船戸山古墳群
和歌山県岩出市 2008年3月訪問
現存7基
1号
円墳、R10
横穴式石室、全長5.6m、玄室長2.1,幅1.7,高1.6m
位置:34°14′37″N 135°18′53″E (日本測地系)
34.24691173 135.31193726(世界測地系)
丘陵頂部に立地、墳丘ははっきりしない

石室正面、羨道はかなり破壊

岩橋型石室、石棚や梁はない

玄室上部、側壁の上部に平石がある

狭い天井部、右が奥壁側

奥から外、両袖式、袖の位置が前後にずれている

2号
円墳、R15
横穴式石室、全長6.6m、玄室長2.95,幅1.8,高2.9m
石障、棺台、石棚
3号から見た墳丘、左手に石室開口

南側に開口、入り口部分は覆い屋で保護

羨道前室前道と複雑な構造、煤けて黒くなっている

岩橋型石室、上部に石棚、下は棺台かな

玄室上部

狭い天井、右が奥壁側

棺台上部、2枚の石からなり石槨状

棺台下左側

棺台下右側

床面中央の石障

奥から外、両袖式

奥から見た前室

3号
丘陵上側から見た墳丘

墳丘は良好に残るも墳頂部盗掘

(見学記)
岩出市船戸、船戸山団地西側の丘陵上に7基現状保存されていますが見学できるのは3基。JR船戸駅南側の住宅団地があり県道9号の信号のある交差点から入ってすぐ右手に真っ直ぐ行くと突き当たりが古墳群のある林です。林に入って少し登ると右手に2号がありますが取りあえず丘頂部にある1号へ。頂部は笹が茂って意外と分かりにくいですが1号が西向きに開口しています。前部が盗掘されて羨道は殆ど破壊、盗掘の仕方が何か計画的な感じです。玄室は完存、緑泥片岩小口積みの岩橋型ですが石棚や梁はありません。玄門は両袖式ですが石を何段も積み重ねています。左右の幅が少し違うし前後にもずれているようだ。2号は低い墳丘で南側に開口、入り口が覆い屋で保護されています。石室は良好に残っていて羨道前室前道玄室と複雑な構造、全体が下り坂になっていて元の斜面に沿って石室を構築したんでしょうか(その方が築くのが楽だろうし)。中にはいると入り口辺りは煤で真っ黒、何をしたんでしょうね。玄室前は左右に板石をおいていかにも通路な感じ。玄室は岩橋型で床面には石障、奥壁は石棚が上下に二つある複雑な構造です。ただ下側の石棚はかなり下にあり2枚の石からなっていて石槨状、下にも四隅に柱石のようなのがあるし敷石も敷かれていて石棚でなく棺台かもしれない。でも上部だけでなく下の空間も何かに使ったんだろうか。1号と2号の中間に大きな墳丘があってこれが3号かな。円錐形の墳丘が良好に残っているが墳頂に大きな盗掘跡があります。石材は出てないけど岩橋型の石室ではないのかな。石室自体はそれ程大きくないのでこういう複雑な構造を撮るのは大変。1-3号が県史跡。
ここを見学の際一番注意しなければいけないのがサギ。高い樹上に巣を作っていて糞を落としています。初めは気がつかず何かがボトボト落ちる音がなんだと思っていた。撮影中も体やカメラに直撃するんじゃないかと気がきじゃなかったですね。その意味で2号入り口の覆い屋は助かった(笑)。
現存7基
1号
円墳、R10
横穴式石室、全長5.6m、玄室長2.1,幅1.7,高1.6m
位置:34°14′37″N 135°18′53″E (日本測地系)
34.24691173 135.31193726(世界測地系)
丘陵頂部に立地、墳丘ははっきりしない

石室正面、羨道はかなり破壊

岩橋型石室、石棚や梁はない

玄室上部、側壁の上部に平石がある

狭い天井部、右が奥壁側

奥から外、両袖式、袖の位置が前後にずれている

2号
円墳、R15
横穴式石室、全長6.6m、玄室長2.95,幅1.8,高2.9m
石障、棺台、石棚
3号から見た墳丘、左手に石室開口

南側に開口、入り口部分は覆い屋で保護

羨道前室前道と複雑な構造、煤けて黒くなっている

岩橋型石室、上部に石棚、下は棺台かな

玄室上部

狭い天井、右が奥壁側

棺台上部、2枚の石からなり石槨状

棺台下左側

棺台下右側

床面中央の石障

奥から外、両袖式

奥から見た前室

3号
丘陵上側から見た墳丘

墳丘は良好に残るも墳頂部盗掘

(見学記)
岩出市船戸、船戸山団地西側の丘陵上に7基現状保存されていますが見学できるのは3基。JR船戸駅南側の住宅団地があり県道9号の信号のある交差点から入ってすぐ右手に真っ直ぐ行くと突き当たりが古墳群のある林です。林に入って少し登ると右手に2号がありますが取りあえず丘頂部にある1号へ。頂部は笹が茂って意外と分かりにくいですが1号が西向きに開口しています。前部が盗掘されて羨道は殆ど破壊、盗掘の仕方が何か計画的な感じです。玄室は完存、緑泥片岩小口積みの岩橋型ですが石棚や梁はありません。玄門は両袖式ですが石を何段も積み重ねています。左右の幅が少し違うし前後にもずれているようだ。2号は低い墳丘で南側に開口、入り口が覆い屋で保護されています。石室は良好に残っていて羨道前室前道玄室と複雑な構造、全体が下り坂になっていて元の斜面に沿って石室を構築したんでしょうか(その方が築くのが楽だろうし)。中にはいると入り口辺りは煤で真っ黒、何をしたんでしょうね。玄室前は左右に板石をおいていかにも通路な感じ。玄室は岩橋型で床面には石障、奥壁は石棚が上下に二つある複雑な構造です。ただ下側の石棚はかなり下にあり2枚の石からなっていて石槨状、下にも四隅に柱石のようなのがあるし敷石も敷かれていて石棚でなく棺台かもしれない。でも上部だけでなく下の空間も何かに使ったんだろうか。1号と2号の中間に大きな墳丘があってこれが3号かな。円錐形の墳丘が良好に残っているが墳頂に大きな盗掘跡があります。石材は出てないけど岩橋型の石室ではないのかな。石室自体はそれ程大きくないのでこういう複雑な構造を撮るのは大変。1-3号が県史跡。
ここを見学の際一番注意しなければいけないのがサギ。高い樹上に巣を作っていて糞を落としています。初めは気がつかず何かがボトボト落ちる音がなんだと思っていた。撮影中も体やカメラに直撃するんじゃないかと気がきじゃなかったですね。その意味で2号入り口の覆い屋は助かった(笑)。