埼玉古墳群
埼玉県行田市 1988年1月訪問、1995年1998年再訪
前方後円墳8,大型円墳1,他
埼玉風土記の丘として整備
古墳群模型

愛宕山古墳
前方後円墳、TL53,R24,FH3.3,FW30,FH3.4
群中最小の前方後円墳

駐車場脇にあるので真っ先に目に付く

稲荷山古墳
前方後円墳、TL120,R62,RH11.7,FW74,FH11
丸墓山から見た稲荷山、前方部削平(現在復元工事中)

後円部、金象眼鉄剣が出土したことで有名、博物館内で展示

奥の山古墳
前方後円墳、TL66,R37,RH6.1,FW42,FH6.5
位置:36°07′12″N 139°28′50″E
西側から

東側から、左側前方部が発達している

瓦塚古墳
前方後円墳、TL72,R29,RH5,FW38,FH5
復元された墳丘

砂利で周溝を示す

前方部隅から

将軍山古墳
前方後円墳、TL101,R53,RH5,FW57,FH8
丸墓山から見た将軍山、上から88年、95年、98年以前は墳丘東半分が削平されていた、中は復元工事中、下は復元工事完成、後円部がかなり削平されている様子が分かる

前方部西隅から

前方部東隅から、後円部に石室見学設備が出来た

片袖式横穴石室、上部は失われていた

鉄砲山古墳
前方後円墳、TL112,R50,RH9,FW69,FH10
前方部側から

真横から

後円部側から

中の山古墳
前方後円墳、TL79,R33,RH4.4,FW36,FH5.5
南から、手前が前方部

東から、かなり細長くなっている

二子山古墳
前方後円墳、TL135,R73.5,RH13,FW95,FH14
西側側面、これぞ前方後円墳と言った非常に精美な姿をしている

南から

東側側面

北から

丸墓山から見た二子山

丸墓山古墳
円墳、R102,H18.9
位置:36°07′35″N 139°28′55″E
日本最大の円墳、行田市の最高地点で眺めが大変よい

稲荷山から見た丸墓山

(見学記)
将軍山古墳墳丘復元記念(といっても完成は昨年4月ですが),埼玉古墳群の紹介です。概ね北から順に紹介しています。一括国史跡。
将軍山古墳
全長90mの前方後円墳です。かっては墳丘の東半分が削平されていましたがこの程2段築成の墳丘が復元され上段と中段テラス部分に円筒埴輪が並べられています。前方部が後円部より大きい後期型(6C後半)です。西側に造出がありますがくびれ部ではなくそこに近い後円部に付いています(稲荷山,奥の山も同様)。西側に内堀と中堤,外堀があり中堤は造出とブリッジも復元されています。この矩形2重周堀がこの古墳群の特徴で,さらに中堤に造出が付くのはここでしか見られない特徴です。後円部に横穴石室があり今回の墳丘復元に伴い石室が見学できる将軍山古墳展示館が造られました(入館料50円,資料館と共通)。1階に後円部土層断面図,飾り馬の模型,石室石の現物等があり,2階に本物の石室(残念ながら発掘時,既に石室最下部の石組みと床面の礫しかなかった)があり中に副葬品の複製が並べられています。複製とはいえ石室が本物ですからなかなか興味深い展示です。副葬品には将軍山の名に恥じず馬具が目立ちます。特に馬冑は全国に2例しかない珍しい物です(本物は資料館に展示)。追葬の跡がありその際前の副葬品が袖部分に片づけられています。前方部に木棺も直葬されています。石室は墳丘の割にはそれ程大きくなく玄室長 3m の片袖式です。石の構成がちょっと変わっていて壁は房州石(千葉県富津市の鋸山付近の海岸で採れる穴のぼつぼつあいた石で,以前紹介した内裏塚古墳群でも使用されている),天井石は地元の緑泥片岩(この石は県内の石室によく使われている)という組み合わせで特に房州石は県内ではここだけで使われています(あまり広く使われている石ではないですが)。なお墳丘には上がれません,せっかく復元されただけにちょっと残念。
