迫山古墳群
広島県福山市(旧神辺町)1988、96年4月訪問、2019,21年3月再訪
円墳11or12基、横穴式石室主体
(2019,21年)
上が88年、下が19年3月以降、山道の表示がなくなり東側で地形の表示が微妙に違う、古墳、神社の位置が微妙に違ってる、特に7,9号

1号
円墳、R21.5,H5、6C末
横穴式石室、玄室長6.2,幅2.5,高2.8m
位置:34°33′45″N 133°23′36″E (日本測地系)
34.56573841 133.39072252(世界測地系)
山道を登っていくと出会う

石室正面、羨道天井石は壊失

羨道横から、奥に立柱石があるが袖石に相当するんでしょうか

巨石を使った玄室、右側の方が全般に石材が大きい、隣の御領古墳群でもこれ程の規模のはありません

〃縦位置

おむすび型の奥壁鏡石、上部は隙間が多いような

奥から外、左片袖式

奥から左側

奥から右側

羨道上から、石材に奥行きがあり墳丘に食い込ませている

2号
1号上方、尾根筋やや西側に立地

墳丘流失、石室下部残存

最奥の天井石だけが残る

下部が埋まるが奥壁は1枚か

3号
巨石天井石が露出

石室正面

下方に羨道入り口が露出

内部は殆ど埋まる、背は低そうで御領タイプでしょうか

4号
低い墳丘、写真を撮ってなかった
5号
ほとんど存在が分からず
6号
山道に板石露出、分布図の方向からして箱式石棺側板でしょうか

7号
山道脇にある、旧分布図では山道からだいぶ離れているからこれが混乱の元でした

石室下部残存露出

天井石は後部だけ残存

奥壁、小型ながら鏡石を据えている

奥から外、一応入れる程度

8号
殆ど放置状態の古い墓地の中にあった

お墓の中にお墓、この墓石も割と古そう

小型ながら奥壁は1枚のようだ

9号
尾根先端に構築されている、旧分布図では尾根中程になっている、さすがにこれは間違えないけど

羨道天井石が残るが内部埋没

天井石がずり落ちかけている

長い玄室が残るが背は低い

奥壁は2段か、土砂が流入

奥から外、右片袖式か

羨道上から、尾根幅目一杯使っている、立地といい背の低い玄室といい完全に御領タイプ

10号
以前は内部が見えていたが今は石材1個露出のみ

11号
山道脇に露出しているがさすがにこれは気が付かない

正面から、内部埋没なので余計分かりづらい

最後部の天井残存

横から、後方明るい部分が山道

後方から見ると側壁の並びが分かる、でも右側壁の延長は現代の石垣に続いていてわかりづらくなっている

12号(仮)
前年見つけててっきりこれが2号と思った、天井石?

(1988,96年)
1号
石室正面、羨道天井と玄室の一部壊失

県内でも有数規模の玄室

奥から外、左片袖式

3号
露出した天井石

7号
墳丘

石室内部

9号
墳丘

露出した天井石

細長い玄室

奥から外

10号
9号墳丘裾にある小石室

(見学記)
(2019,21年)
御領を案内した序でにこちらも案内してみました。まだ見つけていない8,11号を見つけてもらおうという下心(笑)。19年春にはは麓にある説明板がかなり薄くなっていましたが今回新しくなっていました。でも新しい分布図を見ると山道が描かれていない。更に等高線の様子も東側で微妙に違っているし神社社殿の北に少し移動しているし新しい墓地も描かれていません。古い分布図では7号は山道から少し離れた位置に描かれているし新しい墓地も描かれてないみたいでこれが混乱の原因でした。取り敢えず説明板の場所から上がっていって1号まで。2号も案内しましたが前年見つけていたのではなく更に上方に石室がありました。こちらの方が2号で間違いないようです(汗)。ただ調べてみると全11基とか12基と数字が違うこともあるのでひょっとしてあれも石室かもしれない。1号から東に下っていくと新しい墓地下辺りにいつもの石室、これが7号とすれば8号は東にあるはずと思って探してみたら新しい墓地と古い墓地の間にありました。もう放置されたような場所で石室下部しか残っておらず内部にも古い墓石が立っています。この持ち主はこれが古墳だと知っているんだろうか。7,8号が確定すると11号は下の神社背後にあるはず、でコフ友さんに見つけてもらいました。下部しか残っておらず内部も埋まっていてこれでは分からんわ。しかも片側側壁の延長が現代の石垣に繋がっているからますますわかりません。ここは結局5回も来たけど取り敢えずコンプしてホッ、と思ったら4,5号は撮影済みと思って撮ってなかった(汗)、大したことないからいいけど。
(1988,96年)
丘陵斜面上に11基分布しています(ため池の側に案内図有り)。上方にある1号墳が最大で石室も玄室長11.6m、幅2.5m、高さ2.8mと巨大なものです(墳丘は一部修復されているようです)。さらに神社東側の9号墳がやや大きな石室を持っていて,すぐ南側に10号墳の小さな石室が開口しています。3,7号の石室が確認できましたが他は確認できませんでした。県史跡。
円墳11or12基、横穴式石室主体
(2019,21年)
上が88年、下が19年3月以降、山道の表示がなくなり東側で地形の表示が微妙に違う、古墳、神社の位置が微妙に違ってる、特に7,9号

