北江間横穴群(大師山支群)
静岡県伊豆の国市(旧伊豆長岡町)2010年3月訪問
伊豆の国市北江間、6支群からなり大師山、大北支群が国史跡。
位置:35°03′04″N 138°55′23″E
1号墓
巨大な横穴墓、左1号、右2号

横穴正面

巨大な家形石棺安置

小口部の穴は元々のような感じ

石棺側面

石棺内部

奥床面にあった穴、骨蔵器を納めたんでしょうか

2号墓
横穴正面

奥に石棺が削り出されている

蓋石は別に作られたようだ

屋根型の蓋石、さすがに漢字は後世のだろうな

蓋石底部も刳り抜かれている

8号墓
横穴正面

中央に通路が掘られている

左右に石棺を造り出している、位置が前後にずれている

左側石棺、縁取りがありやはり蓋石があったのかな

右側石棺も同様、側面に2号と同様の溝がある

(その他)
左奥が8号墓

(見学記)
長岡北小学校西方500mの丘陵上にあり10基からなる横穴群で案内表示も出ています。まず現地に行って驚かされるのがその大きさ1号墓は高さ2m以上はあるでしょうか。更に内部に巨大な刳抜式家形石棺が安置されているのも驚き、床面から分離しているから削りだして作ったのではなく外から運び込んだのでしょうね。少し前は崖になっているしどうやって運んだんでしょうか。小口部の蓋と身の合わせ部分に丸い穴が開いていますが丁寧な開け方を見ると盗掘でなく初めから開けていたんでしょうか。遺体は勿論副葬品を入れるにも狭すぎる感じだしどんな役目があったんでしょうか。石棺と奥壁の間の床面に表面は四角く内側は丸く十数cm程の小さな穴が穿たれています。これも骨蔵器かなにかを納めたのでしょうか。すぐ隣に2号墓があります。規模は1号より少し小さい程度ですが構造は大分違い奥壁にそって石棺の身を削りだし上に精微な蓋石を載せています。表面に漢字が多数刻まれていますがさすがにこれは後世のだろうな。少し離れて3基の横穴が並んだ内の8号も変わった構造をしています。床面中央に通路のようなのを削り込み左右残った部分に石棺の身を掘りこんでいます。合わせ部分を平にしているところをみるとこちらも蓋石があったんでしょうか。左右の位置が前後にずれていますが十分余裕があるところを見ると意図的にずらしたんでしょうか。横穴古墳群の概念が大きく変えられるような場所でした。
伊豆の国市北江間、6支群からなり大師山、大北支群が国史跡。
位置:35°03′04″N 138°55′23″E
1号墓
巨大な横穴墓、左1号、右2号

横穴正面

巨大な家形石棺安置

小口部の穴は元々のような感じ

石棺側面

石棺内部

奥床面にあった穴、骨蔵器を納めたんでしょうか

2号墓
横穴正面

奥に石棺が削り出されている

蓋石は別に作られたようだ

屋根型の蓋石、さすがに漢字は後世のだろうな

蓋石底部も刳り抜かれている

8号墓
横穴正面

中央に通路が掘られている

左右に石棺を造り出している、位置が前後にずれている

左側石棺、縁取りがありやはり蓋石があったのかな

右側石棺も同様、側面に2号と同様の溝がある

(その他)
左奥が8号墓

(見学記)
長岡北小学校西方500mの丘陵上にあり10基からなる横穴群で案内表示も出ています。まず現地に行って驚かされるのがその大きさ1号墓は高さ2m以上はあるでしょうか。更に内部に巨大な刳抜式家形石棺が安置されているのも驚き、床面から分離しているから削りだして作ったのではなく外から運び込んだのでしょうね。少し前は崖になっているしどうやって運んだんでしょうか。小口部の蓋と身の合わせ部分に丸い穴が開いていますが丁寧な開け方を見ると盗掘でなく初めから開けていたんでしょうか。遺体は勿論副葬品を入れるにも狭すぎる感じだしどんな役目があったんでしょうか。石棺と奥壁の間の床面に表面は四角く内側は丸く十数cm程の小さな穴が穿たれています。これも骨蔵器かなにかを納めたのでしょうか。すぐ隣に2号墓があります。規模は1号より少し小さい程度ですが構造は大分違い奥壁にそって石棺の身を削りだし上に精微な蓋石を載せています。表面に漢字が多数刻まれていますがさすがにこれは後世のだろうな。少し離れて3基の横穴が並んだ内の8号も変わった構造をしています。床面中央に通路のようなのを削り込み左右残った部分に石棺の身を掘りこんでいます。合わせ部分を平にしているところをみるとこちらも蓋石があったんでしょうか。左右の位置が前後にずれていますが十分余裕があるところを見ると意図的にずらしたんでしょうか。横穴古墳群の概念が大きく変えられるような場所でした。