鍬寄古墳(鍬寄1号)

広島県庄原市 1996年4月訪問、2022年4月再訪

 墳形不明、終末期
 横穴式石室、全長12m,玄室幅2.5,高2.2m
 位置:34°50′49″N 133°05′37″E (日本測地系)
    34.85014432 133.09101816(世界測地系)
(2022年)
県道脇に案内板、東側(後方)から来ると見落とす、撮影場所に駐車スペース有り


坂道を登ると突き当りに案内板、ここを右


民家前の斜面に石室、そこにも案内板、撮影場所辺りにもう1基の古墳があるが見落とした


背後の家は新しくなっているが石室は変わらず


石室正面


左側だけ残っている、途中に段差があり入口側の方がやや幅広くなっているような


正面から見るとはっきり段差がある、右側は前部壊失のようだ


巨石で構成された石室


右側壁


左側壁


奥壁、上のは後世の物のようだ


奥から外


左側壁を正面から、奥壁より巨石


右側壁を正面から


奥から右方向


奥から左方向


先端部を正面から、後方切り通しの所に別の古墳がある


石室後方から、元々でしょうが天井石が大分ずれている


巨石過ぎて動かせなかったか


(1996年)
石室下方から


石室正面


石室内部、フィルム時代なので枚数節約なので側壁奥壁両方撮れるように撮影、結局中途半端になってしまう


奥から外


石室上から


西側にもう1基の古墳


尾根先端に構築されたようだ、上に石材が見えている(ストリートビューで見られる)


(見学記)
(2022年)
県道23号に2ヶ所案内板が蘇羅比古神社とセットで出てきます。東側の方が近いのですが車で東側から来ると向きが逆になっているので見逃すかもしれません。途中にも案内表示があるので古墳の側まで行けないこともない、古墳のすぐ上にある集会場に駐車可だが西側からだと入りにくい、運転に自信がない人は県道案内板の所に広い駐車スペースがあります。石室自体は特に変わりなし、1枚残った天井石の巨大さが目を引きます。手前にあった古墳は見落とした、他にも幾つか高まり程度の古墳があるようです。

(1996年)
蘇羅比古神社東方民家の前に巨石を使った石室が露出しています。天井石は一枚しか残っていませんがかなり大きな物です。石室長8.7mあります。

野谷古墳群

広島県庄原市 2022年4月訪問

円墳6基

横穴石室墳6基、見学しやすいのは2基

その1
 位置:34°50′44″N 133°06′48″E(日本測地系)
    34.84875578 133.1107385(世界測地系)
石室正面、前部が広がっているか


石室内部に石仏が祀られている


石仏背後から奥、案内して貰ったので掃除できず


奥は狭まっているような、奥壁は小型腰石+平石2枚


中程の天井石が抜かれている


奥斜め上から、最後部の天井石は大きそう


羨道上から、やはり前が開き気味


開口部左側壁


開口部右側壁、この奥にその2がある


その2
墳丘は残っている


開口部正面


入れないことは無いんだろうけど


石室内部は割りと良好


奥壁は腰石+平石


(見学記)
投石古墳群から県道23号を南下、県道433号を左に曲がり(このT字交差点北側にも大原古墳群があるが尾根上のようです)1.4km程行った辺り、民家の裏山にある古墳群です。道路からすぐの場所ですが獣避け柵があるので入れません。偶々家のご主人が出てきたので挨拶して案内してもらいました(序でに広島県の遺跡地図も見せてもらった、県の調査の際貰ったそうです)。初めの1基は石室が殆ど露出、天井石も2枚くらいしか残っておらず石仏が祀られています。もう1基はすぐ南側に隣接、こちらは墳丘が残っていますが開口部は激狭で入れません、側壁の一部が乱れていますが奥壁が見えていて3段積みです。先程見せてもらった資料には1号は奥壁3段積みだそうでこれが1号のようです。6基からなる古墳群ですが少し離れているようで見学しやすいのはこの2基のみのようです。案内してもらった手前あちこち探すわけにもいかず。県道家の前に駐車スペースあり。

投石古墳群

広島県庄原市 1996年4月訪問、2022年4月再訪

前方後円墳1,円墳2

(2022年)
1号
 円墳
 横穴式石室、全長7.2m,玄室幅1.4,高1.8m
 位置:34°51′27″N 133°06′22″E (日本測地系)
    34.86069873 133.10351656(世界測地系)
上から見た様子、笹薮の中に盛り上がり、これは3号を見た後で帰る際気が付きました


近寄ってみると確かに墳丘


南側、笹薮の中に開口部


羨道、石室内部は変わり無し


持ち送りのある玄室、霧雨が降っていたので内部がモヤっていた


ストロボ無しだと多少まし


巨石鏡石を据えた奥壁、上部に隙間があるから墳丘背後ギリギリまで石室が伸びているよう


右側壁


左側壁


奥から外、右片袖式


奥から見た天井、前2枚が一段下がっている


奥壁に埋め込まれたような袖石、羨道側壁の段差を隠しているような


羨道奥から


3号
 前方後円墳、TL16,R10.8,RH1.3,FW5.3,FH0.8
 横穴式石室、全長7.5,幅1.7m
すっかり笹薮に包まれた墳丘、肉眼だと前方後円墳らしく見えるのですが、96年の_2と同じ撮影方向


