作山古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
前方後円墳、帆立貝式、円墳、方墳各1,小型長形墳1
まるで古墳の見本市のような古墳群
1号
帆立貝式、TL45,R30,FW16,RH6,FH2
位置:35°30′11″N 135°06′25″E (日本測地系)
35.50593918 135.10470993(世界測地系)
左手に前方部、手前に墳丘周囲の埋葬施設

墳丘、右奥林の中に蛭子山古墳

右側に前方部の下に重なった5号墳、左に2号墳

墳頂箱式石棺、棺に比べて蓋石が大きいのが印象的

2号
円墳、R27,H3
奥に3,4号墳

3号
方墳、L17,H2
埴輪、葺石共に無く一番シンプル、奥に2,1号墳

4号
前方後円墳、TL29,R15,FW12,RH2,FH2
前方部斜め後方から

右手に2,3号墳

(見学記)
加悦町と言えば何といってもここでしょう。R176沿いにあり北側の蛭子山古墳とともに公園となっていて場所も大変わかりやすい。作山古墳群は東側丘陵から伸びる尾根上にある5基からなる古墳群で西側から5,1,2,3,4号で4C後半から5C前半にかけてこの順に築造されたと考えられています。各古墳のデータは次のとうり。
1号:帆立貝式古墳、全長45m、高6m、埴輪有り、葺石有り
2号:円墳、径27m、高3m、埴輪有り、葺石無し
3号:方墳、一辺17m、高2m、埴輪無し、葺石無し
4号:前方後円墳、全長29m、高2m、埴輪無し、葺石有り
5号:小型長形墳、、埴輪無し、葺石無し
互いに接するように造られていながら形、表面施設とも大変バラエティに富んでいて、いろいろな種類の古墳を見学するのには絶好の場所です。「季刊考古学」40号に古墳群の空中写真が載っていますが、4号の前方後円墳がいびつな形をしていると思ってましたが現地にきて疑問が氷解、1段目の葺石の平野から見えない側が省略されているんですね。手抜きそれとも省資源でしょうか。主体部が発掘されたのは1号だけで墳頂に箱式石棺があり、さらに墳丘周囲に木棺や埴輪棺等15基の埋葬施設があります。箱式石棺は各側面が厚い一枚石で造られ副室も付いています。蓋石も巨大な1枚石で副室にも別個に蓋石があります。現在5基とも墳丘、埴輪、葺石が復元整備され1号墳頂の箱式石棺は蓋が開けられた状態で透明なドームに覆われ公開されています。まず最初に築造された5号墳は始祖の墓だと思われますが崖っぷちやや低い場所の条件の悪い所に立地しているのが不思議です。1号以下はまだなく十分土地に余裕があったと思われるんですが。さらに1号が造られたとき前方部が5号に重なっているのが更なる謎ですね。祖先の魂と同一化しようとしたんでしょうか。それにしてはその後の2号以下が墳形、表装とも1代ごとにころころ変わるのが不思議です。天の邪鬼ばかりだったんだろうか。国史跡。個人的には復元された古墳はあまり好きではないがここはお勧め。それにしても入園料が300円、中にある資料館に入るのにさらに300円というのはちと高くないですかね。古墳を見るだけなら外からでも十分見えるのだし。
前方後円墳、帆立貝式、円墳、方墳各1,小型長形墳1
まるで古墳の見本市のような古墳群
1号
帆立貝式、TL45,R30,FW16,RH6,FH2
位置:35°30′11″N 135°06′25″E (日本測地系)
35.50593918 135.10470993(世界測地系)
左手に前方部、手前に墳丘周囲の埋葬施設

墳丘、右奥林の中に蛭子山古墳

右側に前方部の下に重なった5号墳、左に2号墳

墳頂箱式石棺、棺に比べて蓋石が大きいのが印象的

2号
円墳、R27,H3
奥に3,4号墳

3号
方墳、L17,H2
埴輪、葺石共に無く一番シンプル、奥に2,1号墳

4号
前方後円墳、TL29,R15,FW12,RH2,FH2
前方部斜め後方から

右手に2,3号墳

(見学記)
加悦町と言えば何といってもここでしょう。R176沿いにあり北側の蛭子山古墳とともに公園となっていて場所も大変わかりやすい。作山古墳群は東側丘陵から伸びる尾根上にある5基からなる古墳群で西側から5,1,2,3,4号で4C後半から5C前半にかけてこの順に築造されたと考えられています。各古墳のデータは次のとうり。
1号:帆立貝式古墳、全長45m、高6m、埴輪有り、葺石有り
2号:円墳、径27m、高3m、埴輪有り、葺石無し
3号:方墳、一辺17m、高2m、埴輪無し、葺石無し
4号:前方後円墳、全長29m、高2m、埴輪無し、葺石有り
5号:小型長形墳、、埴輪無し、葺石無し
互いに接するように造られていながら形、表面施設とも大変バラエティに富んでいて、いろいろな種類の古墳を見学するのには絶好の場所です。「季刊考古学」40号に古墳群の空中写真が載っていますが、4号の前方後円墳がいびつな形をしていると思ってましたが現地にきて疑問が氷解、1段目の葺石の平野から見えない側が省略されているんですね。手抜きそれとも省資源でしょうか。主体部が発掘されたのは1号だけで墳頂に箱式石棺があり、さらに墳丘周囲に木棺や埴輪棺等15基の埋葬施設があります。箱式石棺は各側面が厚い一枚石で造られ副室も付いています。蓋石も巨大な1枚石で副室にも別個に蓋石があります。現在5基とも墳丘、埴輪、葺石が復元整備され1号墳頂の箱式石棺は蓋が開けられた状態で透明なドームに覆われ公開されています。まず最初に築造された5号墳は始祖の墓だと思われますが崖っぷちやや低い場所の条件の悪い所に立地しているのが不思議です。1号以下はまだなく十分土地に余裕があったと思われるんですが。さらに1号が造られたとき前方部が5号に重なっているのが更なる謎ですね。祖先の魂と同一化しようとしたんでしょうか。それにしてはその後の2号以下が墳形、表装とも1代ごとにころころ変わるのが不思議です。天の邪鬼ばかりだったんだろうか。国史跡。個人的には復元された古墳はあまり好きではないがここはお勧め。それにしても入園料が300円、中にある資料館に入るのにさらに300円というのはちと高くないですかね。古墳を見るだけなら外からでも十分見えるのだし。