1号
円墳、R21.5,H5、6C末
横穴式石室、玄室長6.2,幅2.5,高2.8m
位置:34°33′45″N 133°23′36″E (日本測地系)
34.56573841 133.39072252(世界測地系)
山道を登っていくと出会う

石室正面、羨道天井石は壊失

羨道横から、奥に立柱石があるが袖石に相当するんでしょうか

巨石を使った玄室、右側の方が全般に石材が大きい、隣の御領古墳群でもこれ程の規模のはありません

〃縦位置

おむすび型の奥壁鏡石、上部は隙間が多いような

奥から外、左片袖式

奥から左側

奥から右側

羨道上から、石材に奥行きがあり墳丘に食い込ませている

2号
1号上方、尾根筋やや西側に立地

墳丘流失、石室下部残存

最奥の天井石だけが残る

下部が埋まるが奥壁は1枚か

3号
巨石天井石が露出

石室正面

下方に羨道入り口が露出

内部は殆ど埋まる、背は低そうで御領タイプでしょうか

4号
低い墳丘、写真を撮ってなかった
5号
ほとんど存在が分からず
6号
山道に板石露出、分布図の方向からして箱式石棺側板でしょうか

7号
山道脇にある、旧分布図では山道からだいぶ離れているからこれが混乱の元でした

石室下部残存露出

天井石は後部だけ残存

奥壁、小型ながら鏡石を据えている

奥から外、一応入れる程度

8号
殆ど放置状態の古い墓地の中にあった

お墓の中にお墓、この墓石も割と古そう

小型ながら奥壁は1枚のようだ

9号
尾根先端に構築されている、旧分布図では尾根中程になっている、さすがにこれは間違えないけど

羨道天井石が残るが内部埋没

天井石がずり落ちかけている

長い玄室が残るが背は低い

奥壁は2段か、土砂が流入

奥から外、右片袖式か

羨道上から、尾根幅目一杯使っている、立地といい背の低い玄室といい完全に御領タイプ

10号
以前は内部が見えていたが今は石材1個露出のみ

11号
山道脇に露出しているがさすがにこれは気が付かない

正面から、内部埋没なので余計分かりづらい

最後部の天井残存

横から、後方明るい部分が山道

後方から見ると側壁の並びが分かる、でも右側壁の延長は現代の石垣に続いていてわかりづらくなっている

12号(仮)
前年見つけててっきりこれが2号と思った、天井石?

(1988,96年)
1号
石室正面、羨道天井と玄室の一部壊失

県内でも有数規模の玄室

奥から外、左片袖式

3号
露出した天井石

7号
墳丘

石室内部

9号
墳丘

露出した天井石

細長い玄室

奥から外

10号
9号墳丘裾にある小石室

(見学記)
(2019,21年)
御領を案内した序でにこちらも案内してみました。まだ見つけていない8,11号を見つけてもらおうという下心(笑)。19年春にはは麓にある説明板がかなり薄くなっていましたが今回新しくなっていました。でも新しい分布図を見ると山道が描かれていない。更に等高線の様子も東側で微妙に違っているし神社社殿の北に少し移動しているし新しい墓地も描かれていません。古い分布図では7号は山道から少し離れた位置に描かれているし新しい墓地も描かれてないみたいでこれが混乱の原因でした。取り敢えず説明板の場所から上がっていって1号まで。2号も案内しましたが前年見つけていたのではなく更に上方に石室がありました。こちらの方が2号で間違いないようです(汗)。ただ調べてみると全11基とか12基と数字が違うこともあるのでひょっとしてあれも石室かもしれない。1号から東に下っていくと新しい墓地下辺りにいつもの石室、これが7号とすれば8号は東にあるはずと思って探してみたら新しい墓地と古い墓地の間にありました。もう放置されたような場所で石室下部しか残っておらず内部にも古い墓石が立っています。この持ち主はこれが古墳だと知っているんだろうか。7,8号が確定すると11号は下の神社背後にあるはず、でコフ友さんに見つけてもらいました。下部しか残っておらず内部も埋まっていてこれでは分からんわ。しかも片側側壁の延長が現代の石垣に繋がっているからますますわかりません。ここは結局5回も来たけど取り敢えずコンプしてホッ、と思ったら4,5号は撮影済みと思って撮ってなかった(汗)、大したことないからいいけど。
(1988,96年)
丘陵斜面上に11基分布しています(ため池の側に案内図有り)。上方にある1号墳が最大で石室も玄室長11.6m、幅2.5m、高さ2.8mと巨大なものです(墳丘は一部修復されているようです)。さらに神社東側の9号墳がやや大きな石室を持っていて,すぐ南側に10号墳の小さな石室が開口しています。3,7号の石室が確認できましたが他は確認できませんでした。県史跡。