二反田古墳群

府中市(旧上下町)2022年11月訪問

横穴石室墳、2基

県道から見た様子、奥の林の中にある、手前の橋の脇に案内板があるが小さいので分からない


橋を渡った右側に案内板、でも反対向き、午前中ここを渡った時は”ゴミ捨てるな”とかと思って気がつかず


確かに案内板、矢印の方向もあっている、でもこの向きではね


林の前に墓地、午前中はここまで来ていたんですが、林に入って右奥、谷筋を歩いていきます


その1
 34°39′34″ 133°10′04″(日本測地系)
 34.66266612 133.16518367(世界測地系)
尾根筋にハッキリした墳丘


上側から、左にその2が見えている


東向きに開口


石室前部はかなり破壊


最奥だけ天井が残る、天井石上下が見事に切石状


奥壁はほぼ1枚石、天井石は2枚残存、手前の落下した石も切石状


右側壁、奇妙な形だと思ったが


正面から見ると2石でした、でも左側は1枚かな、やはり変わった形


左側壁、奥の方が鏡石にも使えそうな形


〃奥から


その2から見たその1


問題はこれ、形からして天井石かな、外護列石にしては大きい


その2
その1すぐ下にその2


東側が窪んで石室大きく破壊


石室基部だけ残存


上記同じ位置から反対側、細長い石室か


(見学記)
上下町水永、南山古墳南東500m林の中にある2基からなる古墳群です。県道から案内板が見えているそうですが見当たらず、マップにプロットしていた位置も間違っていたようで見つからず一旦諦めました。近くの他の古墳を探していて案内板があるのに気づく、どれも同じような形式。ならばここにもあるかと思って午後探してみたら確かにありました。コンクリの橋を2度目に渡ったところにありました。最初の時もこれを見ていたが裏返し状態、よくある注意書きの看板かと思って見落としていました。確かに反対側に二反田古墳と矢印と他のと同じ形式、矢印の方向も正しいけどこれでは意味がないだろ。確かに県道からも見えていますが文字も見えないし気がつくことさえまず無理です。とにかく橋を渡って林縁に2基の小さなお墓(午前中もここまでは来ていた)、ここから林に入って右側浅い谷筋を入っていく(歩きやすかったから行ってみただけ)と奥に2基の古墳が並んでいました、ホッ。奥の方が大きく1号か、南側に開口、前部は天井石が傾いているなど状態は良くないが奥の方はよく残っています。奥壁は1枚石、天井石2枚残存しています。墳丘周りに石が露出、外護列石でしょうか。すぐ下に2号が隣接、こちらは細長い石室が露出、状態は悪く基部残存、側壁片側が露出程度です。案内板手前橋の袂に駐車可。
(追記)グーグルマップに載っていた、私が訪問した頃は載ってなかったから探すのに手間取った。

貝ヶ原古墳群

広島県尾道市(旧御調町)2022年11月訪問

貝ヶ原古墳群
 丘陵南側斜面に分布する横穴石室墳
その1
 34°31′06″ 133°09′23″(日本測地系)
 34.52157221 133.15380004(世界測地系)
墓地の中を通る道路脇に開口、この辺りに駐車可


開口しているのは奥壁側


入口側も開口、トンネル状になっている


本来の入口側正面


石室内部


右側壁、四角いブロック状の石材


左側壁も同様、ちょっと危険な状態


更に下がって撮影


墳丘横から


その2
その1すぐ下にも高まり、墳丘でしょう


下側から、僅かに石材が見える


その3
その1道路反対側墓地の奥にその3、左奥に見えているのは砂防ダムのようです


斜面に開口、手前の石材も古墳のものか


前部破壊、後部だけ残る


小型石材を積んだ石室、一部で赤い顔料が残る


奥壁は四角い鏡石+平石3枚


奥から外


右側壁、平たい石が多い


右側壁


横から、墳丘の膨らみが僅かに残る


その4
その1から道路を少し下ると山側に見えている、手前の石材も古墳のか


これも石室後部しか残っていない


石室内部、奥壁上部が抜けて明るい


奥壁は四角い鏡石+平石、その3と似ている


奥から外、上部がやや持ち送りか


その5
 34°31′064″ 133°09′24″(日本測地系)
 34.52101672 133.15407779(世界測地系)
その1近く民家手前に巨石露出、この時点では石室かどうかわかりませんでしたが