稲荷山古墳
金錯名鉄剣(資料館に展示)で超有名な全長120mの前方後円墳です。60年前の土取りで前方部が消滅していますが周りの堀部分に水が湛えられてその平面形が示されています。前方部の復元が計画されその準備のための発掘の際出土した須恵器の破片が以前の土取りの際地元の方が採取していた須恵器の破片とぴったり一致したそうです。この須恵器は稲荷山出土かどうか疑われていましたが,今回の発掘で正しいことが証明されました。この発掘等によって古墳の築造は5C末の可能性が高くなったようです。墳頂に鉄剣が出土した礫槨のレプリカと粘土槨の位置が表示されています。
丸墓山古墳
径105m、高18.9m日本最大の円墳です。下から見上げるとその巨大さに圧倒されますね。周りが殆ど起伏のない平野ですから上に登ると見晴らしのいいこといいこと,高い建物のない当時ならさぞかし目立ったでしょうね,群最大の前方後円墳である二子山古墳でさえ眼下に見えます。周りを堀が巡っていますが西側の一部が旧忍川によって浸食されています。なお古墳群の中で墳丘に上れるのはここと稲荷山だけです。
二子山古墳
全長138m群中最大の前方後円墳です。完全裸の状態で周りをぐるっと回って見学するのもいいし,すぐ北にある将軍山との千数百年の対比もおもしろいです。くびれ部に小さな造出,2重周堀でやはり中堤に造出が付いています。内堀に水が湛えられています。稲荷山や奥の山もそうですが水があると波で墳丘裾が浸食されるのが保存上問題になっているようです。実際かなり浸食されていて水鳥の休み場なっています。
愛宕山古墳
全長53m群中最小の前方後円墳です。駐車場脇に美しい姿を横たえていますが個人的にはこれくらいの大きさのが一番好きですね。
瓦塚古墳
全長73m東側が一部削平されていましたが,墳丘が復元され堀を砂利,中堤を芝生で表現されています。前方部が剣菱型をしていて作り出しも前方部から出ているのが他の前方後円墳と違っています。
鉄砲山古墳
全長109m後円部の一部が削られていますが背の高い墳丘です。名前の由来は藩政時代火縄銃の練習場だったことからつきました。
奥の山古墳
全長70m後円部から突き出た造出が後円部の大きさに似合わず大きくて異様な感じを与えます。周りを水を湛えた堀が巡っています。
中の山古墳
全長79mひょろっとした印象で,後円部上部が削平されているせいか余計に細長く感じます。この東側に2重周堀を持った方墳の戸場口古墳がありましたが今は影も形もありません。
浅間山古墳
前玉神社内にある円墳です。上に神社社殿があってかなり変形しています。位置からして埼玉古墳群の一員ですが殆ど紹介されることはないですね。
(88年)
将軍山古墳
全長102mの前方後円墳です。墳丘東側がかなり削られていましたが現在復元工事が行われています。横穴式石室がありますがこれも保護施設が作られています。石材は千葉県鋸山の石が使われているそうです。周辺の古墳は地元産の緑泥片岩が使われていますから当時の石もブランドがあったんでしょうか。(古墳群の他の古墳は省略)
前方後円墳8,大型円墳1,他
埼玉風土記の丘として整備
古墳群模型

