公津原古墳群
千葉県成田市 1988年訪問、2000年3月再訪
成田ニュータウン建設でかなり消滅
残存40基、全て県史跡として保存
瓢塚古墳、舟塚古墳、石塚古墳、天王塚古墳、38号←クリックで前方後円墳にジャンプ
1号
円墳、R25,H2

2号
円墳、R23,H2

3号(瓢塚古墳)
前方後円墳、TL35,R21,RH6,FW15,FH4
位置:35°46′18″N 140°17′45″E
墳丘側面、非常に姿のいい形をしている

前方部隅から

西側から、周溝が窪みとして残っている、右遠方に1号、左後方に2号

前方部から後円部(88年)

5号
方墳、L35,H2
手前が5号、後方6号


6号
方墳、L34,H2

7号
円墳、R25

8号(舟塚古墳)
前方後方墳、TL85,R45,RH7,FW50,FH7
位置:35°46′37″N 140°17′38″E
西側から、手前が前方部

三段築成の様子がよくわかる、前方後方形をしているのは上段だけ、下の二段は長形墳状

東から

9号
円墳、R13,H2

10号
円墳、R33,H3

11号
円墳、R15,H2

12-14号
手前より14,13,12号、説明がないとただの土盛りにしか見えない

16号(石塚古墳)
前方後円墳、TL40,R20,RH4,FW15
位置:35°46′46″N 140°17′29″E
墳丘側面、左が後円部

前方部隅から

17号
円墳、R13,H2
左17号、右18号、19,20号と共に吾妻小学校校庭に保存

下段の部分は元の地表面

18号から

18号
円墳、R15,H2
こちらも下段は元の地面

17号から

19号
円墳、R19,H1.5

20号
円墳、R14,H2


21号(天王塚古墳)
前方後円墳、TL63,R35,RH4.3,FW30
位置:35°47′03″N 140°17′17″E
前方部側から後円部、神社の社地になっている

