°55′02″E(日本測地系)
33.7102315 130.91484828(世界測地系)
尾根筋頂部平坦面に墳丘、こんな高い場所にしては大きな墳丘


南側が大きく抉られている


左右の石が側壁か


_1と反対側から


その7
その8に行こうとしてこの石材に気がつく


目立つ石はこれくらいしか無いけどどう見ても袖石


ただ前後で少しずれている


玄室部分は窪み側壁が僅かに残るのみ


これが天井石か


後方にその6、こちらに墳丘があっても接していると言うほどではないか


その8
急斜面際に巨石と僅かな高まり、自然石の露出かと思いましたが


反対側に回ると石室でした


羨道は壊失、小型ながら天井は1枚か


正面から、右も側壁で無いかもしれない


奥壁、現状ではあまり奥行きはなく1.5m程度


右側壁、一応中に入れる


左側壁


少し離れて撮影、前は急傾斜で石室はあまり伸ばせそうにない


(仮称東支群)
その1
動物避柵の向こうに墳丘、この側から中に入れます


丘陵麓辺りに立地


斜面をカットした墳丘


横から、開口部は全く見当たらず


その2墳頂から、説明板のようなものは古墳とは全く無関係


その2
33°42′23″N 130°55′08″E(日本測地系)
33.70967606 130.9165148(世界測地系)
その1から見たその2


開口するならこっちの方だが全く見当たらず


背後から、墳丘が赤っぽく見えているのは楓の枯葉、落葉直後だったらさぞかし見事だったでしょう


墳頂に開口部、柵は落下防止のためでしょう


奥壁上部が開口


玄室が良好に残っています


袖石は板石状で左右ほぼ対称、まぐさ石もかなり加工されこの辺りの石室とはやや異なる


右側、背は高そうです


左側


その3
北西側やや離れた場所に立地


南側に開口、この程度なら入れると思ったが


内部は殆ど埋没


その4から見た墳丘


墳丘背後から


背後は大きくカットされ広い平坦面になっている


左がその4、右がその3


斜面カットの様子、右が尾根斜面、左が墳丘


その4
33°42′25″N 130°55′07″E(日本測地系)
33.71023155 130.91623703(世界測地系)
その3下方にその4


こちらから見るとあまり明瞭な境目はない


南側に開口


しゃがめば悠々と入れる


短い羨道、奥に前室後室が見えている


前室からして大きい


狭く高い天井、前室でここまで本格的なのも珍しい


後室玄門、両袖とも2段積み


巨石を積んだ後室、奥壁下部は左右2枚並べる


後室🔦


〃縦位置、更に背が高く


後室天井🔦


奥から外


奥から外🔦、ホワイトバランスの関係でちょっと変わった写真になりました


〃縦位置🔦


玄門上部


狭い天井、主軸方向に長い


前室奥から


〃🔦


奥から撮ると天井の高さが強調される


前室天井🔦


墳丘背後から


背後は広い周溝状平坦面になっている


削り残した地形がまるで外堤のよう


_23を撮った辺りからの墳丘


(西支群を見た後その1周辺を探したので番号が飛んでいます)
その9
天井石露出、墳丘の高まりは確認できず


隙間があるが内部埋没


その10
その1側の斜面に石材、背後がその1


まず石室天井石でしょう


(見学記)
永敬寺裏古墳群の新池を挟んだ西側丘陵上にある古墳群です。西南と名がついているけどほぼ西側、資料には4基以上1基消滅とありますが10基程見つかりました、入室できるのは2基、天井開口1基でしたがなかなか個性的な石室を持つ古墳群でした。東側に獣避け柵から入っていくと目の前に大きな墳丘、これは開口していません。すぐ北側にも大きな墳丘、この地域の傾向として南側に開口することが多い、なので未開口かなと思いましたが墳頂に登ってみると天井部が開口、鉄柵がありますがこれは転落防止の為でしょう。中を見ると両袖式の玄門が見えています、背の高い玄室のようです、奥壁はさすがに怖くて撮れなかった。カエデの落ち葉が積もって赤く染まった墳丘はとても綺麗でした。この裾辺りに2基あります、殆ど高まりはなく石材が露出程度、多分古墳。北西50m程辺り、短い尾根に2基の墳丘があります。上側の墳丘が大きく南側に開口、これは入れると思ったが中を覗くとすっかり埋没していました。すぐ下にやや小さな墳丘、こちらも南側に開口して入れます。複室石室ですが前室後室とも天井が高い、複室なら普通ですが天井が狭い、特に前室の天井の狭さはあまり見たことがありません。2基とも背後の斜面をカットして広い平坦面を造っています。更に下側のは尾根をまるで外堤のように残していました。同じような構造は小堤池北古墳群でも見られました。更に西に登っていくと途中に古墳、南側に開口していますが玄室は狭く単室かな。更に登っていくと尾根頂部辺りに大きな墳丘、頂部が盗掘され石室も大きく破壊、何とか輪郭が分かる程度です。南西側斜面際に高まりがある、古墳かなと近づいてみるとその手前にも2個の石、これはどう見ても玄門袖石じゃないか、そう思ってみると玄室らしい石組みもありました、1.5×1m程度の小型石室です、子供のなのかな。墳丘の脇に小さな石室を持つ古墳が付随するのは岡山県総社市峠1号や熊本県山鹿市黄金塚古墳等の例がありますがこれもそうでしょうか。最初に目についた高まりはやはり古墳で石室開口、でも後部しか残っていません。幅は1.5mくらいありますが長さが短い、前は急斜面なので元々長くはなかったよう。すぐ北側には平坦面があるのになんでこんな場所に造ったのかな。

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