岩橋千塚古墳群(その他の支群)
和歌山県和歌山市 1998年3月訪問
紀伊川河口近くの左岸丘陵上
総数500基以上の大群集墳
小口積み背の高い玄室、石棚、石梁が特徴
(その他の支群)
井辺1号
方墳、L35×18、H11
横穴式石室、石棚、石梁
位置:34°13′07″N 135°13′27″E (日本測地系)
34.22191273 135.22139031(世界測地系)
墳頂にある石室開口部

石梁、その下に石棚が見えている

井辺八幡山古墳
前方後円墳、TL88
位置:34°12′49″N 135°13′01″E (日本測地系)
34.21691315 135.21416869(世界測地系)
_1:南からの遠望、左側山の頂、右の山頂にも前方後円墳がある

大谷山22号
前方後円墳、TL70
横穴式石室、玄室長4.1,幅2.5,高3.15m
石棚、水平石梁
位置:34°13′28″N 135°13′22″E (日本測地系)
34.2277454 135.22000141(世界測地系)
石室開口部、石棚が2枚からなる

羨道、玄門

玄室、石棚、石棚は2枚からなる

石棚上部

石室上部、水平石梁

玄門(奥から)水平石梁、位置の偏った玄門等古い特徴を示す

大日山35号
前方後円墳、TL73
横穴式石室(閉鎖)
位置:34°13′13″N 135°13′27″E (日本測地系)
34.22357921 135.22139028(世界測地系)
前方から後円