近寄ってみるとかなり加工された石材


更に廻り込むと石室確定


これも後部しか残っていない、あるいはどれも石室長があまり長くないのかも


巨石で構成された石室、前が藪で下がれなかった


奥壁は1枚石の巨石


左側壁


中に入って左側壁正面から


右側壁、こちらも奥に巨石使用


正面から、面を整えている


天井石は2枚残存、奥行きがないので奥から撮っても殆ど何も写らず


摩崖仏
その3から更に下がった辺りに摩崖仏、ここにも駐車可


摩崖仏ね・・・


(見学記)
御調町貝ヶ原、丘陵斜面一帯に分布する横穴石室を主体とする古墳群です。規模は不明ですがストリートビュー(SV)で見ると2基の石室が確認できたので行ってみました。最初に行ったのがお墓の横、道路脇に開口している石室、奥壁側が開口、反対側も開口していてトンネル状になっています。その下にも墳丘があるが石室見られず。道路向かいの上側斜面にも1基、これもSVで確認できます、こちらはほぼ完存、更に南西側下方にもう1基、墳丘は残るが石室の状態はよくない、この3基はどれも長さ3m程度です。民家脇に大型石室が露出しているはずなので探してみると最初の古墳の下の方の民家脇にありました。巨石天井石が露出、反対側に廻ってみると開口、玄室しか残っていませんが各壁はどれも1枚石の巨石からなっています。まだあるはずですが雨上がりの夕方ということで歩きにくく諦めました。下の方に道路脇に摩崖仏があります、巨石に仏様が浮き彫りされていますがあれで摩崖仏はオーバーだろ。この脇や最初の石室辺りに駐車可。

猪子迫古墳

広島県尾道市 1998年4月訪問、2022年11月再訪

猪子迫古墳
 横穴式石室、全長9.2m、玄室幅2.3,高1.9m
 位置:34°27′16″N 133°12′38″E (日本測地系)
    34.45769143 133.20796318(世界測地系)
(22年)
墓地への登り口、ここに駐車可、表示版は付近の案内図


墓地の奥に古墳、墳丘は見えず説明板があるので分かる


近寄ると石室開口部が見えてくる


正面から、かなり加工された天井石が印象的、右にあった古い説明板は左へ、よく残っていたな


新しい説明板、地元有志のものらしい


石室前部は基部だけ残る


天井のある石室部分は7m程度残存


奥壁はほぼ1枚石、隙間から明かり、墳丘は痩せている模様


天井はレベルが揃っている


右側壁、こちらも大きな隙間


左側壁


奥から外、無袖のように見える


(98年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
この当時はまだ墳丘が見えていた


開口部正面


石室内部、写真が変色していたか


奥から外、ストロボ付かず画像操作した


(見学記)
(2022年)
美ノ郷町猪子迫、24年ぶりの再訪、当時はフィルムの頃、枚数もあまり撮ってないのでデジカメで撮り直すつもりで再訪してみました。もう当時の頃は忘れているので殆ど新規の気分です。
丘陵中腹に墓地がありその片隅にあります、以前の写真を見ると日が当たっていますが現在は林の中と言った感じです。入口前にあった古い説明板は左に移動し倒れかかっている、残っているだけでも立派、新しい説明板が立っていました。全長9m程の石室、羨道は基部しか残っていませんが玄室完存、奥壁は巨石1枚石、2枚の巨石天井石が見もの、無袖式かな。墓参の為の道があるけど急傾斜で枯れ葉がつもりちょっと歩きにくい。下の道路に車が停められますが何台かの車が停まっていた、休日だったので墓参の為かと思いましたが誰もいない、ストリートビューで見ても同じような車が停まっているのでどうも地元の方が恒常的に停めているのかもしれません。市史跡。
(追記)23年5月最新のストリートビューを見ると駐車している車はなかった。

(1998年)
戸田1号西方3km南側を流れる藤井川沿いの県道に猪子迫の案内板があり(その後何もないので注意)谷を北に入って行くと溜池があってその堤を通って丘を登っていくと墓地の一角に古墳があります。墳丘はかなり流れ去っていますが南側に石室が開口,羨道は下部石組みしか残っていませんが玄室は完存,全長9m巨石の割石を使った片袖式,奥壁も巨大な1枚石,天井も厚さ1mの巨石を3枚使用しています。平野部からの見通しの悪い位置にある古墳です。市史跡。

永敬寺裏古墳群

福岡県みやこ町(旧勝山町)2023年1月訪問

4基
その1
33°42′22″N 130°55′14″E(日本測地系)
33.70939836 130.91818132(世界測地系)
お寺裏に大きな墳丘、南西から


東側から、この付近の古墳群でもトップクラスの大きさ


北東から、2段築成?