22号
円墳、R8,H1.5
住宅地の中に22,23,24号保存

23号
方墳、L18,H2.5
位置:35°47′15″N 140°17′12″E

24号から、右が22号

24号
円墳、R11,H2

右24,左23号

26号
円墳、R10,H1.7
25-27号は現状保存

28号
円墳、R14.5,H2

29号
円墳、R9,H1

30号
円墳、R10,H1
30-38号が外小代公園内にある

31号
手前31,後方30号

32号
円墳、R12,H1
手前低い墳丘、後方38号

33号
円墳、R12,H1.5

34号
手前34,左奥35号

35号
円墳、R12,H1.5

36号
円墳、R14.5,H1

37号
円墳、R12.5,H1

38号
前方後円墳、TL15,H6
位置:35°47′36″N 14°17′22″E
小型の前方後円墳

なかなかいい姿をしている

公園全景
手前30号、後方中央が38号

右が38号

(見学記)
成田市にはかって公津原古墳群(実際にはもっと細かく分けているようです)がありましたがニュータウンの建設に伴いかなりの数の古墳が破壊されましたが,現在38基の古墳が史跡指定を受けて保存されています。円墳,方墳,前方後円墳,前方後方墳とバラエティに富んでいて墳丘も大変見やすい状況です。この北方には竜角寺古墳群もあり房総風土記の丘としてその大部分が保存されています。歩いて回れば公津原で半日,竜角寺で半日と丸1日たっぷり楽しめます。ではニュータウン南側から順に紹介します。
1-4号
ニュータウン中央を南北に連抜く道路を北に行くと消防署のある交差点の手前二つ目の横断歩道橋の右側の緑地に4基の古墳があります。その内3号墳が前方後円墳の瓢塚古墳(全長35m、高6m)で非常に整った形をしていて,周りを周溝が巡っています。(個人的には1番気に入っている前方後円墳です)。側に円墳の1号、2号、道路を挟んだ北側に4号があります。
5-7号
さらに少し北側,センタービルの南側に5号,6号と2基の方墳が接していて,西側のショッピングビルの側に7号があります。この3基は周りを生け垣で囲んで墳丘内に入れないようにしています。6号の側に古墳群の案内板があります(全部載ってないのが残念)。しかしこの古墳に葬られている人はあまりの環境の変化にさぞかしびっくりしているでしょうね(霊の存在を信じているわけではありませんが)。
8-9号
センタービルの道路を挟んだ北側に市立図書館があり,その西側の赤坂公園内に8号墳の舟塚古墳(全長85m、高7m)があります。3段築成の前方後方墳ですが上段以外は長方形といった感じです。西側に円墳の9号があります。
17-20号
少し南に戻って消防署のある交差点を西に行き,NTTのビルを左に見ながら交差点を右(北)に曲がって行くと吾妻小学校があり,その校庭に4基の円墳があります。校門の側にあるのが17号、18号です。一見すると2段築成のように見えますが,下段に見えるのは元の地表面でこれを削って校庭を造ったため2段のようになっています。いわば座布団の上に古墳がのっかている感じです。校庭の東端に19号、20号がありこちらも同様です。
16号
20号の道路を挟んだ南東側に16号墳の石塚古墳があります。全長33m、高3mの前方後円墳で墳丘上に多少木が生えていますが良く観察できます。石塚と名前が付いていますが少なくとも墳丘表面には石に関するものは全く見えません。
12-15号
16号のすぐ西側に4基の小円墳が直線上に並んでいます。どれも径4-5m,高1m程の小さなものです。
10-11号
さらに少し南に下がって行くと11号、さらに南に10号があります。10号は残っている中では最大の円墳です。
21号
吾妻小学校まで戻ってさらに北上し,やや大きな交差点を左に曲がると21号墳の天王塚古墳があります。全長63m、高4.3mの前方後円墳ですが全体が神社の境内で,古墳も杉林に覆われていて墳丘は見にくい状況です。
22-24号
天王塚の前をさらに西に行くとニュータウンの西側外郭道路に出ます。ここを少し北上して東側の住宅地内にはいると少し小高くなった公園内に3基の古墳があります。円墳の22号と方墳の23号、24号です。当然古墳ののっかている面が元の地表面ですから,いかに開発に伴って地面が削られるか良く分かります。
25-29号
外郭道路をさらに北上すると外小代公園の少し手前に5基の円墳があります。道路左側に25号、26号、27号がありますがこちらは薮の中にあったりして良く観察できません。右側の28号、29号は互いに接していて良く観察できます。
30-38号
さてゴールも間近です。 少し小高くなった外小代公園内に1基の前方後円墳と8基の円墳がまとまって存在しています。ほぼ裸の状態で墳丘が良く観察できますよ。前方後円墳は38号墳で全長15m、高6m(見た目はこんなに高くないです)と小型のもので前方部も非常に低いです。他の円墳も高さが低く小型のものです。
外郭道路をさらに行くとT字路がありそこを左に曲がると房総風土記の丘に至ります。所々に案内板がでているので迷うことは無いでしょう。100基以上の古墳が有る大古墳群です。
成田ニュータウン建設でかなり消滅
残存40基、全て県史跡として保存
瓢塚古墳、舟塚古墳、石塚古墳、天王塚古墳、38号←クリックで前方後円墳にジャンプ
1号
円墳、R25,H2

2号
円墳、R23,H2

3号(瓢塚古墳)
前方後円墳、TL35,R21,RH6,FW15,FH4
位置:35°46′18″N 140°17′45″E
墳丘側面、非常に姿のいい形をしている

前方部隅から

西側から、周溝が窪みとして残っている、右遠方に1号、左後方に2号

前方部から後円部(88年)

5号
方墳、L35,H2
手前が5号、後方6号


6号
方墳、L34,H2

7号
円墳、R25

8号(舟塚古墳)
前方後方墳、TL85,R45,RH7,FW50,FH7
位置:35°46′37″N 140°17′38″E
西側から、手前が前方部

三段築成の様子がよくわかる、前方後方形をしているのは上段だけ、下の二段は長形墳状

東から

9号
円墳、R13,H2

10号
円墳、R33,H3

11号
円墳、R15,H2

12-14号
手前より14,13,12号、説明がないとただの土盛りにしか見えない

16号(石塚古墳)
前方後円墳、TL40,R20,RH4,FW15
位置:35°46′46″N 140°17′29″E
墳丘側面、左が後円部

前方部隅から

17号
円墳、R13,H2
左17号、右18号、19,20号と共に吾妻小学校校庭に保存

下段の部分は元の地表面

18号から

18号
円墳、R15,H2
こちらも下段は元の地面

17号から

19号
円墳、R19,H1.5

20号
円墳、R14,H2


21号(天王塚古墳)
前方後円墳、TL63,R35,RH4.3,FW30
位置:35°47′03″N 140°17′17″E
前方部側から後円部、神社の社地になっている

