拝原古墳群
徳島県美馬市(旧脇町)2002年5月訪問
現存3基、段の塚穴型石室
北原古墳
円墳
横穴式石室
位置:34°04′09″N 134°10′12″E (日本測地系)
34.07247263 134.16732715(世界測地系)
麦畑の中に浮かぶ墳丘

羨道

背の高い玄室、奥壁下部巨石とすぐ上の石との間に平石を詰めている

奥から外、側壁は太鼓塚や棚塚と異なり砂岩自然石

中拝原古墳(拝中古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′49″N 134°10′21″E (日本測地系)
34.06691775 134.16982686(世界測地系)
墳丘、石室正面、周囲はかなり改変されている

玄室、北原古墳とほぼ同じ構造

奥から外

東拝原古墳(拝東古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′41″N 134°10′34″E (日本測地系)
34.0646958 134.17343754(世界測地系)
墳丘南側、東側が大きく削平されている

石室正面、玄門手前で幅や高さが狭まる

玄室、やはり同じような構造ながら奥壁が1枚石でなく持ち送りも小さい

奥から外、3基の中で規模が一番大きい

(見学記)
脇町東部の拝原地区にある古墳で3基残存、共に町史跡です。
北原古墳
「日本の古代遺跡(徳島県)」p170の地図には国道193号が出ておらず地図と現地の様子を確認(後で思えばすぐ側に中拝原古墳があったのだが)。取りあえず北側の北原古墳に向かう。現地は扇状地の緩い緩斜面で水田になっていて見通しはきくのだがかえって目標になる地形が見あたらず探すのに結構苦労しました。古墳は国道の旧道東側の水田の中にポツンと残っていました。黄金色に実る麦畑の中に丸い緑の墳丘、南側には石室が開口と、今回の旅行の中で一番気に入った光景でした。石室は段の塚穴型でほぼ完存、外見からは想像できないほど背の高い石室が残っています。側壁は砂岩の自然石乱石積みでこれは他の2基とも共通。奥壁下部の岩とすぐ上の内傾する岩との間に平石を一列に詰めていますが石棚を意識したのでしょうか。
中拝原古墳
国道193号と県道12号交差点北側100m、道路が大きく右カーブする辺り、民家の裏にあります(側に標柱が立っているがこれには拝中古墳となっている)。南側に石室が開口、墳丘周囲が石垣となって改変されているが石室はほぼ完存、北原古墳と同じような構造です。
東拝原古墳
上記交差点東側200m、目標としていた神社の南側水田の中に古墳の残骸のような物があった。まさかこれではないだろうと思って周囲を探した見たが見つからず、取りあえず写真を撮って他をまわる。翌日気になって再度探してみたら何のことはない神社東側の民家の陰にあった。墳丘は東側が大きく削られ石室の一部が露出しているが石室はほぼ完存、やはり段の塚穴型で3基の中では一番規模が大きい。奥壁下部が一枚岩ではなく砂岩の乱石積みな点が異なる。ここも標柱に記された名前が拝東古墳となっている。とすると北原古墳も拝北古墳なのだろうか、標柱があったが倒れていて字はすっかり消えていた。
現存3基、段の塚穴型石室
北原古墳
円墳
横穴式石室
位置:34°04′09″N 134°10′12″E (日本測地系)
34.07247263 134.16732715(世界測地系)
麦畑の中に浮かぶ墳丘

羨道

背の高い玄室、奥壁下部巨石とすぐ上の石との間に平石を詰めている

奥から外、側壁は太鼓塚や棚塚と異なり砂岩自然石

中拝原古墳(拝中古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′49″N 134°10′21″E (日本測地系)
34.06691775 134.16982686(世界測地系)
墳丘、石室正面、周囲はかなり改変されている

玄室、北原古墳とほぼ同じ構造

奥から外

東拝原古墳(拝東古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′41″N 134°10′34″E (日本測地系)
34.0646958 134.17343754(世界測地系)
墳丘南側、東側が大きく削平されている

石室正面、玄門手前で幅や高さが狭まる

玄室、やはり同じような構造ながら奥壁が1枚石でなく持ち送りも小さい

奥から外、3基の中で規模が一番大きい

(見学記)
脇町東部の拝原地区にある古墳で3基残存、共に町史跡です。
北原古墳
「日本の古代遺跡(徳島県)」p170の地図には国道193号が出ておらず地図と現地の様子を確認(後で思えばすぐ側に中拝原古墳があったのだが)。取りあえず北側の北原古墳に向かう。現地は扇状地の緩い緩斜面で水田になっていて見通しはきくのだがかえって目標になる地形が見あたらず探すのに結構苦労しました。古墳は国道の旧道東側の水田の中にポツンと残っていました。黄金色に実る麦畑の中に丸い緑の墳丘、南側には石室が開口と、今回の旅行の中で一番気に入った光景でした。石室は段の塚穴型でほぼ完存、外見からは想像できないほど背の高い石室が残っています。側壁は砂岩の自然石乱石積みでこれは他の2基とも共通。奥壁下部の岩とすぐ上の内傾する岩との間に平石を一列に詰めていますが石棚を意識したのでしょうか。
中拝原古墳
国道193号と県道12号交差点北側100m、道路が大きく右カーブする辺り、民家の裏にあります(側に標柱が立っているがこれには拝中古墳となっている)。南側に石室が開口、墳丘周囲が石垣となって改変されているが石室はほぼ完存、北原古墳と同じような構造です。
東拝原古墳
上記交差点東側200m、目標としていた神社の南側水田の中に古墳の残骸のような物があった。まさかこれではないだろうと思って周囲を探した見たが見つからず、取りあえず写真を撮って他をまわる。翌日気になって再度探してみたら何のことはない神社東側の民家の陰にあった。墳丘は東側が大きく削られ石室の一部が露出しているが石室はほぼ完存、やはり段の塚穴型で3基の中では一番規模が大きい。奥壁下部が一枚岩ではなく砂岩の乱石積みな点が異なる。ここも標柱に記された名前が拝東古墳となっている。とすると北原古墳も拝北古墳なのだろうか、標柱があったが倒れていて字はすっかり消えていた。