側ヶ谷戸古墳群
埼玉県さいたま市(旧大宮市)1999年2月訪問
5基残存、4基消滅
稲荷塚古墳
位置:35°53′32″N 139°36′11″E
大宮西高内に保存されている

上之稲荷古墳
位置:35°53′24″N 139°36′29″E
殆ど削平

山王山古墳
横穴式石室
位置:35°53′26″N 139°36′28″E
墳丘流失、墓地の一角に石室の一部が露出

台耕地稲荷塚古墳
円墳、R30,H2、6C
横穴式石室(埋没)、全長4.4m
位置:35°53′09″N 139°36′31″E
住宅街の一角に保存、胴張り切石石室を持つ

茶臼塚古墳
位置:35°53′20″N 139°36′14″E
墳丘良好

(見学記)
市内三橋、鴨川沿いの自然堤防状に分布する古墳群です。残存4基、消滅4基、他に石室のみが1基あります。
台耕地稲荷塚古墳
一番南側、与野市のと境界近くの住宅街の一角に古墳の区画だけ元のまま残されています。径30m、高2mの円墳で多少変形しているようですが比較的よく残っています。胴張り型両袖式切石造りの横穴石室があるそうですが現在は埋戻されています(見てみたいなー)。側に説明板と絵図がありこれに従って他の古墳等を廻ることが出来ます。市史跡。
茶臼塚古墳
住宅地西側川を望む緩斜面上にある円墳です。径25m、高3m位、台状の形のいい姿を見せています。ここも側に説明板と絵図あり。市史跡。
稲荷塚古墳
大宮西高内、正門を入ってすぐ左側にあり、径32m、高3.5mの円墳ですが見た目よりもっと大きく感じます。墳丘斜面が裸、墳頂は平坦部を覆うように2,3本の樹木が生えていてまるで帽子をかぶった古墳の様。せっかく学校内にあるのに説明板の類は一切無し。
山王山古墳
宝院境内墓地の一角にある。標柱が目印。墳丘はすっかり削平され石室が残っているが見えているのは奥壁(多分)の上部のみ。市史跡。
上之稲荷塚古墳
山王山古墳すぐ南側にあるが直接には見えない。廻りを住宅に浸食され残っているのは墳丘の2,3割程度。市史跡。
5基残存、4基消滅
稲荷塚古墳
位置:35°53′32″N 139°36′11″E
大宮西高内に保存されている

上之稲荷古墳
位置:35°53′24″N 139°36′29″E
殆ど削平

山王山古墳
横穴式石室
位置:35°53′26″N 139°36′28″E
墳丘流失、墓地の一角に石室の一部が露出

台耕地稲荷塚古墳
円墳、R30,H2、6C
横穴式石室(埋没)、全長4.4m
位置:35°53′09″N 139°36′31″E
住宅街の一角に保存、胴張り切石石室を持つ

茶臼塚古墳
位置:35°53′20″N 139°36′14″E
墳丘良好

(見学記)
市内三橋、鴨川沿いの自然堤防状に分布する古墳群です。残存4基、消滅4基、他に石室のみが1基あります。
台耕地稲荷塚古墳
一番南側、与野市のと境界近くの住宅街の一角に古墳の区画だけ元のまま残されています。径30m、高2mの円墳で多少変形しているようですが比較的よく残っています。胴張り型両袖式切石造りの横穴石室があるそうですが現在は埋戻されています(見てみたいなー)。側に説明板と絵図がありこれに従って他の古墳等を廻ることが出来ます。市史跡。
茶臼塚古墳
住宅地西側川を望む緩斜面上にある円墳です。径25m、高3m位、台状の形のいい姿を見せています。ここも側に説明板と絵図あり。市史跡。
稲荷塚古墳
大宮西高内、正門を入ってすぐ左側にあり、径32m、高3.5mの円墳ですが見た目よりもっと大きく感じます。墳丘斜面が裸、墳頂は平坦部を覆うように2,3本の樹木が生えていてまるで帽子をかぶった古墳の様。せっかく学校内にあるのに説明板の類は一切無し。
山王山古墳
宝院境内墓地の一角にある。標柱が目印。墳丘はすっかり削平され石室が残っているが見えているのは奥壁(多分)の上部のみ。市史跡。
上之稲荷塚古墳
山王山古墳すぐ南側にあるが直接には見えない。廻りを住宅に浸食され残っているのは墳丘の2,3割程度。市史跡。