22号
円墳、R8,H1.5
住宅地の中に22,23,24号保存

23号
方墳、L18,H2.5
位置:35°47′15″N 140°17′12″E

24号から、右が22号

24号
円墳、R11,H2

右24,左23号

26号
円墳、R10,H1.7
25-27号は現状保存

28号
円墳、R14.5,H2

29号
円墳、R9,H1

30号
円墳、R10,H1
30-38号が外小代公園内にある

31号
手前31,後方30号

32号
円墳、R12,H1
手前低い墳丘、後方38号

33号
円墳、R12,H1.5

34号
手前34,左奥35号

35号
円墳、R12,H1.5

36号
円墳、R14.5,H1

37号
円墳、R12.5,H1

38号
前方後円墳、TL15,H6
位置:35°47′36″N 14°17′22″E
小型の前方後円墳

なかなかいい姿をしている

公園全景
手前30号、後方中央が38号

右が38号

(見学記)
成田市にはかって公津原古墳群(実際にはもっと細かく分けているようです)がありましたがニュータウンの建設に伴いかなりの数の古墳が破壊されましたが,現在38基の古墳が史跡指定を受けて保存されています。円墳,方墳,前方後円墳,前方後方墳とバラエティに富んでいて墳丘も大変見やすい状況です。この北方には竜角寺古墳群もあり房総風土記の丘としてその大部分が保存されています。歩いて回れば公津原で半日,竜角寺で半日と丸1日たっぷり楽しめます。ではニュータウン南側から順に紹介します。
1-4号
ニュータウン中央を南北に連抜く道路を北に行くと消防署のある交差点の手前二つ目の横断歩道橋の右側の緑地に4基の古墳があります。その内3号墳が前方後円墳の瓢塚古墳(全長35m、高6m)で非常に整った形をしていて,周りを周溝が巡っています。(個人的には1番気に入っている前方後円墳です)。側に円墳の1号、2号、道路を挟んだ北側に4号があります。
5-7号
さらに少し北側,センタービルの南側に5号,6号と2基の方墳が接していて,西側のショッピングビルの側に7号があります。この3基は周りを生け垣で囲んで墳丘内に入れないようにしています。6号の側に古墳群の案内板があります(全部載ってないのが残念)。しかしこの古墳に葬られている人はあまりの環境の変化にさぞかしびっくりしているでしょうね(霊の存在を信じているわけではありませんが)。
8-9号
センタービルの道路を挟んだ北側に市立図書館があり,その西側の赤坂公園内に8号墳の舟塚古墳(全長85m、高7m)があります。3段築成の前方後方墳ですが上段以外は長方形といった感じです。西側に円墳の9号があります。
17-20号
少し南に戻って消防署のある交差点を西に行き,NTTのビルを左に見ながら交差点を右(北)に曲がって行くと吾妻小学校があり,その校庭に4基の円墳があります。校門の側にあるのが17号、18号です。一見すると2段築成のように見えますが,下段に見えるのは元の地表面でこれを削って校庭を造ったため2段のようになっています。いわば座布団の上に古墳がのっかている感じです。校庭の東端に19号、20号がありこちらも同様です。
16号
20号の道路を挟んだ南東側に16号墳の石塚古墳があります。全長33m、高3mの前方後円墳で墳丘上に多少木が生えていますが良く観察できます。石塚と名前が付いていますが少なくとも墳丘表面には石に関するものは全く見えません。
12-15号
16号のすぐ西側に4基の小円墳が直線上に並んでいます。どれも径4-5m,高1m程の小さなものです。
10-11号
さらに少し南に下がって行くと11号、さらに南に10号があります。10号は残っている中では最大の円墳です。
21号
吾妻小学校まで戻ってさらに北上し,やや大きな交差点を左に曲がると21号墳の天王塚古墳があります。全長63m、高4.3mの前方後円墳ですが全体が神社の境内で,古墳も杉林に覆われていて墳丘は見にくい状況です。
22-24号
天王塚の前をさらに西に行くとニュータウンの西側外郭道路に出ます。ここを少し北上して東側の住宅地内にはいると少し小高くなった公園内に3基の古墳があります。円墳の22号と方墳の23号、24号です。当然古墳ののっかている面が元の地表面ですから,いかに開発に伴って地面が削られるか良く分かります。
25-29号
外郭道路をさらに北上すると外小代公園の少し手前に5基の円墳があります。道路左側に25号、26号、27号がありますがこちらは薮の中にあったりして良く観察できません。右側の28号、29号は互いに接していて良く観察できます。
30-38号
さてゴールも間近です。 少し小高くなった外小代公園内に1基の前方後円墳と8基の円墳がまとまって存在しています。ほぼ裸の状態で墳丘が良く観察できますよ。前方後円墳は38号墳で全長15m、高6m(見た目はこんなに高くないです)と小型のもので前方部も非常に低いです。他の円墳も高さが低く小型のものです。
外郭道路をさらに行くとT字路がありそこを左に曲がると房総風土記の丘に至ります。所々に案内板がでているので迷うことは無いでしょう。100基以上の古墳が有る大古墳群です。