鴫谷古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
1号
円墳、R55,H11
位置:35°29′34″N 135°06′45″E (日本測地系)
35.49594044 135.10970973(世界測地系)
写真ではわかりにくいが尾根を切断した大きな墳丘

2号
1号(左手前)と陸橋で繋がる

(見学記)
後野丸山古墳群から東側にやや大きな谷が広がっています。その中央辺りの道を500m程行くと南側の田と林の境界辺りに倒れた案内板があります。そこから林の中にはいるとすぐに大きな墳丘が見えてきます。尾根を切断して造られた2段築成、5C前半の円墳で径55m、高11mとかなり大きい。墳丘や尾根切断後も良好に残っています。全面に葺石があり周囲に埴輪が巡らされていたが今は全く見えない。木製埴輪の存在も推測されているそうです。墳頂には2基の割竹形木棺があり1基は破壊されたがもう1基は完全に残っていたそうです。そばに盗掘を受けた2号墳があり1号と陸橋でつながっています。昭和40年に郷土史研究会によって発見されたそうだがすぐ北側は水田で深い森の中に有るわけでなし、その時まで知られてなかったのが不思議なくらいです。府史跡。周囲の尾根上にも20数基の古墳があるそうだがざっと見た感じでは目立つほどの墳丘はないようだ。
1号
円墳、R55,H11
位置:35°29′34″N 135°06′45″E (日本測地系)
35.49594044 135.10970973(世界測地系)
写真ではわかりにくいが尾根を切断した大きな墳丘

2号
1号(左手前)と陸橋で繋がる

(見学記)
後野丸山古墳群から東側にやや大きな谷が広がっています。その中央辺りの道を500m程行くと南側の田と林の境界辺りに倒れた案内板があります。そこから林の中にはいるとすぐに大きな墳丘が見えてきます。尾根を切断して造られた2段築成、5C前半の円墳で径55m、高11mとかなり大きい。墳丘や尾根切断後も良好に残っています。全面に葺石があり周囲に埴輪が巡らされていたが今は全く見えない。木製埴輪の存在も推測されているそうです。墳頂には2基の割竹形木棺があり1基は破壊されたがもう1基は完全に残っていたそうです。そばに盗掘を受けた2号墳があり1号と陸橋でつながっています。昭和40年に郷土史研究会によって発見されたそうだがすぐ北側は水田で深い森の中に有るわけでなし、その時まで知られてなかったのが不思議なくらいです。府史跡。周囲の尾根上にも20数基の古墳があるそうだがざっと見た感じでは目立つほどの墳丘はないようだ。