藪の中に突っ込んで開口部発見、雨で笹が濡れていて大変だった


石室後部だけ良好に残る、縦長2枚を並べ上に平石


奥から外、殆ど何も写りませんが、左側は袖石か落下した側壁か


天井石は2枚残存


左側壁


右側壁


(1996年)
全景
下の県道からの全景、現在は見られない光景、右が1号、左が3号、2号ははっきりしない、背後に中国自動車道が通る、給水塔が本村PA


1号
上から見た墳丘


西から見た墳丘、緩斜面に立地


墳丘下から


南側更に下に開口、前部天井は失う


石室正面


羨道、立ったまま入っていける


大きな玄室が良好に残る、背が高い


奥から外、右片袖式


3号
1号から見た3号後円部、手前に2号があるはずだが削平のようだ


上方北東方向から


北側上から、前方後円墳の姿がよく分かる


西側から


石室正面、枯れ枝が詰められていた


隙間から撮影、奥壁、この頃は一眼レフだったから隙間撮影も面倒


左側壁、右奥壁


(見学記)
(2022年)
高速道本村PA(下り)南側にある3基からなる古墳群です。96年当時は裸の状態でしたがグーグルマップの衛星写真で見ると林になっていて確認できないので訪問してみました。現地はすっかり様変わり、林はそれ程では無かったですが一帯が熊笹に覆われて古墳がわからない状態です。何故かヤエザクラが何本か植えられていてその一番西側の下方に前方後円墳らしい姿が見えています、これが3号でしょう。後円部に登ってみると南側に石室開口、後部しか残っていません。後で「古墳のお部屋」を見てみると枯れ枝を詰め込まれた石室がこれでした。その東側にやはり熊笹に覆われた高まりがありこちらも長い石室が開口、これが1号で間違いないでしょう。その間に2号があるんでしょうが前回訪問時既に削平かそれに近い状態だったようです。近くにある鍬寄1号は県道に案内板があるのにこちらはなんで無いのかなと思っていましたがこれで納得です。案内があっても見学難しいわ。県道23号に大きな駐車スペースあり。

(1996年)
鍬寄古墳東方にある前方後円墳1(3号),円墳2基(1,2号)から成る古墳群です。現在樹木が伐採され県道から墳丘がよく見えています。1号は墳丘,石室とも良く残り石室はやや狭いですが全長7.2m玄室長3.9mあります。1号のすぐ西に2号がありますがはっきりしません。3号は全長15m小型の前方後円墳ですが上方から見るとその形が良くわかります。後円部に石室がありますが天井部は殆ど無くなっていて奥壁の辺りしか見ることが出来ません。またそこも枯れ枝が詰まっています。

鬼橋野路古墳

広島県庄原市 2022年4月訪問

 円墳、R15,H2、6C末
 横穴式石室、全長7,玄室幅1.2-0.8,高1.2m
 位置:34°51′35″N 133°12′21″E(日本測地系)
    34.86292166 133.203229(世界測地系)
時悠館施設内に保存されている、背後にキャンピングカー


南側に開口、墳丘は低い


前部は基部しか残っていない


乱石積みの細長い石室


石室中程から


奥壁は四角い鏡石+平石2枚、左右の側壁が奥壁として使えそうな石材


奥から外、無袖かな


ストロボだと左袖があるようにみえる


墳丘背後から、狭い周溝が巡っている


石室図(説明板より)


(見学記)
帝釈峡近くの帝釈峡まほろばの里時悠館敷地内にある古墳です。こんな場所だからてっきり移築かと思いましたがそうではなかった、施設の奥の方、キャンピングカー駐車場側にあります。標高500mの高地に立地、径15m、高2m、6C末の円墳、斜面背後に狭い周溝が巡っています。南向きに石室開口、全長7m,無袖か左片袖でしょうか、前半分程の天井石が失われていますが全般に状態はいい、奥壁は四角い鏡石+平石2枚、左右の側壁が鏡石にも使えそうな石材、意識して設置しているようです。しかし今でも交通不便な場所、なぜこんな場所に造ったのでしょうか。施設に無料駐車場有り、この日は休日だったけど雨模様だったのでキャンピングカーが数台程度で駐車場には車が全く無し。市史跡。

後井古墳(後井1号)