愛宕山古墳
前方後円墳、TL53,R24,FH3.3,FW30,FH3.4
群中最小の前方後円墳

駐車場脇にあるので真っ先に目に付く

稲荷山古墳
前方後円墳、TL120,R62,RH11.7,FW74,FH11
丸墓山から見た稲荷山、前方部削平(現在復元工事中)

後円部、金象眼鉄剣が出土したことで有名、博物館内で展示

奥の山古墳
前方後円墳、TL66,R37,RH6.1,FW42,FH6.5
位置:36°07′12″N 139°28′50″E
西側から

東側から、左側前方部が発達している

瓦塚古墳
前方後円墳、TL72,R29,RH5,FW38,FH5
復元された墳丘

砂利で周溝を示す

前方部隅から

将軍山古墳
前方後円墳、TL101,R53,RH5,FW57,FH8
丸墓山から見た将軍山、上から88年、95年、98年以前は墳丘東半分が削平されていた、中は復元工事中、下は復元工事完成、後円部がかなり削平されている様子が分かる

前方部西隅から

前方部東隅から、後円部に石室見学設備が出来た

片袖式横穴石室、上部は失われていた

鉄砲山古墳
前方後円墳、TL112,R50,RH9,FW69,FH10
前方部側から

真横から

後円部側から

中の山古墳
前方後円墳、TL79,R33,RH4.4,FW36,FH5.5
南から、手前が前方部

東から、かなり細長くなっている

二子山古墳
前方後円墳、TL135,R73.5,RH13,FW95,FH14
西側側面、これぞ前方後円墳と言った非常に精美な姿をしている

南から

東側側面

北から

丸墓山から見た二子山

丸墓山古墳
円墳、R102,H18.9
位置:36°07′35″N 139°28′55″E
日本最大の円墳、行田市の最高地点で眺めが大変よい

稲荷山から見た丸墓山

(見学記)
将軍山古墳墳丘復元記念(といっても完成は昨年4月ですが),埼玉古墳群の紹介です。概ね北から順に紹介しています。一括国史跡。
将軍山古墳
全長90mの前方後円墳です。かっては墳丘の東半分が削平されていましたがこの程2段築成の墳丘が復元され上段と中段テラス部分に円筒埴輪が並べられています。前方部が後円部より大きい後期型(6C後半)です。西側に造出がありますがくびれ部ではなくそこに近い後円部に付いています(稲荷山,奥の山も同様)。西側に内堀と中堤,外堀があり中堤は造出とブリッジも復元されています。この矩形2重周堀がこの古墳群の特徴で,さらに中堤に造出が付くのはここでしか見られない特徴です。後円部に横穴石室があり今回の墳丘復元に伴い石室が見学できる将軍山古墳展示館が造られました(入館料50円,資料館と共通)。1階に後円部土層断面図,飾り馬の模型,石室石の現物等があり,2階に本物の石室(残念ながら発掘時,既に石室最下部の石組みと床面の礫しかなかった)があり中に副葬品の複製が並べられています。複製とはいえ石室が本物ですからなかなか興味深い展示です。副葬品には将軍山の名に恥じず馬具が目立ちます。特に馬冑は全国に2例しかない珍しい物です(本物は資料館に展示)。追葬の跡がありその際前の副葬品が袖部分に片づけられています。前方部に木棺も直葬されています。石室は墳丘の割にはそれ程大きくなく玄室長 3m の片袖式です。石の構成がちょっと変わっていて壁は房州石(千葉県富津市の鋸山付近の海岸で採れる穴のぼつぼつあいた石で,以前紹介した内裏塚古墳群でも使用されている),天井石は地元の緑泥片岩(この石は県内の石室によく使われている)という組み合わせで特に房州石は県内ではここだけで使われています(あまり広く使われている石ではないですが)。なお墳丘には上がれません,せっかく復元されただけにちょっと残念。
稲荷山古墳
金錯名鉄剣(資料館に展示)で超有名な全長120mの前方後円墳です。60年前の土取りで前方部が消滅していますが周りの堀部分に水が湛えられてその平面形が示されています。前方部の復元が計画されその準備のための発掘の際出土した須恵器の破片が以前の土取りの際地元の方が採取していた須恵器の破片とぴったり一致したそうです。この須恵器は稲荷山出土かどうか疑われていましたが,今回の発掘で正しいことが証明されました。この発掘等によって古墳の築造は5C末の可能性が高くなったようです。墳頂に鉄剣が出土した礫槨のレプリカと粘土槨の位置が表示されています。
丸墓山古墳
径105m、高18.9m日本最大の円墳です。下から見上げるとその巨大さに圧倒されますね。周りが殆ど起伏のない平野ですから上に登ると見晴らしのいいこといいこと,高い建物のない当時ならさぞかし目立ったでしょうね,群最大の前方後円墳である二子山古墳でさえ眼下に見えます。周りを堀が巡っていますが西側の一部が旧忍川によって浸食されています。なお古墳群の中で墳丘に上れるのはここと稲荷山だけです。
二子山古墳
全長138m群中最大の前方後円墳です。完全裸の状態で周りをぐるっと回って見学するのもいいし,すぐ北にある将軍山との千数百年の対比もおもしろいです。くびれ部に小さな造出,2重周堀でやはり中堤に造出が付いています。内堀に水が湛えられています。稲荷山や奥の山もそうですが水があると波で墳丘裾が浸食されるのが保存上問題になっているようです。実際かなり浸食されていて水鳥の休み場なっています。
愛宕山古墳
全長53m群中最小の前方後円墳です。駐車場脇に美しい姿を横たえていますが個人的にはこれくらいの大きさのが一番好きですね。
瓦塚古墳
全長73m東側が一部削平されていましたが,墳丘が復元され堀を砂利,中堤を芝生で表現されています。前方部が剣菱型をしていて作り出しも前方部から出ているのが他の前方後円墳と違っています。
鉄砲山古墳
全長109m後円部の一部が削られていますが背の高い墳丘です。名前の由来は藩政時代火縄銃の練習場だったことからつきました。
奥の山古墳
全長70m後円部から突き出た造出が後円部の大きさに似合わず大きくて異様な感じを与えます。周りを水を湛えた堀が巡っています。
中の山古墳
全長79mひょろっとした印象で,後円部上部が削平されているせいか余計に細長く感じます。この東側に2重周堀を持った方墳の戸場口古墳がありましたが今は影も形もありません。
浅間山古墳
前玉神社内にある円墳です。上に神社社殿があってかなり変形しています。位置からして埼玉古墳群の一員ですが殆ど紹介されることはないですね。
(88年)
将軍山古墳
全長102mの前方後円墳です。墳丘東側がかなり削られていましたが現在復元工事が行われています。横穴式石室がありますがこれも保護施設が作られています。石材は千葉県鋸山の石が使われているそうです。周辺の古墳は地元産の緑泥片岩が使われていますから当時の石もブランドがあったんでしょうか。(古墳群の他の古墳は省略)