前方部隅から後円部

修復古墳
北側麓の尾根上

1基で2石室を持つのもある

天王山古墳
前方後円墳、TL86,R44,RH10,FW46,FH8
遠望、中央排水タンク辺りが後円部、墳丘、石室とも最大クラス

(見学記)
紀伊川河口南側,花山・大谷山・大日山・岩橋前山・井辺前山の各丘陵上に分布,花山のが一番古く古式の前方後円墳が多くあり以下大谷山,大日山,前山と造営が続いています。群集墳の最も多いのは大日山,岩橋前山の尾根及び北側斜面でもう古墳だらけと言った感じでまさしく全山皆墓,場所が無くなってきたんでしょうか,中には登るのも困難な急斜面にまで立地しているのもあります。墳丘だけでなく石室まで造りしかも千数百年経て墳丘が崩れずそのまま残っているんだから古代の技術はたいしたものです。現在大日山,岩橋前山と大谷山の一部が紀伊風土記の丘に指定され保存整備されています。前山地区北側麓に資料館がありますからここを見学してから古墳巡りをするといいでしょう。資料館から山をぐるっと一周する約3km(標高差約 120m)の周遊コースが巡っていて円墳有り,方墳有り,前方後円墳有り,石室有りでたっぷり堪能できます。公開されている石室は12基ですが公開と言っても案内板や説明板があるだけで他のが見れないわけではありません。残念ながら殆どの古墳が盗掘を受け,逆に盗掘坑があるから古墳だなと判断できる程小さな古墳まで徹底的にやられています。墳頂が掘られているからまるで巨大な蟻の巣穴が並んでいるよう,しかも横穴石室の玄室高が高く深い穴になっていて万が一落ちたらとても一人では上がってこれません。所々に古墳立入禁止の立て札があるのもうなずけます。
古墳の主体部は大部分が横穴式石室で結晶片岩を使った小口積み,持ち送りの強い背の高い玄室で両袖式,天井石は小形の平板な石を使用,玄室と羨道の間が幅高さとも狭まっていて通路のようになっていて,床面が羨道床面より一段低くなっています。
ここの特徴はなんと言っても石棚,石梁のある横穴石室です。石棚は主に西日本の古墳に分布していますがこの古墳群に圧倒的に多く石梁はここにしか見られない特徴です。しかしこれらを持っているのは少数派で特に石梁は更に少なくやはり権威の象徴だったんでしょうね。その他少数ですが竪穴石室,箱式石棺を持つ古墳もあり,横穴石室墳の隣に竪穴石室墳,その隣に箱式石棺があると言った感じで混在しています。では公開されている石室を中心に紹介します。なお石室規模の数値は長さ,幅,高さの順,古墳の数は「日本の古代遺跡(和歌山)」によります。
花山支群
資料館北西の独立丘陵上にある前方後円墳9基を含む総数84基の支群で古墳群の造営はこの辺りから始まったようで最高所にある8号墳など古式の前方後円墳がありますが石棚を持つのは14号墳(消滅)1基だけです。小さな丘なので簡単に上れると思ったら道が全然分からず何とかはいっていっても深い森や藪でさっぱり分からず,小さな箱式石棺を一つ見つけただけ。風土記の丘範囲外。
大谷山支群
資料館西方,半独立丘陵上にある前方後円墳6基を含む総数21基の支群で山頂に全長 80m の22号墳があります。墳丘は藪に覆われていますが後円部南側に石室が開口,玄室は 4.1,2.5,3.2m とかなり大きく石棚,梁が各1,棚は2枚の石からなりかなり厚い,梁が水平なのが初期の石室の特徴で,玄室は両袖式ですが玄門が左に大きくずれているのも初期の特徴です。この地区は一部が風土記の丘範囲内ですが見学できるのは22号だけのようで石棚を持つのも他に2基のみ。
大日山支群
東西に伸びる丘陵の西端にある前方後円墳2基を含む総数51基からなる支群です。山頂にあるのが全長 73m の前方後円墳である35号墳で疎林の中でよく観察できます。平面形は比較的よく保存されているようだが後円部頂が妙に平らで少し削平されているのかもしれない。後円部西側に大日不動の石像があってその背後に石室が開口していますが鉄板が張られていて中を覗くことさえ不可。この地区は他に4基の石棚古墳がありますが見つけたのは7号(多分)のみ。なお大日山支群には属しませんが山頂から北東側の尾根や谷筋に幾つもの散策コースがあってその所々に古墳が数基ずつまとまって分布しています。そのうち162号墳で石棚有り,薄い石棚です。他にも横長タイプと思われる玄室もあった。
前山B支群
