福岡古墳群(晩田山支群)

鳥取県米子市(旧淀江町)1997年4月訪問、2001年4月再訪

向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群

(1997年)

洞ヶ原遺跡より西側斜面、日本海を望む林の切れ間の先に晩田山3号墳


斜面直下の円墳、29号


上記やや下方、30号


斜面下方鞍部の円墳


28号


下方尾根上の方墳、周溝有り、手前も別の古墳の周溝


上記やや西側円墳、周溝有り


上記古墳周溝、陸橋がある


同じ円墳、奥に前方後円墳の3号墳


3号墳、この後消滅


3号墳、手前に環濠有り


(2001年)

前方後円墳1他

1号
円墳
横穴式石室
位置:35°27′32″N 133°26′43″E (日本測地系)
    35.46202733 133.44263334(世界測地系)
石室全景


石室正面、中央奥に2号が見えている


玄室、巨石を使用、加工度はやや粗い


2号
円墳
切石横穴式石室
石室全景、羨道はかなり破壊


〃(89年)、天井石が動かされている


刳抜式玄門、閉塞石をはめる溝がある


1枚石を使った玄室、赤色顔料がよく残っている


玄門(奥から)


17号
円墳
位置:洞ノ原すぐ南側
径30mほどの載頭円錐型


31号
方墳、L18、7C初
横穴式石室
位置:35°27′21″N 133°27′00″E (日本測地系)
    35.45897215 133.44735518(世界測地系)
墳丘、晩田山最後の古墳、保存のため道路がカーブしている


墳丘石室正面、背後の丘に妻木晩田遺跡がある


破壊が著しい石室、側壁一部と刳抜式玄門下部しか残っていない


89年当時の写真では刳り抜き部の構造がよく分かる


石室上から、玄室床に板石が敷かれている


(見学記)
洞ノ原の周囲に幾つもの古墳があります。南側にあるのが17号で径30mくらいの載頭円錐型の円墳でこの辺りでは一番大きそう。西側斜面にも幾つも古墳がありますが将来の公開に備えてでしょうか銀色のシートに覆われていました。前方後円墳の3号は消滅、かろうじて基部が残っています。この周りにあった環濠も埋め戻されその南側で現在発掘が継続中、古墳が幾つも見えていましたが墳丘には手を付けてないようです。

1,2号
西側麓にある高校敷地内にあります。前回見つけることが埋められたのかと思いましたが敷地の北側にちゃんとありました。共に墳丘ははっきりせず石室が地下に埋まるように残っています。1号は大きな各側壁と天井石が1枚残っている程度。2号は刳抜式玄門を持つ石室で羨道天井はなくなっていますが玄室は巨大な1枚石で構成され赤く塗られた色もよく残っています。以前の写真と比べてみると玄門上の天井石が動かされて側に置かれていますが地震の為でしょうか。

31号
高校前の町道を登っていくと途中にあります。晩田山最後の古墳で一辺18mの方墳です。以前と比べて下草が刈られ墳丘がよく見えています。その分大きく破壊された石室が痛々しい。羨道や玄室の側壁の一部と刳抜式玄門下部が残っているのみ。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示