北から、周囲が少し削られている


南側に巨石露出、僅かに隙間


内部は埋没、まぐさ石が見えているか


墳頂にも石材、墳丘の高さを考えると石室天井とは思えない


その2
その1南側藪の中に高まりが見えている


南に廻ってみると墳丘のようです


石材露出、開口部は見当たらず


その3
50m程東の林の中にも墳丘


南側が大きく抉られている


石材は全く見当たらず


直ぐ側の墓地に怪しき石材


反対側から、墳丘はよく残る


その4
すぐ東側にも同規模の墳丘、こちらは柵の中


墳丘はよく残るも


やはり抉られた跡があり石材見当たらず


背後から、わざわざ柵内に入る必要もなし


(見学記)
みやこ町勝山黒田、名前の通りお寺裏の丘陵に4基からなる古墳群です。お寺からも行けますが西側に一番大きな墳丘があるので西から接近、細い道を登っていくと果樹園手前左側に大きな墳丘があります。南側に巨石露出、僅かな隙間がありますが内部は埋没していました。すぐ南側に小さな墳丘、こちらも石材が僅かに露出している程度です。東側50m程のとこに2基の墳丘、これもそこそこの規模ですが頂部が大きく盗掘されていますが石材全く見られず。側に代々の住職さんのお墓がありその中に墓石じゃなく記念碑のような大きな石材があり一部で矢穴の跡もありひょっとしたら石室石材が使われているのかもしれません。しかしこの地域石室もだけど墳丘も残り具合がいいのが多いな。専門の職能集団がいたんでしょうか。お寺に駐車場有り。

新池西南古墳群

福岡県みやこ町(旧勝山町)2023年1月訪問

(仮称西支群)
その5
33°42′24″N 130°55′05″E(日本測地系)
33.70995379 130.91568154(世界測地系)
その3から尾根筋を登っていく途中にある、この辺りの古墳群でこのようにポツンと立地しているのが少数派


下方の石組み、外護列石風?


南側に開口


カメラを突っ込んで撮影、意外と良好


単室か、石組みはよく残っている、右上は赤色顔料?、全体に残ってないのが不思議


奥から外、左と右で袖石が随分違う


まぐさ石や天井石も赤く染まる


まぐさ石の隙間から内部撮影


その6
33°42′25″N 130°55′02″E(日本測地系)
33.7102315 130.91484828(世界測地系)
尾根筋頂部平坦面に墳丘、こんな高い場所にしては大きな墳丘


