桜井古墳群

福島県南相馬市(旧原町市)1996年12月訪問、2004年5月再訪

川沿いの段丘端に分布、2支群約30基
主墳の桜井古墳が保存整備され公園として公開

桜井古墳(1号)
前方後方墳、TL74.5,R45,RH6.8,FW30,FH3、4C後半
位置:37°38′18″N 140°59′42″E

96年、公園化に向けて樹木が伐採された直後


前方部隅から後方部


前方部から後方部


後方部から前方部


04年、公園完成後


墳丘南側側面


2番目とほぼ同じアングル


2号
円墳、R20,H2、5C

96年、1号すぐ西側


04年、現状保存


7号
方墳、L27.5,H3.3、4C後半

99年発掘当時、鏡が出土


04年、復元墳丘


(見学記)

(1996年)
新桜井橋東方約1km,新田川右岸の河岸段丘上に位置する全長75m、高7m程の前方後方墳で国指定史跡です。後方部の大きさに比べて前方部がほっそりとしていて小さいのが特徴です。土地の公有化に伴い現在杉が伐採されていて墳丘が大変見やすくなっています。9月に来た時はまだ杉林の中だったからちょっとびっくりでもラッキー。 発掘の方は国の予算が付くまでお預けだそうです。まあ,土地が公有化されたのだから焦ることは無いでしょう。 墳丘上の切り株の年輪を数えたら(私もヒマだね)50弱位だから戦後間もなく植えられたことになります。古墳上に植えなくても良いと思うのだけれどあの時代ではしょうがないか。実際終戦後の古い古墳写真を見ると丸裸の古墳が結構ありますしね。なお同じ段丘上に幾つかの古墳があって古墳群を形成しています。「日本の古代遺跡(福島)」では主墳以外は円1,方1しか残っていない,と書かれていますが職員の方の聞いた話ではまだ十数基残っているそうです。私がざっと探してみただけでも主墳の西に1-2基,東に4基見つけることが出来ました。あの本の記述は何なんじゃ。

(2004年追記)
公園が完成したようなので行ってみました。主墳の桜井古墳は元の墳丘に土をかぶせてすっかり復元されていました。後方部は三段築成、前方部は築成無しで復元されています。後方部頂は木棺が2基あったようですが復元では位置だけ表示されています。埴輪は発見されなかったのでしょうか復元古墳によく見られる埴輪の林立は全くありません。それにしてもあまり綺麗に復元されると味気ないな。すぐ西側には円墳の2号墳が現状保存。この側には墳丘のない土壙墓が位置だけ表示されています。1号が4世紀、2号が5世紀の古墳なのに対して土壙墓は6世紀、だんだん勢力が衰えていったんでしょうか。東側にある鏡が出土した7号墳も綺麗に復元されていました。1号前方部脇には2種類の説明書を入れたポストがあるがより詳しい方は最後の1枚だった、ラッキー。下の河原には駐車場があります。古墳公園専用だと少々広すぎるけど(当日はウイークデーのせいもあって1台も駐車してなかった)、川沿いを散策するなど別の目的があるのかも知れない。

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