大日山35号から尾根伝いに東に行くと休憩所がありそこから東の尾根上と北側斜面に分布前方後円墳4基を含む総数210基,石棚を持つ石室も18基と1番多く分布しています。前方後円墳の内尾根上にあるのが西から郡長塚(前山B112号,全長 31m ),知事塚(前山B67号,全長 31m ),将軍塚(前山B53号,全長 43m ),このネーミングも中世と近世が混在していておもしろいですね。知事塚は石棚石梁各1を持つ横穴石室ですが現在は埋め戻されていて見学不可。墳丘も盗掘が見られませんがここだけ未盗掘とは考えられず修復したのかな。この南側に6基の円墳がありますがそのうち5基に石棚が有り,又比較的近くにも7基石棚があって特に密集度が大きい場所です。尾根伝いの道を更に行くと知事塚こちらは盗掘で穴だらけ造出まで盗掘されている。前方部の盗掘跡にわずかに石室らしき物が見えている。更に東に行くと将軍塚後円部と前方部に石室がありますが後円部の方が公開されています。入り口はトタン屋根の通路のようでムードがありませんが両袖式の玄室は大きさが 3.3,2.2,4.3m 大変背が高く上に明かり取りが付いていますがやはりライトが必携。小口積みの石室は壁面が非常に整えられていて幾何学模様が描かれているようで大型石材を使った横穴石室や小口積みの竪穴石室とは又違った印象を受けます。しかし何でこんなに高くする必要があったんでしょうかね。石棚石梁が各1羨道まで石梁が1有り。
前山A支群
更に東に行くともう一つの休憩所がありそこから北に下って行く周遊路沿いにある総数238基の支群で最も数が多く裾を接するように密集しています。ここは資料館に近いせいか公開されている石室も多い(箱式石棺:A17,100号竪穴石室:47,108号横穴石室:13,23,24,32,46,53,56,99号)。公開石室の多くで石棚石梁が見られ特に最大の円墳の46号では石梁が4もある豪華さ,羨道まで石梁があります。羨道壁が膨れていて今にも崩れそう,梁がなければ崩壊しているかも。石室全長 8.8m, 玄室高 3.4m。又公開されていませんがA67号では玄室奥に箱式石棺が見えています。
修復古墳
前山B地区北側,丘陵麓近くに4基の古墳が修復されて並んでいます。小円墳ながらそれぞれ竪穴・横穴石室1づつ,その内の1基は横穴2という豪華さ。しかしすべて埋め戻されていて見ることは出来ません。1つくらい公開しても良さそうなのに,ケチ (゚゚;) \ (--;)。
天王塚古墳
前山A地区から東に続く丘陵頂を利用して造られた前方後円墳で群中最大規模を誇る全長 86m (やはり将軍より天王の方が地位が高いと思われていたんでしょうね)又石室規模も全長 10.1m 玄室 4.2,2.9,5.9m と最大,石棚1,石梁はなんと8本もあるという豪華さ。是非とも見たい物ですが埋め戻されていて見ることは出来ません (+。+)アチャー。 古墳規模に比べて支群としては他に円墳が2基あるだけ。このアンバランスさは何故でしょうね。写真が資料館内にも全くなく全然撮られてないのかと思ったら保育社カラーブック「古墳」に3枚も載っていました(最近別の本が話題になった時読み返して気が付いた)。しかし何故地元の資料館に無いんだろー,版権の問題なのかな?。資料館職員の方に行く道を尋ねたら何しに行くんですかと聞き返された。古墳を見に行く以外何があるの,素人の方ならともかく専門の方にそのような言い方をして欲しくなかったですね。どちらにしろかなり距離もあるようだし,石室も埋まっているので麓から前方後円墳らしい姿を見るだけで我慢しました。
井辺1号墳
大日山南側麓,溜め池北側の竹林の中にある大型の方墳です。尾根斜面を削りだして造られたせいか方墳と言うよりは台形に近い平面形 (28×40)。しかも盛り土部分が少ないせいなんでしょうね,かなり大きな石室(全長 10.9m) にも関わらず墳頂近くにあります。石室は上部が盗掘を受けかなり破壊され玄室上部が開口,一人では入るのは困難だがそこから石棚石梁が見えています。床面には棺台があるそうだが気が付かなかった。岩橋型最後の石室です。西側に総数26基からなる井辺支群が分布していますが藪がひどく1号墳が見られただけで満足して引き返しました。
井辺八幡山古墳
大日山南西の独立丘陵上に分布する総数88基からなる井辺前山支群の中の1基で全長 88m 和歌山県最大の前方後円墳です。付近の丘の頂にも5基の前方後円墳が分布しています。森浩一先生の著書によく出てくる古墳で山奥にある物とばかり思っていたら里に近い場所にあったのが意外でした(改めて本を読み直したら自然地形を利用した古墳とは書いていたが山奥とは書いてはなかった。ちょっと早とちり (^^;)。周りがミカン畑になっていますが勝手に入ると地主の方とトラブルになるそうなので下から雰囲気を感じただけで退散(石室がないと分かるとあきらめるのも早い今日この頃
紀伊川河口近くの左岸丘陵上
総数500基以上の大群集墳
小口積み背の高い玄室、石棚、石梁が特徴
(その他の支群)
井辺1号
方墳、L35×18、H11
横穴式石室、石棚、石梁
位置:34°13′07″N 135°13′27″E (日本測地系)
34.22191273 135.22139031(世界測地系)
墳頂にある石室開口部