山口県田布施町 2006年2月訪問、22年3月再訪

(2022年)
3号
 横穴式石室
3号があると言うので探してみました、2号石室右斜め前方10m程、でも墳丘は殆どない


正面から、まぐさ石が目立つ


石室部分はすっかり盗掘、玄室石材は殆ど残っていない


まぐさ石を上から、元の位置で残存


〃斜め上から


石室内部からまぐさ石


側壁の一部が残る


1,2号(墳丘)
せっかくなので墳丘も撮ってみました、これはスマホカメラパノラマ撮影


背後から、正面からだと双円墳に見えないこともないけど、裏からだとやはり分離しています


〃スマホ撮影、こちらの方が広角、鮮やかすぎて画像がギスギスした感じ


2号墳丘西から


2号北側下方から


2号北側麓から1号


更に接近して1号


1号北側から


1号西側から


1号北側麓から2号


2号東側から


後井古墳(後井1号)
 円墳、R14,H5、6C後半
 横穴式石室、全長11.4m、玄室長5.8,幅3.3,高4m
 位置:33°57′31″N 132°01′44″E (日本測地系)
    33.96189575 132.02641568(世界測地系)
石室も再度挑戦


石室正面、羨道床面は前が低くなっていたんでしょうか


羨道、これだけで並の玄室くらいの規模がある


玄室、ストロボ撮影


〃右隅から


天井


玄室、主軸上から


〃縦位置


奥から外


〃縦位置


奥隅から左袖方向


玄室、懐中電灯で撮影、中央部が明るく周辺は暗くなってしまう


奥から外、これも懐中電灯だけど正面を照らさないようにした


2枚からなる巨石天井石、この日は薄暗く自然光では撮れず


2号
石室正面


幅の狭い羨道、造りが粗っぽい


1号程じゃないが巨石を使った石室


〃縦位置


高い天井


〃ストロボ撮影


床面には平石敷石


奥から外、左右の袖が随分違う


〃縦位置


〃懐中電灯で撮影


羨道奥から


(2006年)
後井古墳
丘陵頂きに並ぶ1号と2号


1,2号南側から、現地で見ると双円墳のように見える


石室正面


羨道


県内最大クラスの石室、奥壁鏡石と天井石が特に巨大


奥から外、左片袖式


後井2号
円墳
横穴式石室
墳丘南側


狭い羨道


背の高い玄室、奥行き3.5m位なのに対して、高さは4mくらいある、床面には平石の巨石が敷かれている


奥から外、こちらは両袖式、左右の袖部が随分違う


(見学記)
(2022年)
1,2号からなる後井古墳群(あまりこの名称は使わないようですが)に3号があると知って行ってみました。後井古墳の南20mとのことですがその辺りは倒竹だらけで探すのは大変と思いましたが結果的には2号南西10mの辺りにありました。でも灌木があるし墳丘も石室石材も殆ど無くなっているので見通すのは難しい。墳丘は盗掘で大きく掘られ石材も殆ど抜かれまぐさ石とその下の側壁が少し残っている程度でした。しかしこれ程大掛かりに石材を抜き取っているのになんでまぐさ石だけ残っているのか不思議です。他の石室でも時々見かけます。せっかくなので1,2号を背後から見てみました(今まで見てなかった)。一見前方後円墳に見えないこともないですが前方部にあたる2号がやはり円墳上で前方部と見るのは無理そう。正面から見ると双円墳にも見えますがやはり裏から見ると少し離れているように見えます。ただ2号の背後下段が直線状になっていて元の地形を台状に整形して円墳を載せたのかもしれません。2号西側に元の地形が残っていますがやはりこれを古墳と見た人がいるのか盗掘跡がありました(笑)。しかしあらためて見ると1号石室のなんと巨大なこと、低いとは言えここは丘陵頂部になるので巨石を下から運び上げるのは相当大変だったでしょうけどね。

(2006年)
田布施川沿いの県道を南から行って鉄道を越えたところで案内表示があるので右折、林の中の舗装路を行くと表示があるのでそこから長い参道を上っていきます。丘陵頂に構築された2基の円墳が隣接していて双円墳状です(他に3号墳もあるそうだ)。共に墳丘は良好に残っていて石室が開口、手前の1号墳は全長11.4m、玄室長5.8m、幅3.3m、高4mと県内最大級の石室です。羨道は前部が欠損しているが左片袖式の玄室は完存、中に入ってみるとさすがに大きい、奥壁は三段積みだが下の鏡石は極めて巨大です。奥の2号墳(一応立ち入り禁止(汗))は羨道は狭いが玄室は完存、長さ凡そ3.5m、幅2.5m、高さ3.5mで奥行きに比べて大変背が高いのが特徴、また床面には巨石の平石が敷かれるなど1号と比べて随分構造が違います。説明板では1号と比べてかなり見劣りすると書かれているが、あくまでも1号墳との比較でこれだけなら十分一級品の石室です。ただ玄室に比べると羨道は随分お粗末でなんだか後からとってつけたような感じ、また奥壁下部の2枚の縦長の石が薄くて土圧でややせり出してきています。ゲジゲジが大量にいることもあって早々に出てきました。県史跡。
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