乱斗山古墳群
佐賀県佐賀市 2008年1月訪問
(番号は仮称)
1号
複室横穴式石室
位置:33°19′40″N 130°18′14″E (日本測地系)
33.33109263 130.30157435(世界測地系)
開口部、前室天井部で羨道は埋没

前室、玄門

玄室、菱形の鏡石が印象的

奥から外

奥から見た玄室前室側壁

2号
複室横穴式石室
石室正面、背の高い墳丘が残る

前室、羨道は壊失

玄室、奥壁は上下2段+α

奥から外

前室(奥から)

3号
複室横穴式石室
石室正面、羨道はほぼ壊失

前室、玄門

玄室、石の積み方が粗い

奥から外

奥から見た側壁、袖石は単なる仕切りのよう

4号
横穴式石室
露出した石室

小型の玄室

天井部壊失、単室、小型、石室の向きと1-3号と随分異なる

5号
古墳?

墳丘裾にある石組み、石室?

6号
複室横穴式石室
丘陵麓にある石室、古墳群に属すかどうか不明、現存長5m以上

石室正面、ここが前室玄門辺りのようだ

前室、玄室

背の高い玄室

奥壁、三角形の鏡石が印象的

奥から外、前室が玄室より長い(約3m)

玄門袖石あたり

(見学記)
金立町金立、長崎道金立SA西側で高速下をくぐっていくと葉隠れ発祥の地の大きな案内板が立っています(その道路向かい側に見学者用駐車場有り)。それに従って道を西に行くとため池脇に石室が1基露出しています(仮称6号)。これが乱斗山古墳群に属するかどうか分からないけど全長6m以上の複室石室がほぼ完存しています。羨道部には閉塞石が残り前室の長さが3mくらいと玄室より長い。玄室は2.5m四方くらい高さもその程度、奥壁は下部に三角形をした鏡石を据え上に小型の石を積み重ねています。側壁も下部の石が大きい。ため池前の道を更に西に行くと右手石段を登ったところに葉隠れ発祥の地石碑が建っています。石碑の奥に更に山道が続いていて道が道が2方向に分かれている場所、大木の陰に説明板が立っています。ここを右に行くと(古い案内板は矢印が逆になっているようだ)右手学校との境界辺りに2基の石室が開口しています。南側のが仮称2号、複室石室で背の高い墳丘も割とよく残っています。玄室は2m四方くらい、奥壁は2段積み+α、下の石より2段目の方が若干大きい。すぐ北側にあるのが仮称1号、羨道は埋まっていますがやはり複室石室、規模も2号とほぼ同じくらい。何と言っても特徴的なのは奥壁鏡石が菱形というか算盤の玉型と言うか面白い形ですごく印象に残ります。この北側にも仮称5号があるが古墳かどうか不明。側に四角く囲まれた石組みが露出しているが石室かどうか不明。ここに石室が4基あるはずだがと思って更に奥に行ってみたが見つからず説明板の場所まで戻ってみたら何のことはないその背後に天井石を失った小さな石室が露出していました(仮称4号)。他と比べるとずっと小型、単室、向きも他が南西方向なのに対して南東に開口と随分異質な石室です。この側にも藪に覆われた墳丘がありました(仮称3号)。藪に阻まれて石室までたどり着くのが大変、中も根っこや蔓が伸び放題、撮影前に大分掃除する必要がありました。1,2号とほぼ同じ規模の複室石室ですが積み方がやや粗い感じです。市史跡。
(番号は仮称)
1号
複室横穴式石室
位置:33°19′40″N 130°18′14″E (日本測地系)
33.33109263 130.30157435(世界測地系)
開口部、前室天井部で羨道は埋没

前室、玄門

玄室、菱形の鏡石が印象的

奥から外

奥から見た玄室前室側壁

2号
複室横穴式石室
石室正面、背の高い墳丘が残る

前室、羨道は壊失

玄室、奥壁は上下2段+α

奥から外

前室(奥から)

3号
複室横穴式石室
石室正面、羨道はほぼ壊失

前室、玄門

玄室、石の積み方が粗い

奥から外

奥から見た側壁、袖石は単なる仕切りのよう

4号
横穴式石室
露出した石室

小型の玄室

天井部壊失、単室、小型、石室の向きと1-3号と随分異なる

5号
古墳?

墳丘裾にある石組み、石室?

6号
複室横穴式石室
丘陵麓にある石室、古墳群に属すかどうか不明、現存長5m以上

石室正面、ここが前室玄門辺りのようだ

前室、玄室

背の高い玄室

奥壁、三角形の鏡石が印象的

奥から外、前室が玄室より長い(約3m)

玄門袖石あたり

(見学記)
金立町金立、長崎道金立SA西側で高速下をくぐっていくと葉隠れ発祥の地の大きな案内板が立っています(その道路向かい側に見学者用駐車場有り)。それに従って道を西に行くとため池脇に石室が1基露出しています(仮称6号)。これが乱斗山古墳群に属するかどうか分からないけど全長6m以上の複室石室がほぼ完存しています。羨道部には閉塞石が残り前室の長さが3mくらいと玄室より長い。玄室は2.5m四方くらい高さもその程度、奥壁は下部に三角形をした鏡石を据え上に小型の石を積み重ねています。側壁も下部の石が大きい。ため池前の道を更に西に行くと右手石段を登ったところに葉隠れ発祥の地石碑が建っています。石碑の奥に更に山道が続いていて道が道が2方向に分かれている場所、大木の陰に説明板が立っています。ここを右に行くと(古い案内板は矢印が逆になっているようだ)右手学校との境界辺りに2基の石室が開口しています。南側のが仮称2号、複室石室で背の高い墳丘も割とよく残っています。玄室は2m四方くらい、奥壁は2段積み+α、下の石より2段目の方が若干大きい。すぐ北側にあるのが仮称1号、羨道は埋まっていますがやはり複室石室、規模も2号とほぼ同じくらい。何と言っても特徴的なのは奥壁鏡石が菱形というか算盤の玉型と言うか面白い形ですごく印象に残ります。この北側にも仮称5号があるが古墳かどうか不明。側に四角く囲まれた石組みが露出しているが石室かどうか不明。ここに石室が4基あるはずだがと思って更に奥に行ってみたが見つからず説明板の場所まで戻ってみたら何のことはないその背後に天井石を失った小さな石室が露出していました(仮称4号)。他と比べるとずっと小型、単室、向きも他が南西方向なのに対して南東に開口と随分異質な石室です。この側にも藪に覆われた墳丘がありました(仮称3号)。藪に阻まれて石室までたどり着くのが大変、中も根っこや蔓が伸び放題、撮影前に大分掃除する必要がありました。1,2号とほぼ同じ規模の複室石室ですが積み方がやや粗い感じです。市史跡。