石梁、その下に石棚が見えている

井辺八幡山古墳
前方後円墳、TL88
位置:34°12′49″N 135°13′01″E (日本測地系)
34.21691315 135.21416869(世界測地系)
_1:南からの遠望、左側山の頂、右の山頂にも前方後円墳がある

大谷山22号
前方後円墳、TL70
横穴式石室、玄室長4.1,幅2.5,高3.15m
石棚、水平石梁
位置:34°13′28″N 135°13′22″E (日本測地系)
34.2277454 135.22000141(世界測地系)
石室開口部、石棚が2枚からなる

羨道、玄門

玄室、石棚、石棚は2枚からなる

石棚上部

石室上部、水平石梁

玄門(奥から)水平石梁、位置の偏った玄門等古い特徴を示す

大日山35号
前方後円墳、TL73
横穴式石室(閉鎖)
位置:34°13′13″N 135°13′27″E (日本測地系)
34.22357921 135.22139028(世界測地系)
前方から後円

前方部隅から後円部

修復古墳
北側麓の尾根上

1基で2石室を持つのもある

天王山古墳
前方後円墳、TL86,R44,RH10,FW46,FH8
遠望、中央排水タンク辺りが後円部、墳丘、石室とも最大クラス

(見学記)
紀伊川河口南側,花山・大谷山・大日山・岩橋前山・井辺前山の各丘陵上に分布,花山のが一番古く古式の前方後円墳が多くあり以下大谷山,大日山,前山と造営が続いています。群集墳の最も多いのは大日山,岩橋前山の尾根及び北側斜面でもう古墳だらけと言った感じでまさしく全山皆墓,場所が無くなってきたんでしょうか,中には登るのも困難な急斜面にまで立地しているのもあります。墳丘だけでなく石室まで造りしかも千数百年経て墳丘が崩れずそのまま残っているんだから古代の技術はたいしたものです。現在大日山,岩橋前山と大谷山の一部が紀伊風土記の丘に指定され保存整備されています。前山地区北側麓に資料館がありますからここを見学してから古墳巡りをするといいでしょう。資料館から山をぐるっと一周する約3km(標高差約 120m)の周遊コースが巡っていて円墳有り,方墳有り,前方後円墳有り,石室有りでたっぷり堪能できます。公開されている石室は12基ですが公開と言っても案内板や説明板があるだけで他のが見れないわけではありません。残念ながら殆どの古墳が盗掘を受け,逆に盗掘坑があるから古墳だなと判断できる程小さな古墳まで徹底的にやられています。墳頂が掘られているからまるで巨大な蟻の巣穴が並んでいるよう,しかも横穴石室の玄室高が高く深い穴になっていて万が一落ちたらとても一人では上がってこれません。所々に古墳立入禁止の立て札があるのもうなずけます。
古墳の主体部は大部分が横穴式石室で結晶片岩を使った小口積み,持ち送りの強い背の高い玄室で両袖式,天井石は小形の平板な石を使用,玄室と羨道の間が幅高さとも狭まっていて通路のようになっていて,床面が羨道床面より一段低くなっています。
ここの特徴はなんと言っても石棚,石梁のある横穴石室です。石棚は主に西日本の古墳に分布していますがこの古墳群に圧倒的に多く石梁はここにしか見られない特徴です。しかしこれらを持っているのは少数派で特に石梁は更に少なくやはり権威の象徴だったんでしょうね。その他少数ですが竪穴石室,箱式石棺を持つ古墳もあり,横穴石室墳の隣に竪穴石室墳,その隣に箱式石棺があると言った感じで混在しています。では公開されている石室を中心に紹介します。なお石室規模の数値は長さ,幅,高さの順,古墳の数は「日本の古代遺跡(和歌山)」によります。
花山支群
資料館北西の独立丘陵上にある前方後円墳9基を含む総数84基の支群で古墳群の造営はこの辺りから始まったようで最高所にある8号墳など古式の前方後円墳がありますが石棚を持つのは14号墳(消滅)1基だけです。小さな丘なので簡単に上れると思ったら道が全然分からず何とかはいっていっても深い森や藪でさっぱり分からず,小さな箱式石棺を一つ見つけただけ。風土記の丘範囲外。
大谷山支群
資料館西方,半独立丘陵上にある前方後円墳6基を含む総数21基の支群で山頂に全長 80m の22号墳があります。墳丘は藪に覆われていますが後円部南側に石室が開口,玄室は 4.1,2.5,3.2m とかなり大きく石棚,梁が各1,棚は2枚の石からなりかなり厚い,梁が水平なのが初期の石室の特徴で,玄室は両袖式ですが玄門が左に大きくずれているのも初期の特徴です。この地区は一部が風土記の丘範囲内ですが見学できるのは22号だけのようで石棚を持つのも他に2基のみ。
大日山支群
東西に伸びる丘陵の西端にある前方後円墳2基を含む総数51基からなる支群です。山頂にあるのが全長 73m の前方後円墳である35号墳で疎林の中でよく観察できます。平面形は比較的よく保存されているようだが後円部頂が妙に平らで少し削平されているのかもしれない。後円部西側に大日不動の石像があってその背後に石室が開口していますが鉄板が張られていて中を覗くことさえ不可。この地区は他に4基の石棚古墳がありますが見つけたのは7号(多分)のみ。なお大日山支群には属しませんが山頂から北東側の尾根や谷筋に幾つもの散策コースがあってその所々に古墳が数基ずつまとまって分布しています。そのうち162号墳で石棚有り,薄い石棚です。他にも横長タイプと思われる玄室もあった。