南側が大きく抉られている


左右の石が側壁か


_1と反対側から


その7
その8に行こうとしてこの石材に気がつく


目立つ石はこれくらいしか無いけどどう見ても袖石


ただ前後で少しずれている


玄室部分は窪み側壁が僅かに残るのみ


これが天井石か


後方にその6、こちらに墳丘があっても接していると言うほどではないか


その8
急斜面際に巨石と僅かな高まり、自然石の露出かと思いましたが


反対側に回ると石室でした


羨道は壊失、小型ながら天井は1枚か


正面から、右も側壁で無いかもしれない


奥壁、現状ではあまり奥行きはなく1.5m程度


右側壁、一応中に入れる


左側壁


少し離れて撮影、前は急傾斜で石室はあまり伸ばせそうにない


(仮称東支群)
その1
動物避柵の向こうに墳丘、この側から中に入れます


丘陵麓辺りに立地


斜面をカットした墳丘


横から、開口部は全く見当たらず


その2墳頂から、説明板のようなものは古墳とは全く無関係


その2
33°42′23″N 130°55′08″E(日本測地系)
33.70967606 130.9165148(世界測地系)
その1から見たその2


開口するならこっちの方だが全く見当たらず


背後から、墳丘が赤っぽく見えているのは楓の枯葉、落葉直後だったらさぞかし見事だったでしょう


墳頂に開口部、柵は落下防止のためでしょう


奥壁上部が開口


玄室が良好に残っています


袖石は板石状で左右ほぼ対称、まぐさ石もかなり加工されこの辺りの石室とはやや異なる


右側、背は高そうです


左側


その3
北西側やや離れた場所に立地


南側に開口、この程度なら入れると思ったが


内部は殆ど埋没


その4から見た墳丘


墳丘背後から


背後は大きくカットされ広い平坦面になっている


左がその4、右がその3


斜面カットの様子、右が尾根斜面、左が墳丘


その4
33°42′25″N 130°55′07″E(日本測地系)
33.71023155 130.91623703(世界測地系)
その3下方にその4


こちらから見るとあまり明瞭な境目はない


南側に開口


しゃがめば悠々と入れる


短い羨道、奥に前室後室が見えている


前室からして大きい


狭く高い天井、前室でここまで本格的なのも珍しい


後室玄門、両袖とも2段積み


巨石を積んだ後室、奥壁下部は左右2枚並べる


後室🔦


〃縦位置、更に背が高く


後室天井🔦


奥から外


奥から外🔦、ホワイトバランスの関係でちょっと変わった写真になりました


〃縦位置🔦


玄門上部


狭い天井、主軸方向に長い


前室奥から


〃🔦


奥から撮ると天井の高さが強調される


前室天井🔦


墳丘背後から


背後は広い周溝状平坦面になっている


削り残した地形がまるで外堤のよう


_23を撮った辺りからの墳丘


(西支群を見た後その1周辺を探したので番号が飛んでいます)
その9
天井石露出、墳丘の高まりは確認できず


隙間があるが内部埋没


その10
その1側の斜面に石材、背後がその1


まず石室天井石でしょう


(見学記)
永敬寺裏古墳群の新池を挟んだ西側丘陵上にある古墳群です。西南と名がついているけどほぼ西側、資料には4基以上1基消滅とありますが10基程見つかりました、入室できるのは2基、天井開口1基でしたがなかなか個性的な石室を持つ古墳群でした。東側に獣避け柵から入っていくと目の前に大きな墳丘、これは開口していません。すぐ北側にも大きな墳丘、この地域の傾向として南側に開口することが多い、なので未開口かなと思いましたが墳頂に登ってみると天井部が開口、鉄柵がありますがこれは転落防止の為でしょう。中を見ると両袖式の玄門が見えています、背の高い玄室のようです、奥壁はさすがに怖くて撮れなかった。カエデの落ち葉が積もって赤く染まった墳丘はとても綺麗でした。この裾辺りに2基あります、殆ど高まりはなく石材が露出程度、多分古墳。北西50m程辺り、短い尾根に2基の墳丘があります。上側の墳丘が大きく南側に開口、これは入れると思ったが中を覗くとすっかり埋没していました。すぐ下にやや小さな墳丘、こちらも南側に開口して入れます。複室石室ですが前室後室とも天井が高い、複室なら普通ですが天井が狭い、特に前室の天井の狭さはあまり見たことがありません。2基とも背後の斜面をカットして広い平坦面を造っています。更に下側のは尾根をまるで外堤のように残していました。同じような構造は小堤池北古墳群でも見られました。更に西に登っていくと途中に古墳、南側に開口していますが玄室は狭く単室かな。更に登っていくと尾根頂部辺りに大きな墳丘、頂部が盗掘され石室も大きく破壊、何とか輪郭が分かる程度です。南西側斜面際に高まりがある、古墳かなと近づいてみるとその手前にも2個の石、これはどう見ても玄門袖石じゃないか、そう思ってみると玄室らしい石組みもありました、1.5×1m程度の小型石室です、子供のなのかな。墳丘の脇に小さな石室を持つ古墳が付随するのは岡山県総社市峠1号や熊本県山鹿市黄金塚古墳等の例がありますがこれもそうでしょうか。最初に目についた高まりはやはり古墳で石室開口、でも後部しか残っていません。幅は1.5mくらいありますが長さが短い、前は急斜面なので元々長くはなかったよう。すぐ北側には平坦面があるのになんでこんな場所に造ったのかな。
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