前山B支群
大日山35号から尾根伝いに東に行くと休憩所がありそこから東の尾根上と北側斜面に分布前方後円墳4基を含む総数210基,石棚を持つ石室も18基と1番多く分布しています。前方後円墳の内尾根上にあるのが西から郡長塚(前山B112号,全長 31m ),知事塚(前山B67号,全長 31m ),将軍塚(前山B53号,全長 43m ),このネーミングも中世と近世が混在していておもしろいですね。知事塚は石棚石梁各1を持つ横穴石室ですが現在は埋め戻されていて見学不可。墳丘も盗掘が見られませんがここだけ未盗掘とは考えられず修復したのかな。この南側に6基の円墳がありますがそのうち5基に石棚が有り,又比較的近くにも7基石棚があって特に密集度が大きい場所です。尾根伝いの道を更に行くと知事塚こちらは盗掘で穴だらけ造出まで盗掘されている。前方部の盗掘跡にわずかに石室らしき物が見えている。更に東に行くと将軍塚後円部と前方部に石室がありますが後円部の方が公開されています。入り口はトタン屋根の通路のようでムードがありませんが両袖式の玄室は大きさが 3.3,2.2,4.3m 大変背が高く上に明かり取りが付いていますがやはりライトが必携。小口積みの石室は壁面が非常に整えられていて幾何学模様が描かれているようで大型石材を使った横穴石室や小口積みの竪穴石室とは又違った印象を受けます。しかし何でこんなに高くする必要があったんでしょうかね。石棚石梁が各1羨道まで石梁が1有り。
前山A支群
更に東に行くともう一つの休憩所がありそこから北に下って行く周遊路沿いにある総数238基の支群で最も数が多く裾を接するように密集しています。ここは資料館に近いせいか公開されている石室も多い(箱式石棺:A17,100号竪穴石室:47,108号横穴石室:13,23,24,32,46,53,56,99号)。公開石室の多くで石棚石梁が見られ特に最大の円墳の46号では石梁が4もある豪華さ,羨道まで石梁があります。羨道壁が膨れていて今にも崩れそう,梁がなければ崩壊しているかも。石室全長 8.8m, 玄室高 3.4m。又公開されていませんがA67号では玄室奥に箱式石棺が見えています。
修復古墳
前山B地区北側,丘陵麓近くに4基の古墳が修復されて並んでいます。小円墳ながらそれぞれ竪穴・横穴石室1づつ,その内の1基は横穴2という豪華さ。しかしすべて埋め戻されていて見ることは出来ません。1つくらい公開しても良さそうなのに,ケチ (゚゚;) \ (--;)。
天王塚古墳
前山A地区から東に続く丘陵頂を利用して造られた前方後円墳で群中最大規模を誇る全長 86m (やはり将軍より天王の方が地位が高いと思われていたんでしょうね)又石室規模も全長 10.1m 玄室 4.2,2.9,5.9m と最大,石棚1,石梁はなんと8本もあるという豪華さ。是非とも見たい物ですが埋め戻されていて見ることは出来ません (+。+)アチャー。 古墳規模に比べて支群としては他に円墳が2基あるだけ。このアンバランスさは何故でしょうね。写真が資料館内にも全くなく全然撮られてないのかと思ったら保育社カラーブック「古墳」に3枚も載っていました(最近別の本が話題になった時読み返して気が付いた)。しかし何故地元の資料館に無いんだろー,版権の問題なのかな?。資料館職員の方に行く道を尋ねたら何しに行くんですかと聞き返された。古墳を見に行く以外何があるの,素人の方ならともかく専門の方にそのような言い方をして欲しくなかったですね。どちらにしろかなり距離もあるようだし,石室も埋まっているので麓から前方後円墳らしい姿を見るだけで我慢しました。
井辺1号墳
大日山南側麓,溜め池北側の竹林の中にある大型の方墳です。尾根斜面を削りだして造られたせいか方墳と言うよりは台形に近い平面形 (28×40)。しかも盛り土部分が少ないせいなんでしょうね,かなり大きな石室(全長 10.9m) にも関わらず墳頂近くにあります。石室は上部が盗掘を受けかなり破壊され玄室上部が開口,一人では入るのは困難だがそこから石棚石梁が見えています。床面には棺台があるそうだが気が付かなかった。岩橋型最後の石室です。西側に総数26基からなる井辺支群が分布していますが藪がひどく1号墳が見られただけで満足して引き返しました。
井辺八幡山古墳
大日山南西の独立丘陵上に分布する総数88基からなる井辺前山支群の中の1基で全長 88m 和歌山県最大の前方後円墳です。付近の丘の頂にも5基の前方後円墳が分布しています。森浩一先生の著書によく出てくる古墳で山奥にある物とばかり思っていたら里に近い場所にあったのが意外でした(改めて本を読み直したら自然地形を利用した古墳とは書いていたが山奥とは書いてはなかった。ちょっと早とちり (^^;)。周りがミカン畑になっていますが勝手に入ると地主の方とトラブルになるそうなので下から雰囲気を感じただけで退散(石室がないと分かるとあきらめるのも早い今日この頃